私の宇宙 中

重松博昭
2021/10/13

 農とは大地を往く季節の旅だ。その地の季節の流れと一体にならなければこの営みは成り立たない。例えば点から面、二次元から三次元へとすさまじい勢いで緑の生命が繁茂していく春から夏、数日でも畑にご無沙汰していると、雑草園ならぬ雑草林になってしまう。例えば晩夏から初秋の種まきの1日2日のずれで天と地の結果を招くこともある。早すぎて白菜やキャベツが破れウチワのように虫に喰われたり、遅れて巻かなかったり。大根が全滅したり、細根(さいこん)になったり。光の強さ、風の冷たさ、雨、土の具合、草や木の葉の様子……農とは一年一年の経験を刻み込んでいく年月の旅でもある。頭と心身を静止させて土の声を聞かねばならない。あるいは栗の頃、一旦猪や鹿、アライグマ等に侵入を許すと、2か月近く眠れぬ夜が続く。冬の夜、鶏を狙って空気のように出入りするイタチ・テンも同様だ。カラスなど常に天空から卵や果物や野菜をうかがっている。彼らは人間のように独り占めなどせず、「うまカー」「うまカー」と仲間を呼ぶ。大木全体にたわわに実ったグミが、大挙押し寄せた彼らによって一晩で空になったこともある。

 特に私など、体力、経験、技術いずれも半人前以下で、外に田んぼ作りなどに出かけていると、暮らし全体の、生命の流れが淀んでしまう。何もかもが後手後手になり、生活も回らなくなる。ちょっと頭をゆるめて考えてみれば、別にウチだけで何もかも自給する必要も能力もない。「開かれた自給自足」がいい。ここはここに適した四季折々の野菜・果物と放し飼い・平飼い養鶏を営み、近くで水田などまっとうな農に取り組んでいる先輩方に教えと協力を乞えばいい。
「健康食」とか「自然食」とか特別なものではなく、当たり前のごく普通の食べ物をいただきたい。自分の食べるものに毒はふりかけないのが普通だよね。それに農薬散布じたい体に毒、土にも水にも空気にも。(先日、近くで飼われていた蜜蜂が全滅した。水田にまかれた農薬が原因としか考えられない。)「農薬野菜」のほうが特別だよね。

 その地、その季節に適したものを少量、輪作・土づくり(完熟堆肥で)を怠らずやれば、農薬・化学肥料に頼らず作物はできる。問題は流通・消費だ。現在の巨大流通機構にキレイでリッパな野菜をいつも(例えば冬のキウリ、トマト、スイカ等、夏のキャベツ、白菜等)大量に出荷するのは難しい。逆に消費者が旬のふつうの野菜が食べたくても容易に手に入らない。
 ならば自分たちで創ればいい。生産者と消費者の直接の結びつきを。40年ほども前、筑豊に点在するウチも含めた4農家で「農業と暮らしを創造する会」(農創会)がつくられた。飯塚市、直方市、田川市、粕屋郡、福岡市等の消費者約400世帯に、週一度、その時々の野菜が取れた分に応じて届けられた。卵や米、小麦粉、蜂蜜等も加わった。もちろん春先の山のような青菜類、夏の巨大なキウリ等々、様々の軋轢はあったが、だんだんに結びつきは深まっていった。草取り、虫取り、芋ほり、玉ねぎ等の収穫などなど、消費者たちも家族連れで田畑に入り、木陰で持ち寄った弁当を囲み語り合った。
 3年目の春、雑草園で丸太小屋づくりが始まった。誰もが帰ってこれる場、誰もが自然と、生命と直に接することのできる場……私たちが目指したのは大地の上での人間と人間の結びつきだった。様々の異なる一人一人によって生活協同体を、「もう一つの社会」を創ることだった。農、食、さらに暮らし全体を、この社会、地球の行く末を土台から見つめなおすことだった。4年目の秋、会はあっけなく空中分解した。消費者とではなく、農民同士に亀裂が入ったのだ。

 日本社会全体は、相変わらず私が目指す真逆へと進み続けた。より多くの金・「豊かさ」、快・楽・クリーンを求め、さらに土から離れていった。「豊かさ」とは自らが創るものではなく、巨大科学技術が産み出す新「文明の利器」を次から次へと消費(廃棄)することなのだった。農業もさらに土から遊離した大型化、施設化、産地化が進み、流通機構は地球規模に巨大に、そして農業は衰退の一途をたどり(2020年度の自給率は37・17%、1965年の統計開始以降の最低を更新)、食卓には輸入農産物・加工調理食品があふれた。
 農薬、除草剤、大型機械・施設などによって、害虫、病原菌・ウイルス、雑草、雨風、暑さ寒さ等々から、いわば大地から隔離された「密室」で営まれる近、現代農業は非常に脆弱ではないのか。特にもはや通常になってしまった異常気象、想定外の災害に対して。畜産も、とりわけ養鶏もそうだ。何千何万何十万と「密室」に隔離された鶏たちが健康なはずがない。土の上で風に吹かれて暮らす方が彼らもはるかに気持ちいいだろうし、体も強くなる。濃い大量のウイルスに襲われたらどうなるかわからないが、養鶏を始めて40年、一度も伝染病にやられたことはない。
 科学とは何なのだろう。植物を、土壌を分析し、作物と肥料成分、微量要素等々との関係を探る。あるいは作物と害虫、病原菌・ウイルスにスポットをあて、農薬を開発する。雑草排除のため、除草剤に強い例えばトウモロコシの品種を遺伝子操作で開発する等々……
 一番肝心なものがすっぽりと抜け落ちている。というか実は私たちはほとんど何もわかっていない。大自然の営みのことを。光、水、空気、土、植物たち、動物たち、微生物、ウイルス……ありとあらゆる諸々の存在が複雑微妙に時々刻々変化して絡み合い新しい現象を存在を生み出している。一個の宇宙を形づくっている。私達人間はその一員でしかない。決して神ではない。
 今回のコロナ現象はそのことをこれでもかこれでもかと私たちに教えてくれているのではないだろうか。

      続く   2021年10月9日

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