◇巨大病院

 クルマは徳島市に近接した石井町に至る。ジイジが二回目に警察に保護された町である。出発してから約一時間半、ジイジはきょう私がたどったと同じ道をクルマで走ったのである。高齢でよくぞここまで、と改めて思う。ジイジの様子をうかがう。みじんも動揺が感じられない。記憶にのこっていないのだ。私も口にしなかった。

 阿波白鷺病院に着いた。県内最大級の総合病院である。田舎の一本道、町らしい通り、市街地、喧噪の県都……と道の変化にあっけにとられていたら、いつのまにか着いていた。中庭ともいえるスペースは陸上競技の記録会でもできそうな広さだ。中庭を取り囲む駐車棟、医療棟がどれも新しい。この病院に比べたら、老朽化がすすむ徳島菊水病院など『二十四の瞳』の分教場のような素朴さだ。

 二〇分ほど待って、幸い、駐車場に停めることができた。病棟玄関に比較的近い場所であり、幸先がいい。「病院は患者のためにあるのです。移動には車椅子を使いましょう。遠慮? ぜんぜん。患者が使うために置いてあるのですよ。病院だから」という播磨看護師の助言に従い、まず車椅子を借りてくる。ジイジを乗せ、病棟へ向かう。

 巨大病院は「待つ」ものとなんとなく思っていたジイジも私も、総合受付で紹介状を出したのち、循環器内科の受付ですぐに名前を呼ばれたので、肩透かしをくらった気分である。しかし、診察ではなく、まず検査であった。徳島菊水病院のデータがあるはずだが、病院というところは自前のデータを持ちたいのだろうか。血液や心電図など、改めて検査するのだ。移動に車椅子が役に立つ。

「紹介状」について私は考えていた。丸上医院→徳島菊水病院→阿波白鷺病院と紹介状でつなげてもらった。白鷺病院→菊水病院、菊水病院→丸上医院とつなぐ場合もあろう。医師は医療の流れの中の自分という存在を意識している。「医師は他の医師の批判をしない」理由のひとつであろう。他の医師の批判などしていては自分の仕事が成り立たなくなる。オトナの世界というものだ。

 検査が終わると診察室の前で待つ。主治医は志摩賢一医師である。菊水の猪熊医師と同年輩とみた。猪熊医師が風呂に入ってひげをそってパリがどこかに留学して帰って来たという印象である。病院としては、菊水より白鷺の方が格上である。患者側としては医師も白鷺の方が格上だと思ってしまう。

 白鷺病院のような「最後のトリデ」クラスの病院になると医師と患者は世間話をほぼしない。人間関係の構築も大事だが、「人間」存続のためにまず治療しなくてはならない。志摩医師は、いまさら検査の数値をあげつらっても仕方がないといわんばかりに、「大動脈狭窄症の〝重症〟に該当します。〝超重症〟の手前です」と結論をまず述べる。菊水でも言われたことだ。医師は「余命半年」と言い、「平均二年です」とも言う。これも菊水で言われた。冷たい人柄というわけではない。廊下では十数人が志摩先生の診察を待っている。簡潔明瞭が患者のためになる。

 志摩医師は卓上カレンダーを手にとる。「検査入院していただきます。六月二日の月曜日はいかがですか。一週間程度。カテーテル手術ができるかどうかなど血管を調べます。お父さん、いかがですか」とキョトンとしているジイジの膝に手をおく。「お願いします」と私はアタマを下げた。日付が決まれば、その先も見え、未決囚のような宙ぶらりんな状態から解放される。「手術の説明を受けてからご帰宅ください」と医師に言われ、診察室を出た。

 ハンググライダーで阿蘇のカルデラ上空にでも飛び出たような気分だった。賽は投げられた。ルビコン河を渡った。この巨大病院の医療の流れに組み込まれるのだ。「これから病院の医療技術と自分の身体の自然に、自分をまかせる。おれは知らん」という日野啓三のガン闘病記『断崖の年』の一節を私は思い浮かべていた。「自分」とはジイジのことなのであるが、運命共同体的に行動している私のことでもある。

 病院一階にうどん屋がある。ジイジの好物のキツネうどん。いつになく半分くらいのこしている。「入院やなー。準備せんといけんな」と私が言う。「だれが入院や?」とジイジが言う。先生に直接言われても自分のことだという実感がない。「ジイジが入院するんや。一週間くらい、シャバとはオサラバだ」と冗談めかして私は言う。人生初めての入院だ。「ワシが入院?」とジイジは繰り返す。「ワシが」。

◇検査入院

 六月二日。ジイジが入院した。阿波白鷺病院の循環器内科病棟。

 病棟入口の待機スペースで、カートに着替えなど載せて、看護師から呼ばれるのを待つ。案内を待つあいだ、ジイジは「みんな、もの言わんのぉ」とつぶやく。名前を呼びあって安否をたしかめあうなど、親和性に満ちた和気あいあいのデイケアに慣れたジイジは、目の前を無言でとおっていく医師らの素知らぬ顔が不満なのだ。

 案内されたのは四人部屋である。ジイジ以外の三人はいずれも中年の男性。ジイジは新入りであるが、どの人もカーテンで仕切ったベッドで安静にしている。波風を立ててはならないから、挨拶などはしない。看護師と患者の会話から、三人とも心臓を患っていることが分かった。食事はできるが、排泄はおむつのようだ。心臓の状況をリアルタイムで医療側が知ることができるよう胸にコードを付けたままの人もいる。顔は土色である。身動きできずベッドに病臥したままの気持ちとはどういうものか。もし自分がそうなったらと想像して私は気が遠くなるようだった。四人の中ではジイジが一番元気なのである。

 病院側は「せん妄」を警戒していた。せん妄とは、時間や場所が分からなくなること。幻覚や妄想、錯乱、落ち着きがなくなる、注意力が低下する、などの状態をいう。「だれが入院するんじゃ?」と理解不能のように見えていたジイジは実は入院という初めての事態に緊張していた。だからだろう、前日の夜はタイヘンだった。

 入院前日の六月一日。私は早めに寝る。首のうしろの皮膚の下で何かがうごめく。軟体状のものを指で探って畳に放り出す。小さいムカデとなって畳をはった。ジイジは午後九時頃に眠りについた。午後一一時頃、突然起き出し、テレビを大音量でつけた。パーティーでも始まったか、と私は飛び起きた。ハイになったジイジが、台所や風呂場など家中の探索をしている。「富士は日本一の山。讃岐の富士は香川一」「四国三郎、吉野川。真ん中とおって徳島県」「アンパンマンの高知県、なにもありません徳島県」など即興の文章を口走りながら、何を探すわけでもない。探索そのものが目的なのだ。「火事のときも地震のときもウチのカカアは飯を炊く」と、いつになく大きな声で妻(私の母)の遺影に話しかける。せん妄とはちょっと違う、躁状態という感じ。興奮して落ち着きがない。言うことに脈絡がない。私はジイジの隣に黙って立っていた。ひと暴れすると疲れたのだろう、ジイジはやがてソファにうなだれて座り、午前三時過ぎ、ベッドに入った。

 とにかく入院にこぎつけた。CT(コンピューター断層撮影)検査などをへて、入院五日後の六月六日(金曜)にはカテーテル手術が可能かどうか確かめるカテーテル検査がある。管を動脈や静脈から挿入し、心臓や血管の内部にまで管を通らせ、造影剤を注入するなどして異常がないかたしかめる。播磨看護師が話していた「股の血管からカテーテルがうまく入るかどうかの検査」というのがコレであろう。

 私が突然いなくなってはジイジがパニックに陥る。しかし私は空き家となったジイジの家に戻らねばならない。一泊して福岡市の自宅に行く。約一週間後に予定されている退院に合わせ、また徳島に来るのである。慣れない病衣をまとってうなだれているジイジが気の毒であったが、看護師がいる。「入院するみなさんに聞いています。目標をもっていただくためです。退院後に何をしたいですか?」とジイジに聞く。「デイケアに行く」とジイジは答えた。私は心をオニにして病院をあとにした。

 私はクルマをとばして徳島西部のジイジの家についた。勝手口から入る。空気が移動するからか、トイレの尿臭がぷんときた。家が死んでいる、と思った。いままで家に戻ると両親のどちらかは家にいた。両親がいない実家というものは初めてである。落ち着かない。不安が心の奥にとぐろを巻いているのであろう。

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