「石風亭日乗」
前号(三月発行)の「スパイダーズ・ネット」に去年の花火大会のことを書いたばかりなのに、すでに今年の花火大会は終わり秋風が吹いている。
前号以降の石風亭を駆け足でたどれば、月見もあれば花見もあった。もちろん花火大会もやった。頼まれてベリーダンスの会も開催。客の半分以上は女性。男を挑発するダンスが、女性を解放することを再確認。
月見は福岡城汐見櫓をわが庭の如くあしらい、絨毯なぞ敷いて風流を決め込んだ。月明かりだけで飲む宴は、酒量が計りがたい。この夜は同業A書院の女性三人も加わりキムチ鍋。「日経」のマツモトさんの持参した東北の銘酒で一気に酔いも加速、二次会を石風亭に移した頃にはぶっ倒れておる者もおった。
この石風亭、いっさい客引きしないのだが、毎週誰か新しい人間を連れてくる。アルマーニのお姉さんに美容院のお嬢さん、ネイルアーティストなんていう人も来た。M堂書店のフジムラ君などは一時期1000円ポッキリで飲める会員制のクラブと勘違いしていたふしがある。最近では、インドネシアで潜水艦に電力供給のエンジニアをしていたという米人マイクが、手料理など持参で皆勤だ。
さて話は突然変わるが、7月○日(木)、亭主は大失策をやらかしてしまった。石風亭閉店後の深夜、キヨテル君行きつけの六本松の飲み屋でのことである。7人掛けで一杯になるカウンターの左隅に坐っていた中年男と並んで亭主とキヨテル君は坐った。男は「もう人生くたびれました」という風情を全身に漂わせていた。一言も交わさないうちに、男は両手に大きな紙袋を二つづつさげてごそごそと出ていった。
そこで2時間ほど飲んで、店を出ようと足元のカバンを探すが無い。少し酔っていたので、タクシーに忘れたかと思ったが、隣の紙袋男が間違って持って行かなかったか、ママに言づてて店を出た。
その夜のうちにタクシー会社に遺失物の連絡をして、翌日カード会社や銀行に連絡した。カバンには、カード・銀行通帳に印鑑・印鑑証明、おまけにパスポートまで入っていた。8月に行くモンゴル行きのビザはすでに申請してあったので、出てこなければ再発行の手続きも必要になる。
ガキの頃オヤジに言われた「気が利いているようで間が抜けている」という言葉が甦る。カードや通帳も不正使用されてないという確認は取れたので、警察にも一応紛失届をし、出て来るだろうと楽観した。
月曜日、銀行に印鑑の変更届を出しに行き、紛失届を出してない通帳があと二通あったことに気づいた。窓口で、「そちらも引き出されてませんよね」と尋ねると、明るく(わが主観がそう捉えた)「いえ引き出されてます」。亭主の頭の中でパトカーのサイレンが鳴り始めた。テキは表情も変えない。「どうも不正使用されたようですので、伝票とか引き出し時間とか教えていただけますか」「警察を通じてでないとお見せできません」。木で鼻を括(くく)るとはこういうことだという見本の応答である。
当方にミスはあるものの、客の財産を預かっている者の言葉ではないという憤慨を飲み込んだまま、派出所で盗難届を出した。
翌朝、朝風呂に入りながら事態を反芻した。紛失届を出した通帳①と不正引き出しされた通帳②のうち②の通帳は直接取引しているA支店でしか引き出せない性格の通帳である。推理するに、犯人は最寄りの某支店へ赴き、①②の通帳から同時に引き出そうとして、窓口でこう告げられたはずである。「お客様、①は紛失届が出ていますので引き出せません、②はA支店でしか引き出せません」。カード会社のセキュリティ・システムであれば、この時点で当方に確認の連絡が入るはずである。ところが銀行には他人の財産を預かりそれでしのいでいるという自覚がない。ゆえに客のためのセキュリティ・システムもない。
頭にきた亭主は、出社後銀行に電話を入れた。事務所を訪れた担当者と支店長代理は、御説ごもっともと神妙に聞いたあと、実はと紙袋から伝票の束を取り出した。その結果有り得べからざることが発覚した。不正引き出しした伝票をよくよく見ると、亭主の名前が間違っているのである。
「福元」の元が「本」になっているのだ。しかも本人確認のための裏書きでは正しく「福元」になっている。つまり窓口が、まず印鑑とのチェックを怠り、ついで裏書きとのチェックを怠り、「伝票上も全くの他人」に当方の貯金を渡してしまったのだ。
先日の「木で鼻を括った」態度とはうって変わって、ヒラグモ状態になり、防犯ビデオもお見せしますので、盗難届は取り下げて欲しい、被害額も弁済するという。当方は、銀行のミスの重大さは推察できたので(しかもこのご時世だ)、ことは荒立てない、但し銀行が盗難の事実を認め犯人の捕獲を保証できなければ、警察権力を使わざるを得ないと告げ、防犯ビデオを見ることにした。
その日銀行の業務が終了した午後七時、飲み屋のママさんと共に、ビデオを見た。犯人は、銀行が閉まる直前の十五分程映っていた。男はソファに座って不安を紛らすためか、なまあくびを繰り返す。その男をひと目見るなりママさんが声を上げた。「あ~、あの男や」。紛れもなくビデオにはあの紙袋男が映っていたのである。
(1998・9)
(石風社刊 『出版屋の考え休むににたり』
「博多 バブル前後 1990年代」より再録)