◇巨大マグロ

 二〇二五年六月二〇日、私とジイジは丸上医院に行った。月に一回の定期診察の日である。二日前の一八日に白鷺で診てもらったばかりなので、その報告がてらということもある。医院の入口でスリッパにはきかえていると、受付の女性と山法師が立ち上がった。私はジイジにスリッパをはかせ、自分はわざとゆっくりはいた。山法師を焦らせるためである。

「白鷺病院、どうでした?」と早速聞いてくる。白鷺の診断結果は丸上医院にフィードバックされるのだろうが、現時点で山法師は当然知らない。

「カテーテル手術、することになりました」と私は簡潔に言った。

 山法師は「そうですか」とうなずいたが、一瞬妙な間があった。高齢の患者が手術のような積極的治療に踏み切るのは珍しいのかもしれない、と私は思った。医療情報が行き届かない田舎ということもある。手術という未知のものへの恐ろしさが先に立ち、「様子を見る」ことを選ぶ人が多いのかもしれない。高齢の人の場合、何もしないのが最善、ということもあろう。ジイジは九二歳。「様子を見る」ことにしてもいいわけだ。

 久しぶりの丸上先生にジイジはアタマを下げる。先生は、いつものように血圧、血中酸素濃度、体温を測り、「はい」とひとこと言うだけである。白鷺病院でのことを私にはあれこれ尋ねてくるかと思っていたが、私の方を見ようともしない。「タイヘンでしたね」みたいなことも言わない。

 翌日、ケアマネの南さんが来た。南さんには刻一刻電話で状況を伝えているが、ジイジ本人の様子を自分の目で確かめに来たのであろう。「きのう、丸上先生に報告しましたが、反応なし」と私は言った。ホホホと鷹揚に笑った南さんは「大丈夫と思うから何にもおっしゃらないのですよ。足が腫れたとか、利尿剤が効きすぎたような場合は、ちゃんと対応してくださるじゃありませんか」と言う。それは私も感じていたことだった。

 南さんは、「落ち着いたら、介護度変更の申し立てをしましょう」と言う。現在は要介護二。認知状態が悪化したし、手術のこともある。私はジイジと相談して介護保険のサービスをめいっぱい使っていた。平日と土曜日はデイケアにいくし、日曜にはヘルパーさんが来る。現時点ではサービス内の規定額に収まらず、数万円オーバーしているのだ。要介護三になると、それでもオーバーするものの、ある程度は出費を抑えられる。

 もうひとつの課題として、入れ歯をつくらねば、ということがある。「ホントにどこに消えてしまったんでしょうね」と南さんは困惑している。六月下旬、南さんが来訪中、ジイジの上の入れ歯がなくなってしまったのだ。洗面所や台所など探したが見つからない。それまで入れ歯を外すこともなかったジイジは入れ歯がなくなっても無頓着だが、さすがに食べにくそうだ。

 心臓の手術を控えた時期ではあるが、歯医者に通わねばならない。ゴーストタウン商店街の中の岩手歯科に私は電話して、七月七日に予約をとった。「午後四時以降でないと明いていませんよ」と言われ、午後四時半に決めた。午後四時までデイケアなので、午後四時以降の方が好都合なのだ。

 七月六日には参院選の期日前投票に行った。旧役場が会場だ。選挙区と比例と二枚の用紙にそれぞれ候補者の名前を書く。ジイジは振り向いて「これでええんか」と名前を書いた紙を職員に示す。職員はなんとも答えようがない。立会人らは「投票の仕方も分からぬ、どこかのよぼよぼの爺さんが来た」程度の認識だろうが、ジイジの方では「(立会人は)森川三郎と山内竜二朗」と名前まで把握していた。介護チームの名前も覚えられないジイジだが、昔から住む地域の住民のことはよく知っている。昔のことは覚えているが最近のことは忘れる、とは高齢者がよくいわれることだ。

 七月七日は岩手歯科。ここもジイジが昔から通う歯医者さんであるが、建物が改築をしたからであろうか、ジイジは「初めて来た」という。ジイジが呼ばれ、私も呼ばれた。治療台にジイジは横になっている。私は歯科医と技工士から、白鷺病院の手術のことを聞かれた。入れ歯づくりは何週間にも及ぶ。歯科医としても患者のスケジュールを把握しておく必要がある。それは分かる。

 岩手歯科はゴーストタウンの中にあってもよく流行っており、夕方になっても、予約患者がひきもきらない。歯科医も技工士らも有能なのはちょっと話しただけでわかる。しかし、背中が反る具合に横になって沈黙を強いられているジイジを脇におきながら、「この年齢で心臓の手術?」などナイーブな話をされるのには閉口した。「施設にいるの? それとも自宅?」とも聞かれた。巨大マグロ(ジイジ)を前にして、「天然ものか? 養殖か?」と聞くような無神経な問いである。ジイジの耳に少しは遠慮しろ、と思った。

 あたらしい入れ歯が完成するのは数週間先になる。上の入れ歯がなくとも下の入れ歯だけである程度食べられるよう、この日は調整してもらった。帰宅して夕飯を食べたジイジは「きのうまでと、きょうと、食べ物の味がぜんぜんちがう」とうれしそうに言った。入れ歯の不具合はやはり気になっていたのだ。

◇クロマルの出現

 ちょっと遡る。七月一日。この日はデイケアがない。午前九時を過ぎた。「ヘルパーさんが来てくれた頃だな」と私は福岡市の自宅で時計を見た。ブーン、と私の携帯に電話があった。へルパーさんからだ。「お父さんが草刈りをやめないのです。家に入ってくれません。この暑さなのに」と言う。

 熱中症警戒アラートが出ている。熱中症の怖さはテレビなどでさんざん言っている。それになによりもジイジは心臓の手術を待つ身なのである。家の中にいても暑くて危険なのに、おてんとうさまに身をさらし、「草刈り」しかも「やめない」とはどういうことであろう。

 ジイジは、手持ちぶさたになると松などが並ぶ前庭に出てゆく。旦那然として松の枝ぶりなどを見る。本格的な夏の到来とともに、草が猛烈な勢いで伸びている。手近な草を一本抜いてみる。案外すっと抜ける。もう一本。道路にはみ出ている植生の枝もあるようだ。草刈りバサミをとってきた。手でむしれるだけ草をむしり、叢に顔をうずめて刈り始めるともう止まらない。汗が噴き出てくる。「もうちょっと。あと、ほんの少しでやめる」と思うが、どこでけりをつけるか自分でも分からない。ヘルパーさんが心配して呼びに来た(この段階で私に電話があった)。「もうやめる」と言いながら、次の草に手を伸ばしているジイジがいる、というような状況を想像した。

 その後、身も心も草取りモードになったジイジは裏の畑に行ったのである。家の裏には石垣があり、その上は農業倉庫や柿の木などがある小さな畑なのである。鉄製の高さ約四メートルの階段が家と畑とを連結している。滑りやすい階段は急勾配。私は冗談でこの階段を「地獄の階段」と名付けているのだが、まんざら冗談でもない。足を滑らせれば大けがは必至である。年寄りの場合、転倒は骨折につながり、骨折は寝たきりの原因のひとつにもなる。この階段をみた医療・介護関係者はだれもが「これはタイヘン」と戦慄する。

 猛暑のこの日、鉄の階段をのぼったジイジは、ツタをとる作業に熱中した。おびただしい汗が出るが、ひとやすみして息をととのえているとき、汗と反比例のように体が冷えていく感覚は、バリバリ農作業をしていた昔に戻ったようでわるくない。この勢いで畑にはびこるツタをぜんぶとってしまおう。そう決意したジイジは二本の刃のクロス式の草刈りガマでバシャバシャ切ってゆく。

 そこへ来たのが熱血看護師の播磨さんである。畑のジイジを見つけた。「お父さーん」と呼ぶがジイジは気づかない。「オウチに入ろーぉ」と播磨さんは階段をあがる。幾重もの無花果の葉のあいだからTシャツの黒い肩がのぞく。訪問看護師は訪問時白衣など着ない。この日も黒いTシャツである。黒々と動くものがイノシシか何かだと思ったジイジは驚愕した。この畑には不似合いな正体不明のデカい生き物のイキナリの出現である。

 ジイジが発したのは、「おまえ、クロマルか!」という意外なひとことだった。昔わが家で飼っていた黒い犬の名前だ。犬は散歩が必須であることを家族のだれも知らず、けっきょく、四六時中鳴き叫ぶ犬になってしまい、母の実家の山の里に預けたのである。クロマルは行方不明になったと聞いた。捨てたのも同然である。ジイジが「クロマル!」とさけんだのは、ボケはじめたジイジのアタマの中に犬への罪悪感がのこっていたのか。

「お父さーん、オウチに戻ってくださーい」と播磨さんの甲高い声がひびく。ジイジが声の方を見ると、まぎれもない人間の、女性の姿である。しかし、シャワーをあびたかのように汗をかき、ジイジを救おうと殺気だった播磨さんは播磨さんに見えない。勝手口(ジイジの認知悪化が始まってから玄関は封印していた)から入ると、「こんにちわー」と挨拶し、「失礼しまーす」と家に入り、みずからの姿をしめしつつ、「播磨です。いつもクスリを入れている人」とジイジの顔をのぞきこむようにして播磨であることを了解させる。

 いま炎天下の畑の中、そういった手続きは一切なしに女はあらわれた。ジイジは混乱した。草の中からあらわれた女はクロマルの遠戚かもしれないと焦った。「ワォォォォォォォー」。混乱したジイジは草刈りガマを播磨さんに投げつけた。「キャー」。カマは播磨さんの足元に落ちた。これは不幸中の幸いであった。もし、カマが、播磨さんの顔にでも刺さっていたなら、ジイジは正当防衛のつもりでも、ただではすまなかった。

 以上が炎天下の草刈り騒動の顛末である。私はその場にいなくて、播磨看護師やヘルパーさんから話を聞いただけなのであるが、おおむね間違っていないはずだ。

 騒動から一週間後、服薬カレンダーにクスリをセットする播磨看護師と出くわした。一週間前の草刈り騒動の話になり、「見捨てておけなかった」という播磨さんからくわしい事情を聞くことになった。播磨さんはあの日、ジイジを家の中に入れ、熱中症がいかに怖いかを語り、エアコンをこまめに使う、水分を多めに摂る、休憩をじゅうぶんにとるなど、熱中症への対処法をこまかくおしえた。ジイジはおとなしく聞いていたが、帰り際、「説教、ありがとうございます」と言ったとのこと。「それも衝撃でした。そういうことはいつまでも忘れない」と播磨さんは唇をかむ。

 普段の会話がスレ違い気味になるジイジなのに、皮肉だけはちゃんと言う。そのへんもなんだかイヤな感じである。看護師の無念はよくわかる。私はアタマを下げた。播磨看護師はさらに、ジイジを放置して帰ったヘルパーを「信じられん」と糾弾する。播磨さんが電話をかけると、ヘルパーは「次の方が待っていますので、対応できませんでした」と釈明したという。私は黙って聞いていた。騒動の原因はジイジの無謀にあるのだ。

「遠くの親戚より、近くの〇〇さん」というフレーズを私は多用するようになった。感謝の気持ちというのはストレートには伝えにくい。感謝の念をやわらかく伝えるには芝居じみた仕掛けが有効である。たとえばヘルパーの田口由美さんが来ているときに、「俳句をちょっと思いつきました」と注意をこちらに引きつける。一体何のことかとけげんな顔の田口さんに「遠くの親戚より、近くの田口さん」と句を読みあげるようにして言う。田口さんは喜ぶ。これはほかの人にも効き目があって、〇〇のところに、「南さん」とか「播磨さん」を入れる。例外なくウケる。笑ってくれるとこちらも気分がいいのだが、ウケるのは一回こっきりである。なにか、もっと、気の利いたメッセージを送ることはできないものか。

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