「一病‘即’災」上

重松博昭
2015/11/05

 夏も終わりに近づく頃、なんだか風邪と暮らすのが日常になってしまって、いつからこのだるさとのお付き合いが始まったのかさえ朦朧としてきた。確か盆前までは、このボンヤリ頭ももう少し涼しかったとは思うのだが。

 なにか違うなと感じ始めたのは台風一過の9月初めだった。無性に身体の芯、それも特に腰から下がだるい。熱はない。いつものことではある。私はしないですむなら何もせず無為に過ごすのが一番という質だが、そうするとすぐに背筋に寒気、鼻水、足腰が重い、腸がしまらない、胃の入り口が詰まったような……せっせと働けば大抵これらの症状は汗とともに流れていく。要するに怠けなさんなと身体が信号を発している訳だ。

 台風で青いまま足の踏み場もないほどに落ちた銀杏・栗の片付け(草はらに積んでおけば、そのうち肥料に、やがて土に返る)、倒木の整理(半年もすれば薪に)、鹿・猪防護柵の補修、鶏糞出し……といつになく重労働に精を出した。すっきりした、はずだった。
 その夜、床についてしばらくして腰と背中の境の左端に鈍痛、結局ほとんど眠れなかった。昼間動いているときはそれほど痛みは苦にならないが、肝心のだるさがますます重くなり、精気が抜けきったような頼りなさ。腰と腹に季節外れの汗疹、なぜかチクチクと痛い。やがてトビヒのように大きく、そして赤くなりピリピリと。例の身体の奥から発せられているような鈍痛も一晩中続く。俺もとうとう年貢の納め時か、肝臓か、それとも腎臓、膵臓…… 
 皮膚病の特効薬であるはずのプレドニンも効かないどころか出来物は腰と腹の回りに広がりつつある。ふとかつて友人に聞いた話を思い出し、電話、その助言に従い稲築病院皮膚科へ、立派な帯状疱疹だった。入院しなければならないかも。え、入院? 考えもしなかったことなので全身が萎えるような……喜びだった。何十年振りだろう、休息なんて。豪雨、台風の時も、大雪、二日酔いの朝も、とにかく長靴をはき、外に出た。
「遠賀川源流の森コンサート」が3日後に控えていた。主催の中心は妻だが、裏方の責任者は私だった。この任からも逃れられる。実はクヨクヨと悩んでいた。最初は入場者が少なすぎる……しまいには券が売れ過ぎて会場に入りきれないかも……
 結局、薬を飲んで自宅療養、様子を見ましょうということになった。トボトボと病院を後にした。嫌になるほどの天高き快晴だった。どっちみち死ぬまで生きることは休めませんよね。
 その翌々日、コンサートの前日の9月16日も快晴、覚悟を定めて準備に取り掛かる。会場は嘉麻市熊ケ畑活性化センター、あたりは豊かな山里、だがすぐ上に広大な産業廃棄物処分場がある。山々への、すべての生命への祈りをこめてこのコンサートは始まり、第二回「心を歌う ジャズヴォーカルの愉しみ」。
 妻は元気溌剌(少なくとも外見は)、20坪の会場と廊下と控室の掃除等々一手に済ます。座布団70枚を畳の間に敷き詰め、残りに椅子をぎっしりと並べ、百人。前売りは170を超えるかも……心配で夜も眠れないところだが、幸いそのエネルギーも残っていなかった。時々痛みで覚めかけながらもぐったりと眠り続けた。
いよいよ明けて、曇り、時々雨。午後3時過ぎ、市川ちあきさん(女性ヴォーカル)、丹羽肇さん(ベース)、緒方公治さん(ピアノ)、福岡から車で到着。5時半、準備完了。6時、開場、雨が本格的に、天に実は感謝、来客がぐっと減るだろう。続々と来場、雨のなか、上の駐車場への誘導が大変だったろう。開演10分前にはほぼ満席、まだ来場者の流れは途絶えない。灰色の雨煙の奥に、駐車場から下る傘が現れるたびに、みぞおちが締め付けられるような思いだった。
ともかく6時半きっちり開演、会場内は百とちょっと。外に世話役の方々10人ほど。チケットは全部で173枚売れた。雨は小降りになった。

 心音のうねりのようなベースと軽快なピアノの胸躍るたたみかけるような乗り……ちあきさん登場、彫りの深い存在感ある容姿と歌唱、透き通った躍動感・情感、心に素直にしみ込んでくるポピュラーに、表現力豊かなスタンダードをまじえて1時間半。聴衆の方々の反応は期待以上で、開場は温かい浮き浮きとした気分に満たされた。
 よかった……これもチケット販売等しんどい作業をやっていただいた皆様のおかげ。ささやかな催しでしたが、熊ケ畑・山田、そして筑豊の底力をちょっぴり感じた次第です。最高の気分と言いたいところですが、底が抜けたように身も心もへなへなと緩んでしまいました。

            続く    2015年11月1日

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