10月18日(金)、待望の雨。特にほうれん草、9月半ばから3、4回まき直したが、出が悪いのか出はなを虫に食われるのか、さっぱり。10月初めに種を落としたのがようやくうっすらと緑の帯を見せ始めていた。大根は一気に茂った。数年、アブラナ科を休ませた畑なので、ほとんど虫に食われず、抜けるように清楚。
20日の朝、晴れそう、重苦しい気分。久しぶりにウーファーさんを迎える時はいつもこうだ。まずは片付け、彼等が寝泊まりする丸太小屋は妻のノンに任せ、軒下を占領する山積みの米ぬかを上の飼料小屋に運ぶ。袋をかついで坂を登ると、天の圧力が太ももの付け根からふくらはぎ、足首にのしかかってくるよう。山全体が鈍い緑に。あんなにしつこくギザギザとはびこっていたツル性の雑草達も勢いがしぼんだ。どうにか不自由なく軒下を歩けるようになる。次に台所兼食堂兼居間である土間の整地、雌犬のハッサンが夏の昼寝のためにあちこちを掘っていたのだ。実際、すっぽりと土に埋もれる様はなんとも涼し気だった。煙突と薪置き場の掃除、そろそろ薪ストーブの時季だ。外に散らばっているトタン等の回収。やはりできるだけ気持ちよく過ごしてほしいし、こんな所はごめんだと一晩で立ち去ってもらいたくない。
今回は特にノンと頭を悩ませた。最初は断ろうかと思った。相手の青年は強度の麦アレルギー、まな板や鍋等にわずかに残っていたものが口に入ってもいけないし、天ぷらなど揚げた油も、醤油など少しでも麦の入った加工食品もだめ。結局、いけーということに。なにしろ友人から回ってきた無農薬中米がどっさり、製粉機があるので米の粉はいくらでも。いつものように玄米、味噌、野菜、卵、豆類……魚、肉…要するに正体不明の加工食品を使わなければいい。醤油だけは娘にインターネットで麦無しを取り寄せてもらった。普段使っていた醤油等や小麦粉などは奥に、冷蔵庫も隅々まで整理した。
21日、曇り・晴れ、暑くも寒くもない。夕方、Mr.アリ(アメリカ、ニューヨーク育ちのユダヤ人23歳)到着。拍子抜けするほどにすんなりと雑草園の暮らしに溶け込んでくれた。顔つきはいかにも白人だが、がっしりとした中背、落ち着いた静かな眼差しと物言い、少年っぽさの残る控えめな笑顔は、どこか私たち北東アジア人を思わせる。アメリカ産小麦を(当然マクドナルドやケンタッキー等も)食べないのでかえって健康ではと思うほど、表情も動きも生き生きとしているし、ノンの手料理を何でもおいしそうに平らげた。大根葉のキムチ、イワシの煮つけ、ばら・いなりずし、餅、米の粉のお好み焼き・団子汁・ゴボウ天……。生卵、海藻、それに生シイタケも。原木に菌を打ってまだ一年半だが、モコモコとぶ厚いのが豊作。
仕事はほとんど任せっきりでよかった。ぎんなんの皮むき、ピーナツ・菊芋・里芋・ゆず・柿の収穫、草取り、薪集めと薪切り……。おかげで私はカツオ菜やターサイの移植、赤ソラマメの種まき、玉ねぎの植え付けなど、畑に専念することができた。
彼は連日「創作料理」にも取り組んだ。粉も油も使わないカレー。様々の野菜と鶏肉を、その肉から出る油だけで炒め、液状に砕いた大豆を加え、塩とクミン等の香辛料、じゃが芋、最後にナス。身体によさそうなホッとする味。米の粉と油と泡立てた卵でパイ。小麦粉より歯ごたえがしっとり。ニンニク入りマッシュポテトを台に、緑大豆、茶色に炒めた玉ねぎ、ナス、ピーマン、一番上に半熟卵。海苔やほうれん草なども合いそう。バナナと米の粉と卵でパンケーキ。サクリとやわらかな甘み。油で焼いたさつま芋にタレ二種。すったニンニクを油いためしたもの、生ニンニクと朝鮮胡椒とマヨネーズ。意外な組み合わせだが、味が複雑で深く、喉の通りがいい。
気がゆるんだのか私は11月半ば、けっこうひどいのど風邪、咳も痰も。ゆずを取っていた時汗を冷やしたままにしたのがいけなかったよう。熱は37度をこえた。私にしては十数年ぶりの高熱、仕方なく病院に行き、抗生剤を4日、どうやら収まった。春の急性膀胱炎と、年に2回も抗生剤のお世話になるとは。やはり確実に体力は落ちている。
11月17日、アリ君大阪へ旅立つ。22日、急遽Ms.マリッサ(ペルー出身、オーストラリア在住、55歳芸術家)来訪。髪ぼさぼさでがっしりとした体の一見肝っ玉かあさん、情熱的なスペインの匂いも、大きなくっきりとした目が知的で優しい。日本語はまったく使えない。左利き、箸もだめでスプーンとフォークで。朝一番のコーヒーは必須。さっそく昼はパスタ、夕はチャーハン(ショウガの効いた大人の味)を彼女が作った。
顔を合わせた途端にハッサンと仲良しに。雄猫のトラ次郎は連夜丸太小屋に。ノンとも即通じ合ったようで、花壇や畑や庭の手入れ・草取りもたいてい二人で。誠実に丁寧にやってくれた。彼女のじゃが芋料理は独特だった。コチジャンを使ったカレー風煮物、豆入りポテトサラダ、ポテトが主の卵焼き……。
1週間が過ぎて、日曜のはずが土曜の午後、慌ただしく彼女は旅立っていった。私とは何となくぎくしゃくとしていて、ようやく彼女の優しさ、あたたかさが分かり始めた時だった。ぽっかりと気の抜けたような思い。
12月上旬、寒々とした灰色の空に。いつものように早朝のうす闇の中、ハッサンと栗山を登る。すでに山は茶色だ。すっかり葉の抜け落ちた木々もちらほら。
ハッサンは軽々と駆けあがる。病み上がりのフワフワと頼りない身体に、じんわりと生きる力が湧きおこってくる。一足一足踏みしめる茶褐色の落ち葉の感触と、脳の芯から天へと貫く山の気の冷たさが、なんとも心地いい。
故中村哲 様
地球の明日を土台から創る。大地の生命の営みを再生させる。
あなたの、その歩みが、
地球の至る所で、力強く受け継がれますように。
きわめて微力ながら私も。深く心に期して。
2019年12月4日