タイムロード

重松博昭
2022/02/02

 40年間お世話になった掘っ立て小屋から下の空き家に寝食の場を移した。やはり70を過ぎると寒さが骨身に染みる。山小屋にはただただ感謝。だだっ広い土間の底冷えも、吹き抜ける隙間風も、トタン屋根と薄い板壁から侵入する山の冷気も、せっせと動き回り芯からぬくもり、汗と共に体力・気力が湧きおこる60代までであれば、エアコン完備の密室よりよほど身体にも心にもいい。
 同時にガスをやめオール電化に。太陽光発電の余りを九電に売電(夜など発電していない時は買電)していたのだが、10年たつとその売電がタダ同然になる。この際となけなしの金をはたき蓄電池を購入し、エネルギー自給をより進めることにしたのだ。それにしても蓄電池は高価すぎる。せめて3、40万程度なら、もっと普及してそれぞれの家庭での電気の自給が進むだろうに。
 電力会社そして国は何をおいても風力、太陽光(山林を破壊するのではなくまずは屋根の上に)、小規模水力、地熱等々の再生可能エネルギーによる発電に取り組むべきだろう。近頃、特に石炭火力に批判が強まっているのは当然だが、だからといってまたぞろ原発神話復活とは人類の業というべきか。
 ちょっと小型になったから絶対安全なの? 地震・津波など「想定外」の災害がいつ起こるかもしれないというのに。第一放射性廃棄物が出るのに変わりはない。たまるばかりのその廃棄物をどうするの? 何千年何万年かかるかもしれないその処理を含めると、お金のことだけを考えても再生可能エネルギーのほうがはるかに合理的じゃないの。桁違いの資金も、きわめて「高度」、危険、特殊、閉鎖的な技術も施設も組織も必要ない。しかも再生可能エネルギーの技術は日本は第一級だしその資源も豊富だ。地方再生につながる新しい産業・雇用を創ることができるし、地域のエネルギー自給も可能になる。半農半発電というのもいいんじゃない。なぜ政府は本腰を入れないのか。よほど政治と原発の間に癒着があるのではと勘繰りたくもなる。
 さて、下の家は瓦ぶき土壁のいわゆる古民家、しっかりとした雨戸もあり風には強く、夏は涼しい。ところが冬の底冷えは山小屋以上だ。なにしろ谷間で日当たりが悪い。そこで畳6枚ほどの部屋を南西に継ぎ足し、晩秋から冬、初春にかけて台所兼食堂兼居間にすることにした。
 まずエコ給湯に苦労した。すでに3年ほど前、設置していたのだが、山小屋から下の家に移るのをズルズルと伸ばしているうちに、あちこちが故障してしまった。修理は設置した業者さんではなく専門の技術者に北九州から来てもらわねばならない。費用がかさむ。やってみなければいくらになるかわからない。ヤレヤレ、文明というのも不便なものだ。進めば進むほど使う側には中が見えない。どういう構造かわからない。一切、お任せ、言われるままに払うしかない。次は風呂だ。最初にきちんと考えなかったこちらが悪いのだが、このエコ給湯では湯船の湯を再度あたためることができない。夕食前に私が入り、妻が就寝前に入る頃には冷えてしまう。毎日、水を捨てるのももったいない。さらに電気調理器等の使い方になれていないせいで、しばしばブレーカーが下りたり、半分作動しているのに気づかず停電が続いたり、太陽光発電・蓄電池・売買電のシステムが正しく作動しなかったり……。
 24時間蛇口から湯が出るのは申し訳ないくらいありがたいし、タッチ一つで楽々料理というのも悪くはないのだが、なんだか野人から一気に超文明人に進化したような、あるいは電気に使われるロボットになったような。足元が定まらず、ゆらゆらと気持ちが不安定なまま1か月近くが流れ、早くも冬を迎えようとしていた。
 未明の3時半過ぎ、鋭い冷気のせいかすっきりと目が覚め、そのまま床を離れた。真っ暗闇の山を登った。満天の星、懐中電灯に照らされ、地上をぶ厚く覆った霜が無数の氷の光を放つ。あまりに静かすぎて沈黙の響きが四方から押し寄せてくるような。遠くから新聞を乗せたバイクの音が伝わってきて何だかホッとする。
 7、80m、草の道を重力に抗して歩く。この坂道は言ってみれば「タイムロード」なのだ。遡った先の掘っ立て小屋の時代は1950年代か。テレビも電話もパソコンもガスもない。電灯とラジオとコタツだけは電気がつながっている。水はある。入ってすぐのだだっ広い土間は、冷蔵庫や水屋などは空で、ガスコンロもないが、他はほとんど変わりない。床はデコボコの赤土で流しも水屋もテーブルも椅子も勝手に傾いている。ブリキ製の卵型薪ストーブも健在だ。というか前日、床下から取り出し、重く厚い鋳物のストーブと替え、煙突を掃除し、ストーブとの継ぎ目の隙間を水で練った赤土でふさいだ。薪も用意した。鋳物ストーブは長時間じんわりと暖を取るのにはいいが、料理には向かない。よほどガンガン燃やさないと炎が鍋に届かない。卵型ストーブはブリキ板が薄く数年しか持たないが、丈が低く、炎の出る口を大中小に調節でき、鍋の底の大部に炎が当たる。
 かじかむ手でマッチをすり、新聞紙に火をつける。細い枯れ枝にパッパチッと火が移り火花が飛ぶ。だんだんに太い枝に真紅の炎は伸び、風の音をたてて揺れ木々を呑み込む。やがて薬缶が唸り声をあげ始める。沸騰する少し前に薬缶を炎から取り上げ、湯呑に注ぐ。ゆっくりと急須に流し入れ、しばらく待ち、湯呑に。かすかな煙の香と土の匂い、山全体の静けさに包まれて、ほのかに草の匂いの漂う薄緑の液を口に含む。

             続く   2022年1月23日

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