素晴らしきバス旅行

重松博昭
2018/04/10

 3月に入って、暖かに。8日は雨しょぼしょぼで少し寒い。早めの昼食をとり福岡市の歯科医院に向った。20年くらい前、重症の歯槽膿漏、総入れ歯寸前で助けを求めた。おかげで半分、歯が残っている。

 JR筑前大分駅前の駐車場で料金を箱に入れようとしていた時、電車が来た。料金が500円に上がっているのに気づき、別の少し離れた駐車場へ、ここは400円のまま。その間に電車は走り去っていった。次までゆとりがありすぎて、駅に傘を置き忘れてしまった。

 博多駅で地下鉄へ。どこもかしこも、まるで無尽蔵のような人工光と人の群れ。時間があれば百円バスにしたのだが。空が、風に揺れる雨が見える。巨大なコンクリートの箱の群れに混じって、せんべい屋さん、やたら大きなお寺……なんだか今ではコンビニが一番生活の臭いがするような。バスの停車と同時にエンジンを切ったときの、時が止まったかのような空白がいい。車窓の慌ただしく動く情景が遠い遠い別世界に。

 3時過ぎ、治療を終え、やんわりと雨に打たれ赤坂門から天神へ歩く。これ以上傘を増やしたくないし金も惜しい。店並みはほとんど変わったし路面電車も消えたが、どことなく5、60年前の雰囲気が残っているような。プロ野球、あの西鉄ライオンズの時代、マイカーなど持っている人は皆無で、ナイター終了後の10時頃、おそらく数千人の歩行者の帯が平和台から天神へと流れた。全体になにかしら祭りの後の静けさといったものが漂っていた。

 天神から百円バス、渡辺通一丁目から裏通りを南へ歩く。10分後左折して橋を渡る。もうこの辺りは静かな住宅地。2、30メートル通り過ぎて引き返す。シンプルな2階建ての前に庭があった。コンクリートでも芝生でも「庭園」でもない。ただの土と草……クリスマスローズが満開のはずだが近眼のせいもあってよくわからない。あと1、2か月もすれば新緑と花々が躍動するのだろう。表札を見るとやはりここが目的地だった。

 すぐに高校時代からの盟友、森寛が出てきて2階へ。何十年ぶりか忘れた。声と目の表情は変わらない。いたずらっ子のように生々としてかつ覚めている。とりあえず元気そうでホッとする。つい先日、呼吸困難で救急車のお世話に、肺機能30~50%、呼吸が止まるのは本当に怖い、死が真近に……と言いつつ彼は500mlの缶ビールをパチリと開け22時間もすればアルコールは抜ける。だが本当に久方ぶりの旧友との酒、次はいつになるか、もう飲めないかも。確か嘉麻市営の桂川駅、上山田間のバスがある。これで帰って、明日の朝、バスで車を取りに来ればいい。

 よっしゃと、一気に飲んだ。中皿に山盛りのポテトサラダは彼の作とか。くどくない素直な味だった。2杯、3杯と飲みながらポツンぽつんと話した。彼は10年前、古本屋をたたんでからも、本が生涯の友。最近、印象に残ったのは、絵本作家、田島征三のエッセイ、年を取れば取るほどに楽しくて仕方がない、空っぽで軽々とした貧乏暮らしが……てな話でしたよね。

 窓を開け、庭を見た。花木、宿根草、種から育てる一年草、40種以上咲かせている。どこやらから飛んできた種から緑が吹き出、花開くことも。小鳥たちも、この博多のどまんなかにけっこう来てくれる。メジロ、ウグイス、シロハラ、シジュウカラ、ジョウビタキ……朝のコーヒー、最高にぜいたくな時間……。

 傘と熊谷達也の本2冊を借りて5時半前、雨の中に出た。博多発6時、予定通り6時34分に桂川着。バスは37分発、あとはない。慌てふためいて改札口を通りすぎたとき、後ろから優しげな声、振り向くと若いキュートな女性、薄汚れた財布を差し出す、なんか見たことあるような、なんと俺の、ホームで落としたのか。礼を言う暇もなく彼女は去っていった。さて、駅を出て右へ、西鉄等のバス停が並んでいるが、肝心の嘉麻市のバス停がない。闇が濃く冷たくなっていく。とうとう40分を過ぎた。

 あきらめて、電車で新飯塚へ。もし財布がなかったら、ゾッとする。新飯塚駅を出たとき、車のライトが冷たい雨の線を照らし出していた。駅前の西鉄バス停の時刻表がほとんど見えない。年を取ったことを心細く実感する。切羽詰まってそばに立っていたうら若き女性にお願いすると、彼女はスッと近寄ってきて 「上山田線は7時2分、今7時ちょうどですよ」と実にすっきりと柔らかな声。

 すぐにバスはやってきた。幾人かがてんでに座っている。闇をバスは空気のかたまりのようにのんびりと移動し、ふと休止し、1人、2人と闇に降ろし、やおら再び走り始める。なんだか常にないゆったりと嬉しい気分、これもあの2人の女性のおかげだ。4、50分後に終点の上山田に着いたとき、乗客は私1人だった。

 翌朝6時、真っ暗闇のなか、懐中電灯と傘を手に雑草園を出発、峠を越え熊ヶ畑に下りると、遠くにバスの灯りが止まっていた。ちょっと早すぎた。桂川行きはこの次、そのバスが走り出すころには灰白色の夜明け。山田で4人が乗り込む。皆親しい常連のよう。途中で1人降り、桂川に着いたときは私も入れて4人。ええっと驚いた。駅を出て左側に広々としたバス停があったのだ。

 ざっと30分かかって300円(西鉄の約半分)、ガソリン代も駐車料金もいらない。もっともっと利用しなきゃ損だよねえ。通勤通学はもちろん、例えばぶらり1日ビールの旅などに。

 最後は電車でJR筑前大分駅へ、残念ながら傘は残っていなかった。

 

      2018年4月6日

 

追伸

 嘉麻市営桂川駅バス停は駅を出て右に移動したとか。まだ確かめていません。

石風社より発行の関連書籍
関連ジャンルの書籍