無敵の男6

作家(「評伝 石牟礼道子 渚に立つひと」で読売文学賞 評論伝記賞受賞)
米本浩二
2025/11/19

◇大動脈弁狭窄症

「お待たせしました」と猪熊医師が来て、ほっとした。検査データの紙を太い指で繰っている。年齢を重ねた先生の渋みのあるたたずまいはやはり安心感がある。「比較的早いタイミングでよかった」という猪熊医師の言葉で、ジイジの病状はやはりただごとでなかったのだと思った。猪熊医師はジイジに聴診器をあてる。

「むくみの原因として、心臓、肝臓、腎臓、いずれかの臓器の不調が考えられます。なんらかの病が隠れている」「聴診器で心臓の音を聴くと、ビューンビューンという心雑音が確認できます。心臓そのものに問題がある」

 先生の言うことは、私のシロウトの耳にもクールで的確に聞こえた。私はひとつひとつうなずきながら聞いていた。ジイジもおとなしく聞いている。どの程度、理解できているかは分からない。理解が追いつかず、医師の話は右から左に消えてゆくというのが正直なところだろう。研修医の岡田は隅で小さくなっている。

 医師によると、BNP(心臓に負担がかかると心室から分泌されるホルモン)の数値が100pg/ml以上だと心不全の可能性が高くなる。200pg/mlだと心不全治療が必要という。ジイジの場合は490pg/mlもあるのだ。

「病名は、大動脈弁狭窄症。余命は一~三年です」

「余命」か、はっきり言うんだな、と私は思った。あとから調べてみると、大動脈弁狭窄症は心臓弁膜症のひとつ。心臓の左心室と大動脈のあいだにある「大動脈弁」が何かの原因で硬くなると、弁の面積が狭くなり、全身に送り出す血液の流れが速くなるため、心臓に負担がかかる。水道の蛇口につないだホースの先をつまむと水が勢いよく飛ぶ。その勢いがそのまま心臓の負担となるのだ。

 医師によると、いったん大動脈弁狭窄症になると元に戻らない。弁硬化、軽症、中等症、重症、超重症と進行する。ジイジの場合は、超重症の一歩手前の重症であった。しかし、先生の表情から、悲観する必要はないことが感じられた。「TAVI(経カテーテル大動脈弁留置術)」という有効な治療法があるらしい。太もものつけ根などの血管からカテーテル(細い管)を使って、人工弁を心臓まで運び、はめこむ。

「お願いします」と私は医師にアタマを下げた。これが例えば、がんが見つかり、どのような治療法を選ぶかという局面に立たされたならば、患者・家族は熟考する必要があろう。高齢の場合だと何もしないという選択肢もあろう。しかし、ジイジの場合、治療法はずばり「TAVI」なのだ。迷う余地はないと思った。高齢と認知症がネックであるが、猪熊医師は自信を示している。「徳島なら、この二つの病院でカテーテル治療が可能です」とリストを示す。

 私は徳島市の阿波白鷺病院を選んだ。県内屈指の総合病院である。医師は「分かりました。紹介状を書きます。診察の日程が決まったらご連絡します」と言う。診察室を出て、やれやれという感じだが、これで終わりという決着感がない。始まったのだ。紹介状を手に徳島市まで行かねばならない。病院がどこにあって、どんなふうに診察を受け手術をしてもらえるのか、ぜんぜんわからない。経験がないのでイメージがわかないのだ。糸の切れた凧のように空に放たれてしまった。いったいどこに漂着するものやら。

 病名を告げられ、余命宣告まで受けたが、ジイジはぴんときていない。だるいとか苦しいとか症状があるのならともかく、ジイジの場合は足が腫れている以外、自覚症状がない。病名の理解どころか、なぜ菊水病院まで行ったのか得心がいかないふうなのだ。私は「余命」という言葉に違和感もあった。ジイジは既に九二歳(診断当時)なのだ。正直、いつ生が終わるか分からない。その人に「余命」とは?

「心配いらん」と私は言う。

「心配いらん? なんの心配?」

「いや、だから、ジイジが心配することはない。手術といっても安全な部類らしい」

「だれか手術するん?」

「ジイジ」

「ワシが」と絶句している。

「徳島市まで行こう。おれも一緒に行く」

「お前行ってこい。ワシは家で留守番しとく」

 自分の病気のことよりも研修医の岡田の方がジイジには印象が深かったようだ。病院から帰って数日たった頃、「あの人よりワシの方がよう知っとる」と酒を飲みながらジイジは言ったものだ。ジイジは、医療知識は皆無に近いが、おおぜいの人と接してきた圧倒的な人生経験がある。ジイジの方が「知っとる」のは間違いない。心臓の精密検査に来ているのに、「お口をあけて、アーと言ってみてください」などという若い男が頼りなく見えても無理はない。

 しかし、猪熊医師にしても最初から一人前だったわけではあるまい。医師になりたての頃は、先輩医師の指導を乞うて、一から学び、「キサマそれでも医者か」「医者なら治せ」などと患者から罵倒され、枕を涙で濡らした夜もあったはずである。私は岡田医師の白くてやわらかそうな手を思った。彼はこれからだ。年齢を重ね、医師としての経験を積み、患者と戦友のような信頼関係を築き、病を治していくのであろう。

「徳島市に行こう。カテーテル手術を受けよう」

「?」

 モヤモヤとしてはいるが、さすがのジイジも、厄介な状況だということを理解したらしい。ジイジは何か困ったことがあると、自分のベッドに腰かけ、うなだれて、どうやって事態を収拾するか考えるのである。

この日も帰宅後、灯もつけず、長いあいだベッドでうなだれていた。

◇介護チーム

 私は、ケアマネや訪問看護師ら、ジイジの介護チームとでもいうべき人々に、ジイジが大動脈弁狭窄症と診断されたことを告げた。ケアマネは担当者会議を招集した。ジイジの家にケアマネ、訪問看護師、ヘルパーさん、デイケア施設の代表らが集まった。情報を共有し、対応を話し合うのだ。

「乗り越えましょうね」とジイジに声をかけてくれたのは、何人もいるヘルパーさんのリーダー格の田口由美さん。初老といえる年齢だが、京塚昌子に似た丸っこい体形にエネルギーが横溢しており冷蔵庫を開けて古い食品を遠慮なく捨てるなど頼りになる。偶然であるが、ジイジの同級生の田口健司元町長の長男の嫁だ。田口さんの義母はジイジの幼馴染。デイケアでジイジの姿を見かけると「まっちゃん」と寄って来る。

 ケアマネの南さんは「こんなことになるなんて」と診断結果に困惑していた。いしだあゆみ似の南さんは元々やせた人なのに何か物事に集中すると背中が丸まって一層やせて見える。「♪あなたなーら、どうするー🎵」とあゆみの歌を歌ってあげたい気がする。

 五〇代の訪問看護師、播磨友美さんは病院勤務歴が豊富である。「股の血管からカテーテルがうまく入るかどうかの検査をまずするはずで、その検査は、長時間動けないなど、かなり苦痛を伴うものである」という。もうひとつの懸念として、「カテーテル手術は全身麻酔だろうから、〝認知が悪化しないか〟という心配がある」という。

 播磨看護師は西田佐知子に横顔が似ているときがある。准看護婦(当時)からスタートし、「同じ仕事しているのに〝准〟がつくのは悔しい」と猛勉強して正看護婦になった苦労人である。四〇代かと思っていたが、「いま七七歳の母が二一歳のとき私は生まれた」と言ったのでトシがわかった。率直というのか、熱血というのか、「人は衰えていきます。トシをとるとどの臓器も機能が低下します。心臓もいつか止まります」など包み隠さない話し方をする。介護チームの女性の区別がつかないジイジも「あの人はホントのことを言うのぉ」と感心するほどなのだ。

播磨看護師は、食器棚の下にかけてある「服薬カレンダー」の考案者でもある。便秘に悩むジイジにとって、丸上医院が処方してくれる便秘薬などをちゃんとのめるかが大きな課題なのであるが、訪問看護師として播磨さんが来るまで、飲み忘れが頻発し、便を腹いっぱい詰まらせたジイジが「もうワシはだめじゃ」と私に電話をかけてくることもしばしばだった。その都度丸上医院に出かけて、浣腸など処置をしてもらうのだ。ときには「様子をみましょう」などと言われ浣腸がおあずけになってジイジは不満を覚えたりもする。服薬カレンダーには小さな透明のポケットが「朝」と「夕」別に縦に並んでいる。日付順にクスリをいれておけば、上からクスリがなくなっていくため、ビジュアル的に分かりやすい。

 冷蔵庫には「本日は〇〇日です。午前九時にお迎えにあがります」というメッセージが貼ってある。日時の感覚がはっきりしないジイジへのデイケア施設のスタッフの配慮である。送迎のたびに紙を冷蔵庫に貼ってくれるのだ。服薬カレンダーと冷蔵庫のメッセージのおかげで、クスリの飲み忘れが激減したのである。

 今回の心臓の件、播磨看護師は心配してくれているが、診断してくれた猪熊医師は自信ありげであった。よくない結果を想像すればキリがない。医師の言うとおりにするのが一番いいと私は考えた。

 肝心のジイジは大病が自分のことだと理解できていない。痛みやだるさなど症状があるなら、なんとかしてくれという思いが先に立ち、病名も治療も具体的にわが身のことと自覚できるのだろうが、なにしろ無症状なのだ。ケアマネが「まつおさん、がんばってね」と声をかけても、「何を?」と問い返す始末である。ジイジにしても漠然とした不安はあるのだが、それが一体何なのか、わからなくてもどかしい様子である。むろん私は再三説明するがジイジのアタマの中にのこらない。

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