春 一番

重松博昭
2015/03/06

 われながらくだらないへ理屈が多すぎるとつくづく思う。せっかくの食事の団欒が私と妻の「論争」で台無し、の一歩手前でまどかさんがいつものように椅子を静かに引いて立ち、後かたづけを始める。絶妙のタイミングだ。これで27歳、雑草園に来て1週間、どちらが年配者かわからない。よく人の話を聞く。いかにも楽しげに、子どものように興味深げに目を見張って。ハッサン(雌犬、5歳)とも最初から響きあったよう。1月下旬の底冷え、寒風のなか、露天同然の五右衛門風呂にも果敢に挑戦、泉のようにわく薪の火のぬくもりと煙の香をいたく気に入った様子。燃やし方もすぐに覚え、毎朝薪ストーブを焚きつけ、折を見てクルミをその上で焼き、殻を割り、小さな実を取り出してくれた。まるで耳垢をせせくり出すような繊細な根気のいる作業なのだが。 
 彼女は菓子作りのパティシエだった。さっそくパウンドケーキやスポンジケーキを。とにかく基本に忠実に、分量を正確に、すべてに手を抜かないこと。すべて私の反対。いい勉強になった。残業残業で薄給、辞めざるを得なかったとか。どうなっとるんじゃ、この日本は。こんなしなやかで誠実な若者が一日中働いて食っていけないなんて。国民の生活、生命を守るのが国の第一の務めじゃないの。
 9日間共に暮らして彼女が発った1週間後、スペインからMrガロ(28歳)。典型的「白人」ではない。我々アジア人にも親しみのもてる味わい深い知的風貌、背は少し高い、なで肩のどちらかというと細身の筋肉質。
 彼が到着した日の夕方、熊ケ畑での散歩の途中、ハッサンが山の中に姿を消し、追ったガロも帰ってこない。外から見れば何ということもない雑木林だが、中に入ってみると、暗くうっそうと乱雑に執拗に大小の木々が生え茂り道などない。人を拒絶している。というか我々人間が森を忌避・破壊しているのだが。こちらまで迷いそうになって早々に山を出た。幸い、ガロは、その後にハッサンも無事帰ってきた。
 彼は山歩きは熟練で方向感覚も確か。ケータイはおろか時計も持たない。妻が聞くと腹時計があると答えた。あちらにもそんな言葉があるのだ。自分自身の勘、全心身の感覚・判断を大切にしたい。それでもって生きていきたいといった風なのだ。妻も私も大いに気に入った。自立している。すべてこちらのことを考え、しかも自身のペースで確実に楽しくやってくれた。一番助かったのは薪だった。妻が土間の寒さに悲鳴をあげ、厚手のストーブに換えた。これだと一日中ほんのりと温かいが、大量の薪がいる。彼は暇さえあれば太い枯れ木を鋸で挽き、斧で割った。 
 唯一の難点は小麦アレルギーだった。その難を福に転じようと、新しいことを試みてみた。まず昨秋できた大豆を炒って冷まし、製粉機で黄粉にした。芳しい澄んだウグイス色、ふんわりと甘く砂糖がいらないくらい。次が肝心の米、製粉機のふたを開けると、きめの細かい真っ白の粉が表われた。黄粉あるいはゴマ団子はもちろん、お好み焼き、ホットケーキ、かりん糖……とすべて米の粉、妻が奮闘した。小麦のようにかっちりと膨れないが、もちもちとしかも歯切れのいいどこかさわやかな食感。圧巻は餃子、といっても私のこね方も悪かったのだろう、ブチブチと切れて薄い皮で包むことができず、饅頭あるいはシュウマイになってしまったが。それでも蒸すと上品に透き通りさっくりと深い舌触りだった。もちろんガロは噛みしめかみしめきれいに平らげた。じんわりとドブロクを味わいながら。
 2月も後半に入って、妻が心待ちにしていたスノードロップの優美な白が2つ3つ開いた。小さく可憐で今にも落ちそう。梅は5分から8分咲きに。くっきりと清楚、満開の過剰より私は好きだ。柿、栗、クルミ……とまだからっぽだが枝々の先が膨れ始めている。小鳥たちが雲が溶け込んだような白っぽい青空に例年にも増して賑やかに声を響かせている。茶色の体調20センチ、灰色でスラリと尾の伸びた10数センチ、くりっと黒っぽい10センチ弱……目まぐるしく飛び交い枝々に躍動する。畑に入るといつもカラスが2、3羽舞い上がる。地上に出た大根の身が横からえぐり食われていた。ハコベ、オオイヌノフグリ、ギシギシ……と緑が盛り上がり、芥子粒のような白と青の花々が浮かぶ。ガロの最後の一仕事が大山木の移植だった。根を傷めないよう集中して数日かけて掘り上げた。二人で運んだ木の重かったこと。 
 2月25日朝5時42分の電車でガロは筑前大分駅を発っていった。闇に消えていく列車を妻と私とハッサンと白い息を吐きながら見送った。暗い灰色の空の所々で星が冷たく光っていた。

        2015  3・3

 追伸
 3月21日午後7時より、嘉麻市熊ケ畑公民館にて
 遠賀川源流の森コンサート、ハンマーダルシマーとギターの夕べ 
 演奏 亀工房(前澤勝典・前澤朱美)
 
 山々に祈りを

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