「プサンの市場」
ときどき隣の国の港町プサンにゆきたくなる。
ここには大きな市場が二つある。ひとつは、クッチェ・シジャン(国際市場)。朝鮮戦争の闇市から発展した巨大な雑貨市場である。衣料品から機械の部品まで、ありとあらゆるものがある。
もう一つはチャガルチ・シジャン。こちらは魚市場。博多の長浜市場に柳橋連合市場を加えた規模で、活気あふれる市場だ。一膳飯屋風から露店・屋台まで、ナマコもホヤも、アナゴの刺し身も、その場で食べられる。海沿いには魚貝を山のよう盛り上げた露店が、ずらりと並び、おばさんたちが元気な声で客を呼び込む。値段も、地元の人間、韓国人観光客、日本人観光客と三段階あり、当然日本人が一番高い。
この二つの市場をつなぐ広場があるのが、ナンポドン。ここは毎日が縁日で、射的場、海賊版のカセットテープ売り、ムカデの啖呵売(たんかうり)と、するめや煮込みの濃いにおいの中で、人いきれとエネルギーに満ちている。
ある時のこと、フェリーの税関を抜けると、いきなりおじさんとおばさんがつかみ合いを始めた。見る間に、おじさんがおばさんの襟首をつかんで持ち上げ、そのままの姿勢でおばさんを引きずってゆく。ところがおばさんは負けちゃいない。ずるずる引きずられながらも、すごい迫力でおじさんをののしりつづけた。
その夜、私は魚市場を見おろすホテルの9階に宿泊した。眼下に港が広がっている。ぐっすりと眠っていると、女の叫び声がする。意味は分からない。夢心地のなか、罵声の連打でようやく目が覚めた。午前2時を少しまわっていた。
窓から見おろすと、声の主はホテルの前の歩道にいる。50代とおぼしき女性で、道行く男たちをののしっている。ホテルと魚市場の間には、非常時には滑走路にでも使えそうな広い道路があり、ひっきりなしに車が走っている。
アジュモニ(おばさん)は、椅子を片手でひっつかむと、車の流れに割り込み、その道路の中央に、どっかり座り込んだ。それから再び彼女は、歩道の男たちや行き交うドライバーを、罵倒し始めた。相当酔っているようだが、声は見事にとおる。
「おまえたちそれでも男か! キンタマあるのか!」と言っているように聞こえる。
時には椅子の上に立ち上がり、演説をぶつ。パトカーもやってきたが、アジュモニの迫力に押されるように行ってしまった。
そのうち徐行していた一台が停止して、アジュモニとの舌戦に応じた。ほんの一瞬のことだった。あっという間に眼下の道路は渋滞し、びっしりと車で埋まった。後はクラクションの嵐だった。
お巡りさんがやってきて、アジュモニを慰め、やさしく両側から肩を抱えて退場するのに、2、3分だったろうか。
私は、絶妙な一人芝居をみる観客だった。
うかつにも、プサンが福岡市の姉妹(行政交流)都市だということを知ったのは、最近のことだ。ここには私たちが失った、妹(いも)の力がまだ渦巻いている。
1995・8〜12
(石風社刊 『出版屋の考え休むににたり』
「博多 バブル前後 1990年代」より再録)