◇ロード・ムービーじゃあるまいし
徳島菊水病院に行った日の二日後の五月二三日、私は博多行の新幹線に乗っていた。大病のジイジに寄り添いたいところではあるが、私の拠点は福岡市なのだ。いったん福岡に戻って態勢をととのえねばならない。
福岡に向かう新幹線の窓際で、どうしたものかと沈思している私のスマホが振動した。菊水病院からの電話である。デッキに走って、列車の轟音の中聞こえてくる看護師らしい声に耳を澄ます。阿波白鷺病院での診察日は五月二八日に決まった、と知らせてくれる。私としては強行軍だが、気持ちの面ではひとまずは落ち着いた感じもある。
こうなると阿波白鷺病院のことでアタマはいっぱいである。
どうやって八〇キロ先の白鷺病院まで行くか。まず鉄道が考えられる。ジイジの家に近い駅から、JR四国の特急・剣山に乗り、白鷺病院の最寄りの駅まで、約一時間四〇分。駅への行き来はタクシーを利用せねばならない。足の弱ったジイジ同伴を考えると、鉄道はいかにも面倒くさい。
徳島県のほぼ中央を吉野川が西から東へ流れている。吉野川に沿って北岸と南岸に県道が走っている。ジイジの家から北岸を東にすすむと鳴門市、南岸を東にすすむと徳島市につく。ほとんど信号もない一本道。白鷺病院まではトイレ休憩込みで、二時間弱の道のりだ。クルマで行くことにした。ネットで調べたところ、白鷺病院には大きな駐車場が複数あって、混雑時間帯でも待ちさえすれば、停められそうである。
五月二八日の白鷺病院は午前一〇時の診察である。道も病院も混むだろうから、午前七時半には出発することにしていた。「ワシは家におる。お前、行ってこい」などと口にして、当事者意識が薄いかに見えたジイジも、遠距離の未知の病院に行かねばならないということを実は理解していて、この日は午前三時ごろから起きてモゾモゾしていた(それを知っているということは私も同時刻には目覚めていたということだ)。
普段自力で朝食をつくるジイジがこの朝は何もしない。「お前、してくれ」と言う。うどんを食わせ、家内徘徊やトイレ排泄で落ち着かないジイジをクルマに誘導し、午前七時四〇分になんとか出発することができた。
熱中症を警戒してペットボトルのお茶を持たせた。道の駅などでトイレ休憩もする。足が腫れてから心臓の負担軽減のため丸上医院で利尿剤を処方してもらっていたが、早朝の服用はやめて、徳島市に到着後に飲んでもらうことにする。出発前に飲んでしまえば小便が頻繁になってトイレに苦労しそうだ。早朝なので商業施設もそう開いていない。
丸上の利尿剤はよく効く。利尿剤の服薬をはじめて二日目、ジイジがソファで硬直したかのように起き上がれなくなったことがあった。午前中からの暑さもあり、脱水症状に陥ったようだ。丸上医師は「うーん、クスリが効きすぎるのかなぁ。しかし、減らすと心臓の負担が増しますからね。水分を多めにとることにして、ちょっと様子をみましょう」と言った。利尿剤にカラダが慣れたのか翌日からジイジの体調は平常に復した。
ソファにいる大半の時間はうたた寝しているジイジである。クルマに乗れば寝るものだと思っていた私は、時々ジイジを横目で見る。目は半開きであるが、寝てはいない。私は緊張しつつクルマを走らせていた。線路と並行している道である。JRの車窓から見た光景の中をいま自分がクルマを走らせている。川沿いを走るので時々絶景といえないこともない景色が左に展開するが、私は見る余裕がない。
穴吹駅近くを通る。JR徳島線の阿波池田~徳島駅行程のほぼ半分の地点である。ぶどう饅頭ビルで徳島県人には有名だ。穴吹に到着した際に列車の中から駅舎の方に顔を向けると、駅舎の向こうに古めかしいぶどう饅頭ビルが高々とそびえる。いつも変わらぬその姿は、それなりに町は繁栄しているのだと思わせる力があるのだが、クルマでビルの近くを通って、たたずまいをしみじみ観察してみると、付近にはめぼしい建物もなく、人の姿もない。ぶどう饅頭ビルは芝居の書き割りさながらであり、穴吹は徳島線沿線のよくある寂れた町のひとつであった。
そんな穴吹を過ぎて数分たった頃、「木屋平じゃ」とジイジが言った。はっきりと地名を言ったので驚いた。空虚化するジイジのアタマの中にまだ地名など情報を収納するスペースがあるのかと思った。まっすぐ進行すれば「徳島市」、進行方向右に「木屋平」とある。あとで木屋平を検索してみると「標高一九九五メートルの剣山山頂から穴吹川渓流沿いに開けた奥山の里」とあった。
「木屋平って、なぜ知っているの?」
「郵便局の仕事で来たんじゃ。若い頃」
いつごろの話かはっきりとは分からないが、ジイジが郵便局に勤めだした頃のことであろう。いまから七〇年くらい前の話だ。初めて聞く話である。
「当時の郵便局はどこでも、月に二回に分けて給料を支給しておった。いまみたいに簡単ではないからのー。給料の計算にワシはあちこち出向いてたんじゃ」
ジイジは阿波池田郵便局に勤務していた。同局は徳島県西部を管轄する拠点局だったらしい。書類を照らし合わせて給料を計算する若き郵政事務官であるジイジを想像した。いまでは給与の計算などすべてコンピューターにお任せなのだろうが、ジイジが従事したという手計算の給料というのは想像しただけでタイヘンそうだ。出向いて計算するとなると、現地の人から聞き取りもせねばならず、手間はかかっただろうが、生身のふれあいがあったから充実していたのではないか。
ジイジが警察に保護された件。ジイジがクルマを東に向けた、というのは分かるような気がする。木屋平に限らず、貞光や美馬など県西部はジイジの魂のふるさとというべきなつかしい土地なのであろう。人間トシをとると昔に返るというが、文字どおりクルマで昔に返ろうとしたのだろうか。
それにしてもなぜジイジは「木屋平」などと口にしたのか。ジイジの郷愁が「木屋平」の漢字三文字となって噴き出した感がある。格別の思い出があるはずである。秘境の空へと思いをはせるジイジ。具体的な記憶をたどるのは難しそうなジイジの顔つきではあったが、もう一押しして、もっとジイジの思い出話に耳を傾けるべきであっただろうか。ヘタなロード・ムービーじゃあるまいし、と思う。








