博多バブル前後(16)

1995/08-12 石風社刊 『出版屋の考え休むににたり』「博多 バブル前後 1990年代」より再録
福元満治
2014/04/21

「石風亭日乗」

 七月某日(木)
 石風亭は毎週木曜日に開店する。この日は、わがビル7階に事務所のある探偵アカシが、ベトナム料理の生春巻きを作った。乾燥した直径25センチほどの春巻きの皮を手につけた水でもどし、その中に豚肉や椎茸に海老、ソーメンなどの具を入れて巻く。実に手際がいい。薬味は韮(にら)やミントなど。それをニョクマムや味噌にピーナッツ・パウダーを入れたタレで食べる。皮つやつやと腰があって美味い。中国人はなまものは食べない。よって揚げ春巻きとなった、と蘊蓄(うんちく)もさりげない。

 アカシは弱冠28歳ながら、4年前カンボジアの村に小さな小学校を作りそこの校長先生になった。学校の名は「サカバ小学校」。潰れたら酒場にすればよいというのが命名の由来だ。どうして小学校なんだと訊くと、「子どもたちが自分の将来になんの希望も持っていなかった。世界は広く、仕事だっていろいろあるのだということを教えたかった」という答えが返ってきた。昨年一年間は村に滞在し先生達の飯炊きをしていた。料理がうまいはずだ。

 石風亭は、木曜日の夕暮れになると開店の準備をする。といっても笠の付いた白色灯に灯(ひ)をいれ、蛍光灯のスイッチを切るだけである。5階の窓から夕暮れる平和台球場などが見えいい雰囲気だ。6、7人でいっぱいになるテーブルを囲んで開店である。なぜ木曜日かというと、編集のナカツが木曜日だけ保育園への娘の迎えを旦那に代わってもらい、午前様になってもよいからだ。

 でかい生春巻きを5個も喰ったというのに、常連のワタちゃんがなかなか来ない。9時過ぎに探偵の携帯にワタちゃんから電話が入る。バイトが来ないので12時半まで勤務が延びたという。ワタちゃんは駐車場のチーフとしてバイトの勤務時間の采配をとっている。しゃべりがなぜか山下洋輔さん(聖飢魔Ⅱという説もある)に似たサックス吹きで、時折「逆流するリビドー」などと哲学的言辞を吐く。

 探偵アカシと我が社のフジムラは今年の山笠(7月1日から15日)に東流から出たので、話題は追い山。フジムラは22歳、その体力を見込まれて初めての参加ながらいきなり主力部隊に組み込まれたようだ。バイトを始めたのは3三年前で、今年の春地元Q大卒業の予定が、単位が足らず延期。ちょうど山笠と集中講義が重なり、朦朧とした頭で、教室では仮死状態だったはずだ。

 そうこうするうちに翻訳家のKさんが現れる。キヨテル君から聞いたということで初参加。もちろん石風亭は一見(いちげん)さんでも断らない。初対面ではないが、ゆっくり話したことはない。彼女が5年前講談社から翻訳出版した写真集『恐れずに人生を──エイズ患者からのメッセージ』(写真・ビリー・ハワード)が2刷5000部で絶版になっているという。講談社は「後はご自由に」ということなので新しい編集で出したいとの意向。検討を約束する。

 すでに、常連のミニスカのたかこ、もうすぐ関東に帰るあさこ、飲むと確実にテンションが高くなるりょうこも揃う。りょうこは先週の石風亭では、シャッパ(シャコの巨大なやつ)を頭からバリバリ喰っていた。11時を過ぎると、建築家のヤマザトやキヨテル君も現れる。
 生春巻きも残り少なくなったので、亭主が、貝柱(冷凍物)をシメジと椎茸でいためた無国籍料理を作る。塩は使わず酒とコンソメスープで味付け、彩りにオクラを加え、最後にバターを入れて黒胡椒してできあがり。

 12時半を廻ったところでくたびれた顔でワタちゃんが現れる。危うく朝までの勤務になるところだったという。

 石風亭の夜はまだまだ終わらない。

(1997・8)
(石風社刊 『出版屋の考え休むににたり』
「博多 バブル前後 1990年代」より再録)

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