『焼身』(宮内勝典著 集英社刊)を読む

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『焼身』(宮内勝典著 集英社刊)を読む
zeikomi
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僧の姿追い「空虚」に至る 

  四十年ほど前のサイゴンで、世界を震撼させる事件があった。ひとりの僧が頭からガソリンをかぶり、自らに火を放ち、南ベトナム政府とアメリカに抗議の焼身自殺を企てたのである。

 著者が、九・一一事件によって生じた世界の亀裂と変容の中で、「なにか、信頼するに足るものはあるか」という問いを前にして、既成の思想を一つ一つ消去し去った時に、二つの形象が残った。それは絶対非暴力のガンジーであり、著者がX師と名付ける炎に包まれたベトナム僧であった。

 著者はハルビンに生まれ南九州の火口湾の町で育った。十数年をアメリカで暮らした後、現在日本で活動する小説家である。処女作『南風』以来、常に周縁から世界を見るコスモロジカルな視点に貫かれている。

 『焼身』(「すばる」三月号)は一見ルポルタージュ風の小説である。主人公は私立大学の非常勤講師にして作家、ほぼ自身のことであるが、九・一一は著者に衝撃を与えただけではなく、世界に対して関心を喪失していた著者の生徒たちを逆説的に蘇生させた。

 作家は妻と二人、僧の実像を探るベトナムへの旅に出る。妻との間にはエロスをめぐる様々の葛藤があったことが伏せられている。

 人々にいまなお敬愛されているX師こと「クアン・ドゥック」には、伝記すらない。しかし謎は次第に解きほぐされ未知の扉が開かれてゆく。そのことは本書を読む快楽の一つなのだが、肝心の僧その人につては人柄さえ解らない。性愛を含めた人間臭い人物を見い出そうとする作家に対して返ってくるのは、禅問答のような「妙」という言葉であり、「仏の生まれ代わり」という答えである。

 旅の終わり、「焼身」が「たったひとりのアジア人の精神力で、全世界を震えあがらせ」るために、仏教会によって用意周到に計画された「焼身供養」であったことが明かされる。しかし、僧その人については「聖なる空虚」であるかのごとく何も分からない。

 そのことが問いとしての人や世界を暗示して、深い読後感を残すことになる。

(2005/03/10 「日本経済新聞」西部版夕刊に掲載)