『暴走老人』が描く犯罪増「情報化への拒否」の背景
『暴走老人』(藤原智美 文芸春秋)は、頻発しはじめた老人犯罪をめぐるルポルタージュではない。高齢者の犯罪や感情爆発の背後にある、ネット・携帯による情報化や医療のサービス産業化という、社会の急激な変容を考察したものである。
いつの時代でも、老人とは分別のある者と見なされてきた。七十にして心の欲するところに従って、矩をこえず、である。ところが齢をとるとは、時代の最新情報・技術からズレ続けることであり、更に定年後の生活にうまくシフトできねば、強いストレスに見舞われる。
一歩街へ出ると、犯罪には到らないまでも、突然激高する初老の男たちを見かけることが多くなった。著者は、税の申告会場や量販店のサービスカウンターで、テーブルを叩きながら怒鳴り続ける老人を目撃する。理由は係員のちょっとした言葉遣いや待ち時間の問題だったりするが、男たちの怒りは尋常ではない。筆者も空港の手荷物チェックの女性担当官に「そのもの言いは何だ!」と激高し続ける初老の男を最近目撃した。著者の知人の女医の話によると、病院では医者や看護師に殴りかかったり、蹴り上げたりする男たちが増えているという。
統計では青年の凶悪犯罪は一九五八年をピークに減少しているのに、二〇〇五年に刑法犯で逮捕された六十五歳以上は、十六年前の五倍という(高齢者の人口増は二倍)。
原因について、作家である著者は情報化社会の時間、空間、感情の急激な変容への不適応として考察する。それは携帯やメールに象徴される電子的な情報環境への身体的抵抗や拒否であり、孤老化が生み出した心の荒涼たる風景であり、新しい社会システムへの感情の不適合である。
情報化社会の地下では、「人間の内面=感情、情動のあり方が地鳴りを響かせながら揺れ動いている」と著者は言う。
であれば、「不適応」による暴走は、老人に限らない。それは、電子的情報環境に違和を蓄積しつつある「身体的なものたち」の、反乱の予兆であるように思える。