7月30日、ようやく梅雨は明けたようだが、太陽が重く、何とも蒸す。でも実に実にありがたい。久々の日を浴びて、エンサイ・モロヘイヤ・カボチャ・オクラなどピーンと芯が通ったみたい。連日、花オクラが食卓をにぎわす。オクラの原種で、その日のうちに花はしぼみ数日後、硬いさやを作り、やがて種ができる。おすすめは刺身風。さっと熱湯に通し、たっぷりの冷水に浸し、急こう配のまな板に乗せて水を切り、一枚一枚を優雅に並べ(焼き締めの皿などあったら最高だろう。その土の感触に花オクラの淡い黄が引き立つ)、ワサビ・醤油で。やはり日本酒が合う。
この花オクラもぬめぬめで治郎君は「勘弁して下さい」そこでノンはジュースを作った。ゆず茶(柚子を皮ごと刻んだものに砂糖を混ぜておくと果液が出てくる)など適宜加えミキサーにかける。冷たくすると、ねっとり感が少し薄れ、彼にもなんとか飲める。そういえば最初、彼はちゃんぽんのスープを残したが、ノンの「スープは材料のエキスそのものなんだよ」の勧めで全部飲むようになった。
彼は、ほとんど毎日、夕食の後、歩いて30分弱、温水プールに通った。その日は風呂は入らず、ますます手はかからない。猛暑の中、午前9時から12時までと午後2時間働いた。こちらがイライラするほど丁寧で時間がかかる。黙々と手を動かす様は、まるで修行僧のよう。時折木陰にじっとたたずみ水を飲む姿も。じわじわとだが動きがスムーズになる。屋根に上って大きなハゼノキを切る腰つきも。やるじゃない!
8月9日の未明、ハッサンの野太い吠え声が夜空に響いた。明けて、大豆の葉が食われていることに気づく。柵の上部の竹が折れて網がおじぎをしている。鹿が飛び越えて来たのだ。だいたいがうちで大豆がまともにできたためしがない。乾燥しすぎるから。だが今年は7月の長雨が大豆には幸いして青々と茂っていた。まともにできない原因のもう一つが鹿、何度もやられた。それも先の新芽を片っ端から食っていく。3、4日後、またやられて茎だけ残った。同じ畑のなぜかすぐそばの小豆はつまみ食いした程度だ。何しろ柵は古トタンや竹やノリ網や塩化ビニールの網などあり合わせでできていて、それも全長ざっと500メートルもある。つい点検を怠っているうちに竹はパサパサにトタンは腐食し網はよれよれになる。
それにしても盆を過ぎてからのこの暑さ、なんというか情緒も風情もない。ただひたすら殺人的な暑さ。あの昔々の縁側でのスイカ、風鈴、蝉の声……そういえば蝉の声も頼りなく弱弱しくなってきた。あ、虫の声もかそけくなってきた。何だか人類、といえば広げすぎか日本人の生命力もかそけくなってきたみたい。だって自身の生命の源―空気・水・食べ物・海・田畑・山……全部どうだっていい、金さえあればと思っているんだから。
さて、今度は一転して水不足、干ばつを心配しなければならなくなった。畑には深い地割れがあちこちに。キュウリは終わり、なすび・ピーマン等はあきらめ、エンサイには周りの草を刈り枯れ草を敷いた。時々は水をやった。花オクラとモロヘイヤとゴーヤは元気いっぱいだが。もともとわが雑草園は農地向きではない。何しろ周りの山が浅く、水流がない。地下水位もかなり低い。かつて旧山田市は炭鉱の町、地下のいたるところにその坑道が掘られていた。わが雑草園の地下にもそれらがあるらしく雨が少々降っても地下に吸い込まれるのですぐに乾く。
近くに産業廃棄物処分場(安定型)がある。今、十倍拡張の工事が進められていて(西日本一、いや日本一かな)その事業差し止めの裁判闘争の末席に連らなっているのだが、まったくこちらの主張は受け入れられない。この産廃場の地下にも縦横に坑道が張り巡らされ坑口も何か所かあったとのこと。なんの遮蔽物もない裸の山肌に直接膨大なごみが(多くは関西・関東から。その正体は私たち一般市民には全く不明)何十年にもわたって捨てられて、汚水が地下に浸透しないほうが不思議だろう。坑道に入り、広く深く地下水を汚染しているのではと危惧するのが当然だろう。
まずボーリング等々、徹底的に地下の状況を調査すべきではないのか。何より問題なのは、周辺住民に今のところ、明らかな害が出ていないからそれで良しとする裁判所の判断だろう。司法の限界だろう。もし汚水が周辺に出ず、地下深くに浸透していたとしたら、熊ヶ畑・嘉麻市だけでなく狭く見ても筑豊・北九州全体の問題になるし、未来の子々孫々に取り返しのつかない禍根を残すことになるだろう。どのような被害があるのかの立証を原告ばかりに課せられているのも、司法の後退といっていい。こちらは産廃場に入ることも、地下の調査も、どのようなごみが持ち込まれているかを知ることもできないのだ。被告・業者側がまったく被害がないと主張するのなら、その立証をすべきではないのか。例えば、地下に浸透した汚染水はいったいどこに流れているのだろう。
8月後半に入っても、とにかく暑い。めったにないことだが夏バテ、鶏の世話と卵の配達だけでやっと。昼間も2、3回横になる。食欲だけはなんとか。治郎君にはずいぶん助けられた。なにしろ秋冬野菜の準備、待ったなしなのだ。草をのぞき、肥料を入れ、耕運機をかけ、平鍬で畝を立てる。22日の午後、やっと雨が降って、畑づくりができた。が、その後また晴れ続きで種は蒔けない。
9月1日、治郎君は旅立っていった。もしその先の1、2か月のことが予測できたなら、無理にでも引き留めたのだが……。
続く 10月19日
9月29日、産廃場拡張事業差し止め民事裁判、福岡高等裁判所「控訴審」、判決。今度も全面的にこちらの主張は退けられました。
まだまだ先は長い。
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