卵と地球

重松博昭
2022/07/01

 6月上旬、生々しい濃密な匂いを放っていた栗の花の白が枯れ始めた頃、ようやく本格的な雨、今年も栗は豊作だろう。晴天続きで畑はガチガチ、ピース、赤そら豆、キャベツ、ほうれん草、チシャ、ニラ、じゃが芋はそれなりに健闘、ニンニクは初めての、玉ねぎは3年連続の不作だった。耕起せずちよっと穴を掘りキウリ、カボチャ、ナス、ピーマン、へちまの苗を植え、オクラ、えんさい、つる紫、モロヘイヤ、枝豆、インゲン、トウモロコシを蒔いた。いずれもカラカラの土、強烈な日差しで消滅しかけていたが、この雨で復活した。
 数日前、卵が傷んでいた、あるいは水のようだったとご指摘を受けた。現物を見ていないので具体的にどうだったかはわからないが、いずれにしても実に由々しき事、あってはならないことだ。その夜、眠れなくなって(といっても2時間ほどだが)考えた。やはり一番問題なのが卵採りだ。平飼い・放し飼いの場合、ケージ飼いとは違い、時に産卵場所以外の所に産み、こちらが気づかないうちに枯草や床土に埋もれ、数日後に現れることがある。たいていは鈍く薄汚れているが、たまに産んだばかりのようにきれいなのが産卵箱のすぐ近くに転がっていることがある。
 翌朝、まず産卵箱の掃除と補強、卵が外にこぼれないようにした。小屋全体の枯草や床土をならし、一日4回の卵採りのさい全面を点検、よほど確かなものでない限り、産卵箱以外にあった卵は自家用に。
 何より鶏の健康が第一、中には精彩のないのもいるが(こんなのは産卵もしない)ほとんどが、米ぬか・腐葉土・台所の残り、どぶろくの粕、グミ・杏・ビワ(豆腐屋さんやパン屋さんがやめてオカラや耳パンが入らなくなった)等の発酵飼料と玄米・小米、カキガラ、大豆かすと魚粉少々、それに何度も放り込む取ったばかりの青草(ミミズも混じる)を競い合って勢いよくついばみ、元気いっぱいだ。健康な卵を産んでくれているだろう。
 でも、百パーセントは無理、もしもの時は深く陳謝し、その卵の分、返金することぐらいしかできません。どうかご理解ください。
 それと4年、5年と生き延びた鶏の卵はどうしても殻が薄く、白身の力も弱くなる。紛れ込んできたときはご容赦を。もっぱら自家用で、私は毎朝、生ですする。2、3週間はいい。晩春から初秋にかけては冷蔵庫の方がぶなんのよう。
 それにしても飼料が一気に高騰した。輸入トウモロコシは二倍近く。近くから調達していた中米が底をつきかけ、米ぬかも手に入らず(その代わりのフスマは米ぬかの5倍、輸入小麦が高騰したのだから当然だが)。ありがたいことに何とか米ぬかと小米が手に入るようになり一息ついた。うちのような超零細養鶏でさえこうなのだ。、輸入穀物に頼り切った日本畜産はどうなるのか。
 ロシアのウクライナ侵攻を受け、日本の一部の先生方は鬼の首を取ったかのように声高に核装備(じゃなくて原発廃止でしょう。国民を守るというなら)、軍備増強(世界第三位になるとか)を叫んでいるが、まず食いものでしょう、国土でしょう。日本の国土はすでに占領されつつありますよ。猪や鹿やアライグマや竹林に。政府・自民党が先頭に立ち、国を挙げて農林漁業を否定して、より多くの金を求め突っ走った挙句、農地山林は荒れに荒れ海は致命的に汚染されたのはもちろん、自慢であったはずの経済力さえ衰退してしまった。当然でしょう。国土と国民を、国の命を大事にしなくて国が豊かになるはずがない。
 今回のことでつくづく思った。人間って、戦争が好きなんですねえ。人間というより為政者、お偉いさん、指導者、要するに自身は決して血を流さず、殺し合いを高みの見物している方々。もちろん超高値の武器を売りつけている方々は笑いが止まらないでしょう。
 世の中、いよいよ末期的症状を呈してきましたねえ。ロシアがというより欧米のここ何百年かの資本主義(金至上主義)巨大科学技術文明が。この文明の大前提とも言えるのが、とにかくより新しくより多くを求めて突っ走り続けること。著しい格差(被支配者と支配者、貧と富、弱と強・・・)と単純で極端な二元論(「異」は「悪」、「悪」には何をしてもいい。徹底的に否定・排斥する)だ。差別・憎悪は、侵略・戦争は必然だろう。アメリカなど戦争のおかげで成り立っているような国ですからねえ。
 アメリカだけではない。近現代だけの話でもない。いつの頃からか知らないが少なくとも何千年か、人類は争いを、戦争を続けてきた。人間はひょっとしたら生命が、生命活動、生活が、「日常」が大嫌いなのかも。退屈な日常から逃れるために、死に向かう、殺しあうのかも。人間を、人間社会をとことん破壊して、ゼロから生き直したいのかもしれない。
 今までは自然が、大地が圧倒的存在だったから何とかなった。国破れても、血がいくら流れても、山河は、海は健在だった。歴史は繰り返すことができた。そういった意味で、私たち人類は有史以来、最初で最後の大転換期に差し掛かっているのかもしれない。もはや歴史は繰り返せない。大地が、地球が破壊し尽されてしまえば。もはや平和は倫理では、道徳では、理想ではない。現実そのものだ。どうにかして殺し合いをやめなければ、人類の滅亡は目の前にせまっている。より新しく、より強く、より多く、より早くの暴走も、とどまることのない経済戦争もやめなければ。
 立ち止まろう。空を眺めよう。木々草々の風に吹かれよう。生きていることを全身で感じよう。この地球の諸々の存在を、生命を感じよう。
 ただ生きてるそれだけが、有難いことなんですよねえ。
 天の雨の恵で草が抜けるように美しい。見とれているうちに草の海に野菜たちが呑み込まれつつある。 
      完  2022年6月16日

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