12月6日(火)、晴れ、昼間はこの時季にしてはあたたかい。チャンポンを作っていると午前12時直前電話、JR筑前大分駅の駅長さんから、すぐに女性にかわる、マノン(フランス、21歳)だ。幸い、ゆでて水洗いした麺をまだスープに入れてなかった。妻とハッサンを乗せて軽乗用車で迎えに行った。
長身の男性アティリオ(フランス、21歳)と中肉中背のマノンが駅前に立っていた。彼はまあいい男、笑顔が少年のよう、少しやんちゃかな。彼女は透明感が際立っている。まなざしが柔らか。
翌日、うっすらと霜、朝7時から畑仕事。食事、問題なし、ただし量が予想以上。五右衛門風呂の経験ありとか。8日、曇り・晴れ、寒い寒いとアティリオ、そのくせ風呂に入らない。どうも見たことはあっても、五右衛門風呂に入ったことはないよう。
9日、寒さ緩む。仕事は確実で早い。問題の風呂も、釡が小さいと文句を言いながらも入る。夕食は卵4個とポテトたっぷりのオムレツをぺろり。10日(土)は休日、八木山の自然食バイキングへ、アティリオ食べる食べる、特にケーキ、さすがの彼も胃の調子落とす。つられて私も年甲斐もなく食べ過ぎ。
11日、12日とも朝はカチカチの霜、めげずに二人がんばる。12日の昼食はマノン作、肉パイの一種か、生地にバレイショとさつま芋、サクッと歯ざわりよく、濃厚だが後味がいい。午後、神奈川から佐野さん(男性、20歳)来る。一見、坊ちゃん風、しゃべると冷静沈着風。
13日は雨、旧鶏小屋で肥料を袋につめる。土間でゆず茶作り(果実全体を細かくきざみ、ほぼ同量の砂糖につける)、クルミ割り、ピーナツの殻から実を取り出すなどなど。昼はアティリオ作パスタ、ただし中華麺で。麺がやわすぎ、味はよし。マノンはフランス地中海沿岸のピザカフェの次女、その料理人がアティリオだったとか。ちなみにそのカフェでは、とても食べきれそうにないピザ1,000円前後、ジョッキビール600円程度。二人の仲をマノンの両親は歓迎していない。
14日も雨、昼、松本さん宅に一家総出で押しかけ、ごちそうになる。中心は本格派カレーと正統ちらし寿司、心和むひとときだった。このお宅には、うら若きマレーシア女性が滞在していた。まるで昔の日本人のように純で礼儀正しい。外国人同士、談笑、ただしアティリオは英語は苦手、いつもマノンが通訳しなければならない。
15日は急に冷たい雨に。佐野さんとアティリオは軒下で薪割り、マノンは土間で妻の手伝い。のはずがアティリオも土間に。妻、やんわりと追い返す。三人の若者相手に病弱の細身で我慢強くよくやるよ。私など、一人でも神経がもたない。
16日は久しぶりに晴れた。午前9時からの作業にアティリオ出てこない。明らかにサボタージュ。妻の「あと二日なんだから、気持ちよく別れましょう」で、30分遅れて動き始める。その分、午後遅くまで彼だけ仕事、風呂もいつもは二人目だが三人目に。マノンに風呂には入らないと言い残して出かけ帰って来ない。たまたまその夕食の担当は私。技術はないのでタイミングでごまかす。作ったすぐを食えば、大抵のものはうまい。冷えればだいなし、特に今夕の献立、豆腐ステーキは。いらいらしながらもとにかく料理。ぎりぎりに土間に入ってきて彼はマノンとフランス語でしゃべりまくる。つい私は怒鳴ってしまった。もちろん日本語で
「言いたいことがあったら、直接オレにいえ」
唖然とする四人を残して、私は自身の部屋にひきあげた。しっかりとドブロクと食べ物を確保して。
目が覚めた。どんよりと酔いが残っている。夜と朝の境の一番冷たい闇だ。重っ苦しい余韻、やっぱり怒鳴ったのは悪かった。
次に目を開いたとき、闇が薄れていた。ともかく起きて、ハッサンと山へ。雑木林の黒々とした闇が木々に溶け込み白々と明けていく。
朝食前、二人に謝った。食後、じっくりと話した。
ここでのすべての作業の一つ一つが、私達が一日一日生きていくためのもの。ただそれだけのものだ。貧しいといえば貧しい。豊かといえば豊か。一切余分なものはない。もうけなどない。一つ一つの作業が生きることそのものなのだ。
この困難な通訳をどうにか妻がやってくれたあと、佐野さんがフォロー。例えば先日食べた栗の渋皮煮は三日かかって作ったもの。畑の土作りも果物の世話も何年も何十年もかかっている。さらに妻が、今食べているキムチの白菜は、秋の初めにドイツ人女性アンネが種をまいてくれたもの。そして今三人が開墾し肥料を入れている畑でできたジャガイモを、夏にやってきた誰かが食べることになるだろう。
アティリオはその気になればかなり英語はわかるよう。やわらかな笑顔で深くうなずいてくれた。
三人が去って、気がつけば年の暮れ、栗やコナラ、クヌギ等々、葉がほとんど落ちていた。すぐに正月、野枝と玄一が帰ってきて、妻は忙しかったようだが、私は三日間運転をしないでいいというだけで、まるっきし空の気分だった。40年ぶりにどこにも出かけなかったのだ。
追、日本が、世界がどうあろうと、常に風と大地とともにありたいですね。
生々とした一年でありますように。 2017年1月8日