急に賑やかになった。一月も後半に入って、ドイツからMs.アレクサンドラ(20歳)さらに台湾からMr.福(33歳)が雑草園を訪れてくれた。正直、心配でちょっと重苦しい気分だった。よりによって厳寒期、丸太小屋はわがバラックに引けをとらない寒さだし、かといってストーブ類は置きたくない。火事の経験があるので火が怖いのはもちろんだがそれだけではない。
少なくともここ九州の、この程度の寒さの地域、一応健康な人間ならば、部屋全体を温める必要はないのでは。単に好き嫌いの問題かも。私は足や腰がぬくもるのはありがたいが、頭まで熱くなるのは性に合わない。というか生来の怠け者、周りの空気まで暖かくなると、なーんにもしたくなくなる。食事やお茶の団欒時のポカポカはいいが、独り部屋に居る時は冷たいくらいの方がいい。寒ければ布団に入ればいい。コタツなど十分すぎるくらいだ。
とはいえ他の人々、特に外国の方々がそれですむかどうか。ドイツは寒いところだ。時にベルリンの方がモスクワより寒いくらいだ。それだけにしっかりと家中を暖房しているだろう。台湾は台湾で、こちらからみれば年中春みたいな所だ。福さんが泊まる普段義母がいる離れは、隙間はなく断熱材はきっちりで、わがバラックよりはずっと暖かいのだが。
天の助けとはこのことだろう。朝晩は冷えることはあっても、日中はほとんどが気持ちのいい晴れ。福さんがいた1月最後の一週間はまるで春だった。
そしてどんなに冷たい朝も、二人とも黙々と仕事開始、鶏小屋の鶏糞と米ぬかと草と土の混じった硬い表土を、スコップで掘り起こし、袋に入れ、畑に運んだ。動くのが一番、寒い日は。身も心も軽々となる。この空間に彼らと共に生きることが妙に楽しくなってくる。
アレクサンドラはすらりとした長身、物静かで繊細、笑顔が初々しい。汚れ仕事はどうかと案じたが、しっかりと身を入れて着実にやった。福さんは見るからに誠実、頼りになった。日本語はペラペラ、ほとんど何も言わなくても、やるべき事以上をやってくれた。英語力は私と同程度の初級の初級かと思っていたら、アレクサンドラと食事時などにポツリポツリと話すうちに、結構通じるようになった。これが恋人同士だったら、一気に上級に達するだろう。
食事時はがんがんと薪ストーブを焚いた。実にタイミングよく、いつも薪をいただく岡本さんから、からからに乾いた古材が山のように家の前に届けられた。
馴れてくると、その古材の釘を抜くコツもわかってくる。要は打った方向に一直線に戻す。だんだんに面白くなってくる。抜いた釘は伸ばせば再利用できる。しっかりとした材木は、家や鶏小屋の補修、柵の杭などに使える。燃料にした後の灰も、釘がないので安心して肥料に。わが師・地金屋のおいちゃんの教えだ。
手っ取り早く仕事を済ませようと焦る私に、一見遠回りな、あるいはまるで無駄に思えることこそ大切なのだと、身をもって示してくれた。仕事の段取やリサイクル・環境問題だけの話ではない。なにかしら落ち着く。慌てず騒がず一つ一つ釘を抜いていると。草取りや鶏糞出しも同様。あるいは雑巾がけ、食器洗い、洗濯、汲み取り……。
雑事こそ救いではないか
連日、福さんが台湾料理をご馳走してくれた。まずビーフン、彼の土産のその麺がしゃきっと弾力がありしかもなめらか。これも彼持参の「豚の油」、わが雑草園の玉ねぎ・キャベツ・人参をたっぷり、それに干し椎茸・干し海老・醤油・酢。こってりとして爽やかな一品でした。
二日目は、台湾の調味料「沙菜醤」(サーサジャン サーサは牛肉の意)、牛肉、ほうれん草(普通はピーマン、冬はここではできません)等の丼物。香りも味も初体験だが、どこか懐かしい奥域のある世界。
三日目はチャーハン、そして最後は餃子。やはり餃子は主食なんですね。生地は妻が作り、伸ばし、福さんが包んだ。もちもちと抜けるような歯ざわり、豊満な感触。やがてじんわりと肉と白菜の混然一体となった滋味。白菜は生を徹底的に細かく刻み絞る。食ったあーという充実感。
今、鳥インフルエンザが中国、韓国で流行、両国からウーファーさんを迎え入れられないのが残念だ。こんな時こそ、一人と一人、異と異とが、まずは互いにそのままを認め合うことこそが大切ではないか。どっちみちこの地球に共に生きなければならないのだから。
2014年2月6日
追伸 東京の皆様、棄権イコール現政権の積極的原発推進容認です。
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「選挙これでいいんかい」からのお知らせでした。
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