『隠された風景』(福岡賢正著 南方新社刊)を読む

2005/01/20 『日本経済新聞』西部版・夕刊に掲載
福元満治
2011/09/27

確かな「生」を再確認

 子どものころ家で祝い事があると、飼っている鶏をつぶすのはごく日常の風景だった。私の家では母親が殺し私が手伝わされた。日本では、牛や鶏を屠殺する場面は隠されて久しいが、アジアの国々ではまだ日常の風景として残っている。

 私はパキスタンの山の中とモンゴルの草原で羊の屠殺の現場に立ち会い、その肉を頂いた。パキスタンでは「ビッスミッラー(アッラーの御名において)」と唱えつつ血は大地に流した。モンゴルでは首の切り口から指を入れて頸動脈をちぎり、血は一滴も流さなかった。

 ところが日本では「死」にまつわる風景はことごとく隠されタブーとされる。またその「死」にかかわる者たちは賤視されることすらある。福岡賢正著「隠された風景」は、ひとりの新聞記者が、そのタブーに挑んだルポと考察の書である。私が共感しつつ息を詰めて読んだ。

 本書によると、福岡県動物管理センターで九八年度に捕獲したり、飼い主が不要と持ち込んだ犬猫の内二万千百二十一匹が安楽死させられた。ペットブームやアニマルセラピーが提唱される裏で、毎年数十万匹の犬猫が処分される。そうすることで市民社会の安全の一部が確保されているのだが、小学校からの通報で野良犬の捕獲にいくと、教師から「生徒の前では捕まえないでくれ」といわれ、民家の主から塩をまかれることすらあるという。

 食肉についても同様である。食の必需品である牛豚鶏は当然屠殺解体され食肉として供される。ところが私たちは、他の生き物の「死」によって「生かされている」という事実に目をつぶることで、食肉を「消費」し続けている。

 確かな「生」の感覚を取り戻すためにも、「死」は隠されてはならないという著者の悲痛な思いに希望がない訳ではない。このルポを企画した時、新聞社内部でも反発を危惧する声があった。現場の抵抗もあった。しかし、連載が始まると共感の声が大多数だった。本書は、現在のジャーナリズムの「事なかれ」を旨とする風潮への一石でもある。

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