2月後半がさほど寒くなかったのは幸いだった。ドイツは北海道なみらしいが、それだけに暖房はしっかりしている。Mr.クリス(ドイツ、18歳)がコタツと電気敷毛布しかない丸太小屋に寝泊まりし始めたのは2月17日だった。スラリと長身、初々しい、長い髪を駆け出しのおすもうさんのようにてっぺんで結んでいる。あごが細長い、少女のような繊細な眼差し、落ち着いた静かな口調、というかほとんどしゃべらない。空いている時間はいつもスマホ、なにを考えているのか。ただし挨拶と返事、意思表示はきちんとする。
食いっぷりがお見事、私の3倍かな。ほとんど何でも食べたが、魚の骨が苦手のよう。野菜の食べ方も少ない。干し大根はだめ。味噌汁にがっぽりとカツオ菜や彦島菜、ほうれん草などを入れた。毎朝、一滴残さず平らげてくれた。海草はOK、ノリもきれいにご飯を巻いて食べた。箸の使い方もきれい。1か月以上いたが、とうとう風呂釜には入らず湯をかぶり洗うだけだったよう。
仕事はなんでも楽しんで、早く、ていねい。鍬で草をのぞき、鶏小屋の肥料を畑に入れる。薪を挽く。下の家の床の修理も。腐っていた骨組みを取り換え、適当な板を張り(全部うちにある古材)、わざわざとっておいた元の床の表面を仕上げに張った。
2月26日午後、アメリカ人カップルMs.クリスティーヌ(30歳)とMr.ブレッド(31歳)が加わった。二人とも日本人並みの背丈で、ある程度日本語ができ、親しみやすい印象。コンピューター関係の仕事らしいが近い将来、就農をめざしているとか。彼等は下の家で宿泊。
このところ雨は少しは降ったがずっと晴れ、ようやく梅の花も本格的に。ウグイスの声が早くもふっくらと成熟して宙に湧くよう。三人に鶏小屋の解体を。クリスティーヌには人参堀りを主に頼む。広さ4メートル×8メートル、金網はもう取り除いていた。まず壁、トタンをはがし、横木を外す。過剰に多く深く釘を打ち付けているので(もちろん私が)、けっこう大変だったよう、二日、かかった。三日目の朝、すでに傾いている小屋の、その重みが伸し掛かっている柱を、私がボンゴシで何度も強打した。柱はガックリとひざを折り、屋根が前方に崩れた。さらに残りの柱も。屋根全体が地上に横たわった。これで安全に楽にトタンをはがすことができる。昔々、わが師の地金屋のおいちゃんに習ったちょっと荒っぽいが手っ取り早いやり方だ。
食事を作るだけでも妻のノンは大忙しだった。極力、三人に作ってもらった。まずクリス。パスタというよりうどんに近い。小麦粉と卵と水を混ぜよくこねる。まな板の上に包丁でうすく伸ばし、細く削って熱湯に落とす。ゆでてチーズ等をまぶして食べる。腰があってかつプッチリとした歯ごたえ。
クリスティーヌは玄米チャーハン、卵と野菜たっぷりの健康食。ブレッドは焼そば、こちらは豆腐たっぷり。後かたづけの時、この二人は流しの回りをあちこち捜し、奥から合成洗剤(捨てるに捨てられずとっておいたもの)を引っ張り出した。ノンが「うちは基本的には水かお湯、必要な時は廃油で作った石鹸か米ぬかしか使わない」と言っても納得しない。きれい好きの人達は洗剤でなければスッキリしないんだろう。クリスの「合成洗剤は川の水や地下水を汚染しますよ」でとりあえず収まった。彼等は浴用石鹸は持参していた。お茶も。なにがしかの健康茶なのだろう。それしか飲まなかった。
暖かというより暑いくらいの日々だった。三日目には小屋の解体はほとんど終わった。四日目には小屋はなくなり、トタンや材木も整理され運ばれた。人参もきれいに掘りあげられた。その午前中、ノンは三人を上の雑木林、さらに産廃場へと案内した。「ある意味、ここは日本の、地球の縮図なのです。私たちは自身のふるさとを、生命の源を巨大なゴミ捨て場にしようとしている。際限なく金を、安楽を、便利さを求めて」。彼女の思いがどう伝わったかな。
五日目の午前10時過ぎ、二人は広島へ旅立っていった。
それからの日々、クリスは独り終日畑で過ごした。耕運機で畑をおこし馬鈴薯を植え、人参畑の草をの除き整地、ピース畑の草をきれいに取り竹をさした。時おり急に冬に戻ったが今年の春は駆け足だ。ようやく咲いた梅の花が散ったかと思うともう新芽がくっきり。三月後半はまるで初夏、アンズ、リンゴ、グミ、サクラ、スモモ、ナシ……と一気に開花。リンゴの木全体に輝く白い花々の一つ一つが弾けるよう。
クリスは下の家に付随した焚物を置くための軒作り。柱を立て、トタン屋根をはり、明り取りに小さな窓も取り付けてもらい板壁を打ち付ける。初めての経験、最初は私やノンに助言を受けたが、おおむね彼の考えで、気のすむようにしてもらった。私がやるよりよほどすっきりとできあがった。
4月1日、暖かな晴れ、夕方、ノンとハッサンと私でクリスを筑前大分駅に送った。彼は電車に乗り込むとき、腰を折るようにして、「ありがとうございます」、ハッとするほど少年のように純真な表情だった。
あっけなく花々は散っていった。それらを惜しむ間もなく、新緑が山全体を覆った。いつもの点から線、面、そして三次元の世界へと一日一日吹き流れていくのではなく、ある日突然、まるで山じゅうに緑の花火が打ち上げられたように、緑の光がこの小宇宙に充満した。
2018年4月29日
追伸
なぜか例年になくせっせとあちこちに自生する茶を摘み、炒り、もみ、干し、飲みました。まさに新緑の香、緑の風が身体の芯を吹き抜けていくよう。野生の苦味の力強さ、大空を奔る心地。