雪の匂う

重松博昭
2023/01/11

 12月18日、ざっと一年ぶりに朝酒を飲んだ。雪見酒は何年ぶりになるだろう。なぜか、降りしきる雪に囲まれての酒はうまい。温もりのこもった部屋よりひんやりと雪の気配のする土間がいい。ようやく明け始めた寒空の下でひと汗かいた後の空の胃袋に、冷酒が染み込んでいく。 翌朝、屋根には2、30㎝の雪が積っていたが道路ではすでに溶け始めていた。9時過ぎ、車で町に出て驚いた。ほとんど雪がない。30分ほど走った飯塚ではそのかけらもない。
 22日の午後から急激に冷えた。何年か前までは、ほどほどの寒さ(−2、3度まで)は好きだったのだが、この冬はまだ+1度でも骨身に堪える。気が萎えてしまう。以前は寒い方が仕事が進んだ。わが山小屋は外同然でコタツでミカンどころではない。怠け者の私も動かざるを得ない。うっすらと汗が全身ににじむころには身も心も軽々となる。こうなると仕事が遊びになる。雑木林からの薪運びは山歩き、雪の日は下りはそり遊びに。薪割りのスパッと割れたときの爽快感。鍬での土起こしの一振り一振りは剣道の素振りより充実感がある。
 情けないことに今は汗が出始める頃、まるで風船が萎むようにがっくりとエネルギーが抜ける。動き始めて一時間くらいしか持たない。寒さに追われるように火を求め、夕方3時半から五右衛門風呂を焚き始めた。5時過ぎ夕飯、6時過ぎ床に就き寝入ったのが8時。夜中、3度便所に行った。現在寝泊まりしている下の古屋は一応まともな家だが上の山小屋より寒い。廊下の床板が氷のように冷えている。かすかに開いた窓から粉雪がちらちらと見えた。
 いつものように翌朝4時、床を出た。意外にほとんど雪は積っていない。午前中の10時前、配達に出た。まるで雨のような雪が宙空を埋め尽した。雨のように落下が速い、粒が小さく重いからだ。みるみるうちに道路が白く硬い粒に覆われていく。空は一面灰黒色だ。下るにつれ道路の白は厚く硬くなった。町も重い白一色だった。予定していた買い物を取りやめ早々に帰った。この夕は久しぶりに熱燗を飲みたいだけ3合飲み、早々に6時過ぎ眠りについた。
 起きだしたのが翌朝5時半、なんだか冬眠から目覚めたような気分。外は完璧に雪に埋れていた。青白い闇に、雪を踏みしめる音が響く。立ち止ると無の世界に。ふっとはるか遠くの別世界からかすかにエンジンの音が。昔はディーゼル機関車が熊ヶ畑から川崎町へと走る音が山の向こうから伝わってきたものだ。明けても空は灰色一色だ。とにかく鶏の餌やりだけはすまさなければ。米ぬかに台所の残りと腐葉土と水を混ぜ発酵させたものと、玄米の中・小米、それにカキガラ、魚粉。水の冷たさに手がしびれ体の芯が震える。バケツを両手に下げ、雪の面に一歩一歩長靴を踏み入れ、鶏小屋へと下っていく。鶏たちは寒さには強い。ぐわぐわと騒ぎすでに入口に集まっている。うるさいほどに足元にまといつく。競い合って餌に突進、十分にあるのにガツガツと食べる。
 とても雪に埋れ凍り付いた青草を鶏に取ってやる気にも、道を除雪をする気にもなれない。以前なら一切を放棄して酒盛りとなるのだが、その体力もない。風呂とストーブ用の薪割りを最低限すませ、ストーブで湯を沸かし、熱い茶片手に上の部屋のコタツに入る。セーター6枚に綿入れを丸々と着込んで。この所ひま暇に山田風太郎の「明治小説全集」を読んでいる。少々陰惨が過ぎるところもあるが面白くためになる。明治という時代が、人間そのものが生々しく躍動している。部分の一つ一つが陰影濃く情感深い。文体が骨太く緻密でかつ軽妙なユーモアが光る。何より作者の眼差しが覚めきっている。
それにしてもつくづく思う。なんて人間は(もちろん私も含めて)欲・業が深いんだろう。争いが、殺し合いが好きなんだろう。明治時代に、あるいは日本に限らず人間の歴史はまさに殺し合いの歴史だ。人間だけの集団、その人間対人間に救いはないように思う。どうも一番肝心なものが抜けている。人間は人間である前に、一個の生命として日を浴び、空気を吸い、水を飲み、他の生命を食べ生きている。私たち一人一人が一個の小宇宙なのだ。他の諸々の生命もそうだ。ありとあらゆる存在が織りなすこの地球という宇宙の一員なのだ。ただ生きているということが何物にも代えがたい僥倖なのだ。あまりに天に、この地球に生かされているという感謝が、喜びがなさすぎる。
ようやく翌日の昼前から雪が溶け始めた。こうなるとブクブクズルズルで一層仕事にならないが、鶏の青菜だけは二日分取らなければ。午後、時折日が差すなか、土手の草を鍬で削っていると、ミーサが駆け下ってきた。一瞬、ウサギかと思った。黒白に茶のれっきとした三毛猫だ。この5か月ほどでスラリとしなやかな乙女に成長した。雨の少なかった夏から秋は主に山小屋の屋根の上で過ごしたようだ。妻のノンが坂道を登ってくると、栗・銀杏・クルミ拾い、畑仕事について回った。11月も暖い晴れが続いたが、12月に入り急激に寒くなった。山小屋で独り寝るミーサが心配だったが、実にタイミングよく彼女は下の家の家族の一員になることができた。トラ次郎(雄猫、13才半)のニャン?徳のおかげだ。両者親子か兄妹のように仲良くなったばかりか、時折ちょっかいを出すハッサン(雌犬、13才)からミーサを守るようになったのだ。
 午後も3時を過ぎる頃には、屋根の上の雪解け水がまるで小川のように樋から水ために流れ下った。その冷水をバケツで風呂釜に運んだ。夕方、この雪解け水の湯にユズを浮かべゆったりと浸かった。

 年が明けて、晩秋のような穏やかに澄んだ晴天だ。青空にクヌギやコナラの焦げ茶の葉の群れが浮かび、その下の地面を乾いた枯れ葉と丈の低い濃い緑が覆っていた。
                          2023年 元旦

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