じっと手を見る

booktitle
じっと手を見る
zeikomi
¥0円

 8月9日(日曜)、猛暑のまさに真っ盛りだった。筑前大分駅前に着くと、すでにMr.アラン(21歳、世界スカウトジャンボリー後にこちらに来たメキシコ人)が階段に座って待っていた。横にパンパンに膨れた縦長のリュック。黒い髪、褐色に日焼けした彫りの深いどこか懐かしい顔、大きな目がきらきらと優しい光を放っている。中背、がっしりとして手足が太い。同乗していたハッサン(雌犬、5歳8カ月)は即なついた。メキシコシティーに住む学生、専攻はバイオロジー。
 一番の心配はこの暑さ・湿気だった。メキシコというと単純無知な私など太陽がギンギラの草原・岩場等を思い浮かべるのだが、メキシコシティーは高地にあって日本よりずっと涼しい。第一ラジオの深夜放送で時々世界の主な都市の最低・最高温度を聞くと、東京より暑いところなどない。シンガポール然り、ニューデリー然り。中国もフィリッピンも。日本の中でも沖縄のほうが福岡より涼しい。
 土間は昼間もそう暑くない。ハッサンはテーブルの下の地面を掘って、すっぽりと土に抱かれて昼寝した。人間が横たわるほどの空きはない。妻は上の部屋で息を潜めるようにじっと耐えた。私は蚊取り線香と枕を持って栗山の「別荘」に避難した。もと鶏小屋、1メートル近く積った鶏糞は発酵しきってまったく臭わず良質の断熱材に。コンテナを並べその上に古畳を敷いて大の字になった。天井はなく屋根はトタン、それらをなでるように上に分厚く茂ったクヌギやコナラ等の枝葉が風に揺れる。四方は金網、風は自由、私の身も心も。
 アランの部屋である丸太小屋は、自生したネムの巨木が高々と茂っているので案外涼しく夜の蚊帳の中はもちろん、昼間も休息できたよう。
 朝、6時から9時、午後は3時から5時、極力日陰で仕事をしてもらった。まずは草取り、これが遅々として進まない。3時間かけて畳2枚くらいか。鶏小屋の肥料を袋に詰める次の作業はそれなりに進んでいるのでサボっているわけではなさそう。要するに草取りは初体験だったのだ。最初から任せてしまったのがいけなかった。
 草と言えば自然農法のまねごとを始めて1年。改めて草と付き合うことのむずかしさを痛感している。春の晴天続きのときは畑はガチガチ、ろくに草も生えず。梅雨は長く、雨量も多かった。それでも時々は草を刈り、畑に敷いていたのだが、明けて高温続きで一気に畑全体が草の林に。最も頼りにしていたニラがなぜかさっぱり伸びず。ナスとピーマンは虫の害もあって成長せず。かぼちゃは出足でつまずいて4分の1以下の収穫。枝豆は丈ばかり伸びて実がつかない。連日あちこちに自生したふだん菜ばかり、のちにオクラ・ツルミドリ・モロヘイヤ・そしてゴーヤのお世話になった。
 花オクラだけは今も豊作が続いている。毎朝収穫し、その日のうちに調理しなければ、色あせしぼんでしまう。一番簡単でおいしいのは、塩か醤油かマヨネーズか好きなのを畑にたずさえ、取ったそのままを食べる。一番たくさん食べる方法は、熱湯でゆで、水洗いし、しぼって叩くように細かく切りワサビ醤油か酢醤油(七味かユズコショウ、ごまを加えるのもいい)とかき混ぜる。納豆かとろろの気分。
 どうも自然農法はなまけ者の私には合わないようだ。毎日全部の畑を見回り、草を刈り敷く覚悟でないと。それに何十年と蓄積された良質の肥料が元鶏小屋に有り余るほどある。普通農法も結局中途半端なシロウト農法で終わってしまっている。秋冬野菜の種まきは原点に返ることにした。草を取り肥料を入れ、耕運機で起こす。鍬で畝を立てて溝を切り下肥を水で薄めたものを流して土を湿らせ、土ともみ殻をかける。ただし半分ほどの畑は自然農法を続けるつもりだ。せめて3年ぐらいは続けないと「実験」にもならない。
 アランはしり上がりに頼もしくなっていった。なにしろ丁寧だった。ところどころに生える細いアスパラガスをきっちりと残して、密に茂る草を一本残らず取った。ラッキョウの小さな球根も一つ一つ印をつけて残して。食器洗いも鍋や釜の底まで磨いてくれた。
 ただ一つの難点は甘いものを摂り過ぎること。彼個人と言うより家庭(あるいは社会)の習慣のよう。食事時に必ず甘い飲み物(うちでは自家製の梅ジュース)をお茶あるいは水のように飲む。本人の問題、言っても関係が悪くなるだけと私は止めたが、妻はわが子のことのように心配してとうとう
「私は小さい時お菓子をふんだんに食べてたから弱い体になった。あなたも身体壊すよ。糖尿病になったら大変よ。」
 彼は本当に素直な眼差しで「ありがとう。」と言った。少しだが飲む量は減った。

 彼が去って3日後のあの久しぶりの台風、いやあ恐ろしかった。前日何の備えもしていなかったので、明けてすぐの6時ごろ、外に出た。木々や草が地面にへばりつくようにしない、ちぎれた実や枝葉が灰色の空に吹っ飛んで行った。屋根の上を雨風が激しく砕け真横に疾走していった。荒尾市に上陸、こちらにまっしぐらという時、なぜか勢いが緩んだ。まさに天の助け、あのまま突き進んできたら、どうなったことか。
 一気に私の心身も緩んだ。たかだか3時間ほどの緊張だが、重い疲れ、足が萎えそう。なんかこう、年を取れば取るだけ、しんどいことが増えるような……。

                2015年9月1日
 
 第2回遠賀川の森コンサート 9月17日午後6時半より
 熊ケ畑活性化センター
 「心を歌う ジャズボーカルの愉しみ」
 うた 市川ちあき

 盆過ぎから涼しくなり、今は秋と梅雨が同居しているよう。くれぐれも台風様、来ないでください。ようやく伸び始めたニラは紛れもなく秋の透き通った緑だ。