48番目の春

重松博昭
2021/04/21

 わが雑草園では山の中央に枝を延ばす椿が春の訪れ、というより冬の終わりを告げる。それも開花というより落花が。空を覆う深緑一面に水彩絵の具の赤と白が滲むように、それはそれはたくさんの花々が咲き乱れ、あっけなく散り野を埋める。無言の雨がその残骸を土に流す。
 朝晩は火が欠かせないが日差しの鋭さに夏を感じ始めるころ、ほうれん草、春菊、チシャ、サラダ菜の種をまいた。ちょっと前まであたりは枯野だったのに、新緑の勢いに目を見張るほどだ。鶏小屋跡の黒土を柔らかに覆うハコベがおいしそう。おひたしのゴマ醤油ワサビあえが一番かな。元栗山の落葉樹林はまだからっぽで、乾いた冷たい風が大空へ吹き抜けていく。冬の間に元ブドウ畑の1aほどに鶏小屋の肥料と木灰を入れていた。その畑の草を平鍬でけずり取り、耕運機をかけた。2年前、50代のフランス人夫婦が汗だくになって硬い土を起こし、根こそぎ除いたはずのキツネノボタンがしぶとく残っている。
 3月10日、例年より半月ほど遅くじゃが芋を植えた。去年はようやく濃い緑が頭をもたげ始めた頃、遅霜に何度も痛めつけられ、黄土色に委縮したまま。力が抜けるほどわずかの収穫だった。もう48年も前、この地に移り住み、「原野」を開墾し最初に植え付けたのがじゃが芋だった。やせた土にしてはよくできた。以来、いつもそこそこの収穫はあったのだが。温暖化のため野菜作り全般が難しくなった。単に温度が上がっただけではない。寒暖の差が酷になった。初夏のような日和から一気に冬に逆戻りすれば、野菜たちも身がもたない。
 3月後半、木々の緑も走り始めた。コナラ、栗、ハゼ、銀杏、ユリノキ……かつては5月上旬に芽ぶいた柿も。山中に緑の点が湧き、雪のように宙に舞う。
 3月21日の13時過ぎ、わが盟友弦次郎(だったと思う)さんの死の知らせが妹さんからの電話で届いた。「げんじろう」は確かだが文字で確認したことがない。手紙も(もちろんメールも)必要なかった。直に会うしかない。合っても「よー」と目線を交わし、ろくに話もせずただ飲むだけ。
 彼はわが雑草園の元祖ウーファー、助っ人だった。ノンと私が結婚してすぐにシロウト農を始める前、私が大学をやめ、その後の道も定まらない、人生の夜明け前のような時期に出会った。彼は彼で私よりはるかに重い問題を抱えていた。心の病(統合失調症)に苦しむ兄(私の小学校の友人だった)に向き合って1日1日を生きていかねばならなかったのだ。その兄が病院に入院している時など手伝いに来てくれた。しばらく最初の掘っ立て小屋に寝泊まりしたこともある。初冬で仕事は主に開墾だった。彼はただただ汗を流し、風に吹かれ、時折、空をながめた。実にいい表情をしていた。薪ストーブを囲み熱々のお好み焼きを頬張っていた時も。梅雨の盛り、朝まで飲み、二日酔いに痛む頭を抱え雨の中サツマイモの苗を植えたこともあった。 彼は本質的に自由人だった。いつもラフなジーンズの上下で、ちょっぴり荒んだどこまでも優しい飄々とした表情によく似合った。トラックの運転で必要なだけ稼げればという男だった。友人は多かった。博多の夜のマチにも。ロック、ジャズ、フォーク、民族音楽…ジャンルを問わず自由な音楽を、音楽の自由を愛した。スラリと長身の初々しい知的女性を連れてきたことがあったが、結婚はしなかったようだ。
 だんだんに足は遠のいたが、1、2年に一度はふらりと顔を見せた。だんだんに農作業をすることはなくなって飲むか眠るかになった。それほど疲れていたのだ。兄との、世間との付き合いに。選挙にも決して行かなかった。完全に政治を、世間を、たてまえ社会を見限っていたのだ。国民の一人一人の生命を大切にしない、むしろ弱者を拒絶する社会、政治家先生方に、彼のような人にこそノーと明言してほしかったのだが。彼にも彼の兄にも何の力にもなれなかった私には、ただ一時の休息の場を提供することしかできなかった。

 家の前の野っぱらの湧きかえる緑に、白く小さな月のかけらみたいなのが幾つも浮き上がった。モクレンの花だ。それらは日に日に膨れ、やがて白いハトに開花し、空に飛び立つように散っていった。大小の各種水仙、雪柳、アンズ、ハナニラ、染井吉野、スモモ、梨、山桜……野イチゴ、ハコベ……いずれも花の一つ一つを見れば、ひっそりと透明な光を放っている。
 ノンがまわりの友人・知人から種やさし芽や苗をもらったり交換したり、時に買ってきて、この3、40年の間しこしこと育てた花々が、新緑の海から浮かぶように、あちこちで次から次へと開き始めた。あせび、山吹、アイリス、ネモフィラ、クレマチス、シャクナゲ、シャクヤク、ダリヤ、バラ、そして半月早くツツジ、都ワスレ……なかでも木陰にそっと揺れる山吹色が脳裏に残る。
 4月19日早朝、晴れ、ぐっと冷えた。明るくなってハッサンと散歩、幸い、じゃが芋は無事で青々と葉を茂らせている。野山一面にうっすらと粉のような霜、ほうれん草もサラダ菜もカラスノエンドウも栗もコナラも柿も、とにかくすべての緑が躍動している。生命が飽和に満ちようとしている。
 まるで2、3か月が凝縮したような、いや48年が一息に目の前を通り過ぎたかのようなこの1か月だった。長い年月、私の脳裏に幾重にも刻まれた緑の、生命の流れが、より濃く、より鮮やかになって、生から死、死から生へと、まるで急流のように駆け巡る。緑の、生命の点が、この小宇宙に吹き流れ、点は面になり、二次元から三次元になり、この宇宙を、私の心を覆い尽くす。

 生き残りの椿の紅が暗い茂みに佇んでいた。それらに寄り添う山藤の花が清新な水の流れのようだった。

   2021年4月19日

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