「五島、生命の里へ」下

重松博昭
2017/07/07

 5月7日(日曜)、6時起床、快晴。2晩、歌野家の世話になった。7時、朝食、テーブルの上に七輪を置き、炭火でパンを焼く。ハム、卵焼き、生野菜……ここのハム・ソーセージを食べると、市販のものは食えなくなる(懐かしき魚肉ソーセージは時たまつまむが)。肉の味が凝縮され洗練されている。得体の知れない甘み・臭み・軟弱さがない。まっとうな手を抜かない加工はもちろん、豚の飼い方が違う。土に放し、輸入飼料ではなく、病院や介護施設から集めた残飯を焚いて乳酸菌を加え発酵させたものを与える。

 食後、裏山に登ってみた。急傾斜のどこもかしこも大小の石がゴロゴロ。植生がうちとは大分ちがう。落葉樹が少ない。コナラ・クヌギの類がほとんどない。見たことのない密で濃い葉の常緑樹が多い。とりあえずの頂上へズンズン登る。道はないが草はそう茂っていないし大きな岩も窪地もない。息を切らせててっぺんに着いたが、向こう側も見えるのはただ山の群れ。すぐに登ったとおり下ったつもりが歌野家の屋根が見えない。家の左側、下手の道のない深い林に入ったのでは。立ち止まった。物音ひとつしない。すっぽりと山の海に呑込まれてしまったような。右へ右へと下り、ようやく白い道が見えた。結局、登った地点から数百メートル上手の通りに出た。

しばらく昨日の残りの家の周りの草取りをした。アザミが多い。うちの「冬イチゴ」より巨大な葉の群れも。冬ではなくもうすぐ大きな酸っぱい赤が実るとか。ミカンはさんざんに鹿に食われ、なんとか1、2本生き残っている。

「ろくに草取りもしないので、長靴をはかないと家の出入りもできない時もあったのよ」

 啓子さん、目で笑いながらぼやく。こんな所だけは敬さんは私に似てものぐさのよう。というより他にやることが多すぎるのだろう。

 午前11時前、歌野家に別れを告げた。ペロ太が全身を折り曲げるようにして、ノンに名残を惜しむ。敬さんの運転する車で「展望所」へ。これでもか、これでもかと、急カーブを登り詰めた。息を呑むような大空、全方まるい海、島、島、島……。下って、「蛤浜(はまぐりはま)」へ。時間がないので車窓から。まさに絵のような砂浜、そこだけが日が当たっているような。輝く白と青の帯。

 12時半、青方を出港。自由席だが8畳ほどの部屋に私達も入れて4人、ゆったりとした気分で缶ビールを飲み、歌野さんにもらった弁当を開いた。鶏肉とエビの入った山菜おこわ等、甘夏がデザート。

 14時過ぎ、宇久平港、人が倍に。ノン、すみっこに縮こまるように横に。私も眠ろうとしたが、どうにも窮屈。あきらめて甲板に出た。

 雲ひとつない。日差しが強い。一面、光の白が海の青に滲みゆれている。右手の遠く、陸地が氷山のように霞んでいる。だんだんに濃い灰色の山々が現れる。平戸島だ。赤茶の山肌が、やがて緑が見え始める。左側にも生月島が現れる。両島間が狭まってくる。前方に三角形の橋、その生月橋が近づいてくる。なんだか橋げたが低い。船のてっぺんが衝突するぞ。とぼんやりと考えているうちに、ずんずんずんずんと迫ってきた橋の下を、船はあっさりと潜り抜けて行った。1mくらいしか間隔がないように見えた。

 船は九州北海岸をあまり離れずに航行しているよう。16時過ぎ、右手の海岸に風車6基が見えた。その近くにドーム球場のようなのが4つか5つか、オモチャのようでまるで異物……どうも玄海原発らしい。はるか遠く豆粒のようにしか見えないが、もしこの限りなく凶暴なエネルギーが解き放たれたら、この延々と広がる世界全体の根っこまでが破壊し尽されてしまう。遠い未来までも。やはり人間は科学技術を手にするべきではなかったのだ。せめて人間が、自身の愚かさ、弱さを、骨の髄まで感じることができたなら……自身が、間違いを、過ちを、永遠に繰り返す存在であると、知り抜くことができたなら……。

 日が低く、赤くなった。光が面になり、川になり、光の大河が、船の後ろへ後ろへと流れていく。

 全面、ただ海と光……その真っただ中、一艘の小さな漁船がゆっくりと泳いでいく。無数の光が、透き通った白い鳥たちが、海面すれすれに滑るように飛んでいく、空に翔け上がり、また海へと……。

 

 6月に入ってすぐ、歌野家の次女、ようさんが雑草園を訪ねてくれた。福岡市で漢方(鍼・灸)を本格的に学ぶとか。細身であまり体は強くないらしい。全体の印象が啓子さんそっくりでしなやか。ハッサンとは一目でスーと、ノンとも意気投合。夕食のコロッケ、翌朝食の玄米と呉じる(その呉を加えてほんわりとした卵焼きを作ってくれた)、それに桑の実はことのほかおいしそうに食べてくれた。

彼女は一旦は日本を離れ、様々の経験を経て、今は五島の小値賀島で暮らしている。やはり、農、食、医、土台から創っていくしかない。エネルギーも介護も政治も……。

 幸い、彼女がいる間、毒ガス臭はほとんど流れて来なかった。5月28日、近くの産廃中間処理施設で大火事、まだ鎮火の目途さえたっていなかった。お隣りの産廃場も十倍拡張が進行中。やけくそだが、この産廃問題をふるさと再生の起爆剤にしたらどうか。産廃場をどうするか。どうふるさとを創っていくのか。これから先、どう生きて、どう死ぬのか。私達ごく普通の弱い一人一人が、自身で考え、できるところから行動し、発言する。一番の問題は、その一人一人がどう結びつき、大きな流れをつくっていくか……。

 

 ほぼ一カ月の日照り続きで、畑はカチカチ、ナス、ピーマン、キウリ、エン菜、オクラ……と青息吐息。そんな中まさに恵みの果、でした。野イチゴ、ぐみ、桑の実、梅、杏、そしてビワは何十年ぶりかで口にしました。要は他も大豊作でカラスがうちに来る暇がなかったというだけの話なのですが。ビワの木に登り、ちぎり、かぶりつく。たいして甘くもないのですが、身も心も生き返る、泉のように湧く果汁なのです。ただシアワセの一語につきます。

             完

                      2017年7月1日

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