『水俣学講義』(原田正純編著/日本評論社)を読む

2004/08/05 「日本経済新聞」西部版夕刊
福元満治
2011/09/06

不幸な経験、昇華試みる 

 「水俣学講義」(原田正純編著・日本評論社)を読むと、「水俣病事件」とは何であったのか、という問題と共に、学問というものの本質とは何か、ということを考えさせられる。

 言うまでもないことだが、水俣病はチッソという企業の工場廃液によって

不知火海一帯が汚染され、数万の人々が甚大な被害を受けた世界史的な公害事件である。しかもそれは一私企業の犯罪であるばかりでなく、それを監督すべきであった国家、原因究明すべきであった科学者(医者)の責任が問われた事件でもある。さらにその矛先は、利潤追求や「進歩」のためには弱者切り捨てもやむなしとし、高度工業化社会の果実を享受してきた私たち自身にも向けられている。

 また、水俣病事件は、責任回避と幕引きのために「権力」と「科学的知識」を駆使した「専門家」集団に対し、徒手空挙でそれにあらがった少数に被害者とそれを支え続けた「素人(アマチュア)」の闘いでもあった。

 本書はそのアマチュア精神に満ちあふれている。学生たちへの講義録であるが故に平易であるが、内容は極めて高い水準にある。医者、環境学者、元チッソ労働者、写真家、新聞記者、法学者、在野研究者、生物学者、患者、経済学者などが、専門領域の殻を打ち破る話を展開する。スリリングなのは、無味乾燥な「学問」としてではなく、自分の「生」とクロスさせながら語っているからである。それぞれの「水俣」を語りながら、閉塞感のなかにある若者への熱いメッセージにもなっている。

 本講義が「水俣病学」ではなく、「水俣学」と名付けられるについては、「水俣病事件」を人類史の負の遺産としてだけではなく、人類の「豊かな経験」へと拓いていきたいとする、主催者の思いが込められている。

 講座が開かれているのは、地元の国立大学ではなく私学の熊本学園大学である。しかもその中心人物が長年水俣病に関わりながら熊本大学医学部を辞した原田正純氏であるということの意味は深い。

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