◇風呂浄化装置
合坂さんがケアマネをしてくれた時期、ジイジが業者にカモられたことがあった。一人で家にいたジイジは、業者のセールストークに幻惑され、おもちゃのような風呂浄化装置をつけてしまったのだ。その代金の振り込みの仕方が分からぬジイジが「三〇万円振り込むから、ついてきてほしい」と近所の人に頼みに行き、近所の人は包括支援センターに連絡。センターからケアマネに報告があり、ケアマネから私に伝わった。
そういえば、その数日前、ジイジに電話した際、
「いま、風呂の工事に業者が来ている」とジイジが言ったことがあった。
「風呂の工事」とはただごとではない。月に一回の割合でジイジの家に私は行っており、風呂にも入っているが、別段支障はない。風呂を改造するとなると、大金が必要となるのではないか。「業者の人が来ているなら、いますぐ、電話に出てもらって」と私は言った。絶叫にちかい高い声になった。
「いま作業しているから電話には出れんぞ」とジイジは言う。「どこの業者?」と私が聞くと、「光明寺(近くの集落)から来とる」と言う。「光明寺」という言葉に私はちょっと落ち着いた。地元の業者ならそうわるいことはしまい、と思ったのだ。
しかし、「光明寺」とはジイジの思い込みであり、実際は大阪の業者の飛び込み営業であった。急きょ、博多から徳島に行った私に合坂さんは「消費者の異議申し立てを見越して、法的に問題のない日付で契約している。事前説明も、契約書も、クーリングオフ(契約の撤回・解除)が適用できないようにしてある。周到です」と言う。契約書によると、業者は毎年浄水器を点検し、その都度、ジイジが二万円を払うことになっている。「装置の更新が必要」ということにでもなってしまえばまた数十万円出費ということになる。
顔を強張らせた私と合坂さんの前で「大げさにせんでくれ」とジイジはアタマを抱えている。「このままだと毎年カネを払うことになるし、何十万円もいつ追加請求があるかわからないんだよ」と私が言うと、「カネは毎年払う。いくらでも払う。大げさにせんでくれ」とジイジは繰り返す。地域での醜聞をジイジは恐れているのだ。田舎では平穏無事がなによりも大切である。事前説明書も契約書もジイジのサインとハンコがあり、契約自体を覆すのは難しい。業者との関係を断つのが最善だと私は考えた。合坂さんも「仕方ありません」という顔をしている。
私は業者にカネを払った。私は地元の消費生活センターに電話して、状況を報告した。「払ったカネはあきらめるが、今後、二度と家に来ないでほしい」とセンターから業者に連絡してもらった。
風呂浄化装置の業者との契約の際、ジイジは、契約文はまったく読まないまま、サインをし、ハンコを押した。「字が小さすぎて読んでもわからんのじゃ」とジイジは言う。それなら、サインをしなければいいのだが、相手の勢いに押され、自分はバカではないという意地もあり、断れない状況であっただろう。ジイジの場合、三〇万円で済んで(実際には私の知らない別の被害があるのかもしれないが)、傷は浅いといえる。オレオレ詐欺などで数百万円も数千万円もとられる人がいるのだ。
その後、落ち着いてから聞いてみると、風呂浄化装置の業者以外にも、ジイジにアプローチがあっていたらしい。「屋根を点検します」という男に点検を許しているのだ。男は「全体的に老朽化がいちじるしい。思い切って全面改修しないとひどいことになります」と改修工事を勧めた。見積り価格は二五〇万円。さすがのジイジも態度を保留しているうちに風呂浄化装置の業者にやられた。「やられた」といって差し支えない。悪徳とは断言できないが限りなくグレーの確信犯である。
グレーの確信犯的業者にとって、独り暮らしの年寄りは絶好のカモである。一対一の対面の契約となると、業者のいいようにされてしまうのは目に見えている。私はジイジと話し合い、今後、契約のたぐいとは一切縁を切るよう伝えた。ジイジも了承した。屋根の改修は断った。
三〇万円は失ったものの、一応平穏な暮らしを取り戻した。合坂さんがいなかったならば、ジイジと風呂浄化装置の業者との付き合いは継続し、不本意な屋根の修理もしていたかもしれない。経済的、心理的な損失はもっと大きくなっていただろう。
◇紹介状
ジイジのデイケア(通所リハビリテーション)に通うのが本格化したのは、ケアマネが南登志子さんに代わってからである。「通う」といっても施設のクルマで送迎がある。これがなんともありがたい。
デイケアの職員はジイジのことを「まつおさん」と名前で呼んでくれる。これがジイジにはうれしかった。名前で呼んでくれていた親戚や知人はみんな彼岸のひととなってしまった。現世の介護・医療関係の人は、どうしてもジイジを苗字で呼ぶ。苗字で呼ばれるのが、物足りなかったようなのだ。
最初の頃は、迎えが来てもジイジは行き渋り、「足がイタいんじゃ」などと言うことがあった。「学校に行き渋る子供と同じ」と私は南さんと笑ったものだ。しかし、フレンドリーに「まつおさん」と話しかけ、あれこれ気にかけ親身に接してくれる職員らにいつしかジイジは心を開き、デイと馴染みになってくれた。
二〇二五年五月一六日、丸上医院に行くジイジの付き添いのため私は徳島に行った。ジイジのぬいだ靴下を洗おうとネットに入れたとき、ジイジの足の甲が両方ともパンパンに腫れているのに気づいた。さわってみると、スモモのようにはちきれそうである。
「これどうしたん?」と聞く。
「ほっておくと治る」とジイジは平然としている。痛いとかダルいとか自覚症状はないようだ。「ほっておくと治る」と言う、そう言われてみると過去にもジイジの足の甲が腫れ、いつのまにか治っていたような気もする。
五月一九日、丸上医院に行った。「なにかおかわりはありませんか」と受付の女性に言われ、「変わりありません」と答えたのち、「足が腫れています」と一応報告した。
先に待っている患者がいたが、ジイジはすぐに看護師に呼ばれ、体重を量った。六一キロ。普段は六〇キロなので、一キロ増えた計算だ。余分な水分が一キロ体内にのこっているということか。
ジイジは診察室の奥の部屋のベッドに寝かされた。心電図をとり、胸部レントゲン写真も撮った。丸上先生は横になったジイジの脇に立っていた。椅子にかけた姿しか知らない私には、夕陽を半身にうけ、聴診器を首にかけた、意外に長身の先生が医者らしく見えた。人みしりの殻を打ち破るように、一大決心したかのごとく、丸上医師は私に告げた。
「このように足が腫れるのは、血液がうまく循環していないからと考えられます。心臓の弁の動きがわるい可能性がある。聴いてみると、雑音が大きい。心不全の心配があります。紹介状を書きますから、徳島菊水病院で精密検査をうけてください」
徳島菊水病院とは徳島西部地区の総合病院である。紹介状が必要である。「受診日が決まりましたら、連絡します。紹介状をとりにきてくださいね」とジイジを長年サポートしてくれている年配の看護師が言う。紹介状のやり取りは看護師の仕事らしい。
医院の待機スペースに戻る。「やれやれ、診察終わった」といういつもの達成感はなく、「得体の知れぬ何か恐るべきことがこれからはじまる」という漠然とした不安だけがある。気のせいか山法師も目を点にしておとなしい。事態がのみこめず私のとなりでキョトンとしているジイジを励まさねばならない。
「心臓の精密検査だ。大丈夫だから」
「ワシは胸がわるくなったことは一度もないぞ」
ジイジは言うが、現にわるくなっている可能性は大きいのである。ただ自覚症状はないのだから、ピンとこないのは当然なのだが。
「とにかく菊水病院で診てもらおう。大丈夫だから」
私はジイジに言うが、「大丈夫」だとはぜんぜん思っていない。心臓のトラブルは私もジイジもその他親族も、まったく初めての経験だ。比較的平和に推移していた日々に「待った」が入った。ジイジと共に座っている長椅子ごと、すーっとおちていく感覚だけがある。








