私の宇宙 上

重松博昭
2021/09/28

 この春から4、5か月、いつも書いていた早朝の時間がなくなってしまった。胃の調子が悪いので、夕食後3時間は眠らないほうがいいだろうと就寝を7時前後から8時半から9時にしたのだ。目覚めるのが5時過ぎ、すでに空は暗い青から水のような白へと明け始めている。茶もしくは湯をゆっくりと飲み、ハッサン(雌犬11歳)と裏山を登る。青黒い雲の群れのような雑木林を一回りして栗・鶏山を下る頃には、東の空は灼熱に燃え、早々と暑苦しい太陽が顔を出す。一面の木の葉が光と熱に揺れる。それでもこの1、2時間は早朝の冷気の余韻が漂っている。重いバケツを両腕に下げ鶏小屋へと刈っても刈ってもゴワゴワと草の茂る坂道をエッチラオッチラ、クラクラと後頭部から胃袋、股の付け根へと全身の力が抜けていくような、やはり年かな。

 この夏はあきれるほど雑草たちが元気だった。「今まで経験したことのない」日照りと長雨も何のその、逆にその日と雨のエネルギーを存分に吸収し猛々しく繁茂した。いつもはその上に葉を延ばすカボチャもゴーヤもヘチマも草の海に消え、つる紫は雨に溶け、ナス、ピーマンは日照不足で太らない。花オクラだけはまるで雑草のように高々と葉を茂らせ、毎朝、柔らかに透き通ったおいしそうな花々の群れが濃い緑に浮き上がった。生で良し、さっと熱湯に通してもよし。一日で萎れとけてしまうので、コンテナいっぱいの花を無駄にしまいと、妻のノンはジュース(ミキサーで、ゆず茶や梅ジュースも入れて)やお好み焼き等「創作料理」に連日取り組んだ。結構いけた。

 私は雑草たちが大好きだ。そもそも私は都会で勤め人になるのが嫌で大地に返ったのだが、かといって「生産者」にも「農業者」にもなる気は全くなかった。私があこがれていたのは採集生活だった。わが師は山羊だった。終日周りの草を食べては横になり、少し歩いて又食べ、横になり、口を動かし風に吹かれ雲と奔る……これが私の理想だった。本気で山羊に養ってもらおうと考えた。この地球上にはミルクが主食の遊牧民がいるとか。山羊数匹と野っぱらに寝転がり、腹が減ったら乳をいただく。ざっと一匹で1日1ℓ、8か月は出す。種付けをずらせば1年じゅうふんだんに飲める。
 吉川英治の「三国志」で、「道々、木の実を糧とし、羊の乳を飲んで」老衰の病人のはずの陳珪(ちんけい)は、山羊を道連れに飄然と敵の大将の陣を訪れ、「内応の計」を説く。この軽々とした生き方・死に方がいい。
 残念ながら私の胃というより腸が2合以上受け付けず「遊山羊生活」は実現しなかったが、山羊乳が食の中心の1つにはなった。朝はミルクたっぷり、卵と小麦粉のクレープ、昼は水なし、ミルクだけで野菜を煮込んだシチュウ。さらにノンはヨーグルト(生乳をそのまま置いておいてもできるが、最初だけは市販のヨーグルトを混ぜると確実)、カテッジチーズ(酢で分離させる)を作った。なぜか料理・加工するとすんなりと胃腸に落ち着く。あと鶏やチャボを数羽、山に放した。夜は小屋か木の枝に休み、卵はたいてい小屋で産んだ。

 栗の時季にはバケツ一杯の虫食いの実を山羊は皮ごとバリバリカリカリと食べた。人間の食卓にも連日、山のような蒸し栗が供された。農薬、除草剤を使わず雑草たちと暮らしていると、果樹も野菜も農耕というより採集の気分になる。ブドウもそうだった。山羊が柵に垂れている実を房ごと口に入れ、逃げながらペッと芯を出すのを見て、私も早朝、畑に登り、朝露にぬれたブドウにかぶりつき、ペッといくつかの皮を出した。これが壮快にうまい。同じく柿も山でもぎたてをかぶりつくと,皮と実の間から湧き出る冷たい甘みが最高だ。
 サツマイモや、じゃが芋、大根や青菜(肥料不足で白菜が巻かない)等々、ピースやソラマメ、小豆、カボチャ、キウリなどは最初からそれなりにできた。
 やはり問題は主食だ。芋類や栗等は1日2日はいいが毎日となるとしんどい。どうしても穀物が欲しい。麦・雑穀類はやってみると特に収穫が本当に大変だった。麦刈り、日干し、脱穀、製粉……日干しの最中に梅雨に入り、全部腐らせてしまったこともあった。
 結局は米に行きついた。私たちは普段当たり前のように米を食しているが、こんなに美味で飽きず、毎年、一定量以上を確実に効率よく収穫できる作物もない。無農薬も可能だし、環境を破壊しないどころか保護・育成する。どんな農薬等が使われているかわからない輸入小麦などよりはるかに安全だ。それもこれも日本の風土を十二分に生かした水田のおかげだ。今、世界各国で米を中心とする和食の評価が高い。栄養のバランスが良く、カロリー過多でない。さらに肉食のように環境破壊を、食糧危機を招かない。牛肉を生産するためにはその十数倍の穀物を必要とする。日本人が一番、米の、水田の有難さがわかっていないのではないだろうか。

 さてその水田がうちではできないので、無農薬で米作りを始めた農家に手伝いに行って1年分をもらったり、友人たちと谷間の細長い段々の田んぼを借りて、機械類を全く使わない「原始稲作」を楽しんだこともあった。
 木々の新緑が点から面へと伸長し、その葉から葉へと小鳥たちの声が飛び交う頃、まず田起こし、というより田踏みから始めた。水を入れた田をひたすら素足で踏んでいく。まるで子供の泥遊びでひんやりとした土と水の感触が解放的だ。畔塗り、代掻き……ゆったりとマイペースでやれば一種のスポーツ、田植えは祭りだ。草取りをサボった分、稲刈りは大変、生い茂る雑草から稲を選り分け、鎌で刈る。数日、日に干し、延々と足でこいで脱穀、手回しのとうみで稲屑等を除く。丸二週間、晴天続きは天の助けか。それから又数日、籾を天日に広げた。今から考えるとこの時食べた玄米は生涯最高の滋味だった。
 改めて思う。農とは創造だと、遊びだと。遊びこそ生きることそのものだと。苦と喜びが一体となって生命が躍動している。 

続く 2021年9月27日

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