梅雨のような水っぽい生暖かい日々だ。この地に生きて42年、こんなに野菜作りが難しい秋もない。
いまさらながら思う。なんといいかげんな農民だったことか。というか今でも自分のことを農民とは思っていない。おこがましい。農民失格とまでは言わないが、合格ではない。いつまでもシロウト農、遊民かな。
そんな私でも秋野菜だけはどうにかまともに、時には惚れ惚れするほどに清々と、生々と育ってくれた。冬に向かう雑草達の枯淡が更にそれらを際立たせ、山の気は天空に突き抜けるようだった。
今秋はたっぷりの水分に恵まれ、特にミゾソバが豊満に野一面を覆い、ピンクの小さな花々に舞うミツバチたちの羽音がけだるい。それら花々の輝きもしだいに失せ、黒ずんでくる。イヌタデも、泡立ち草、エノコログサ……続々と種を孕みはじめる。
まず9月半ばにまいたほうれん草と春菊がきれいに消滅。人参は青々と。間引き菜を食べまくった。かき揚げはもちろん、シチュー、味噌汁、チャーハン、ラーメン……何にでも青みに。生でサラダが爽やかな香と歯ざわり。例年虫害で苦労するアブラナ科野菜はかぶ、小松菜、チンゲン菜……と全滅、大根はなんとか育っている。やはり大根葉の一夜漬がないと始まらない。茹でてもいいが油にも合う。炒めて味噌汁に、こくが出る。
虫を防ぐためにポットで苗を育て移植した白菜とカツオ菜と水菜は、穴だらけだが生きている。虫に食われず最も簡単なはずのサラダ菜が腐り始めている。ミニトマトも。引っこ抜いた。ゆずが早々に落ち始めたのも初めての経験だ。青い果の汁を垂らすと酒が清新に、進みすぎて困る。
肌寒い曇り空、時折雨の中、2か月余り続いた咳がようやく収まった妻とハッサンと久しぶりに嘉穂町の川原を散歩した。延々と続く焦げ茶の葦の茂みに泡立ち草の花の山吹色が垂れる。丸っこい茶褐色の渡り鳥2、30羽が静止した水面に浮かぶ。飛び立つことを知っているのでハッサンは追わない。10分ほど歩いて、刈ったばかりのみずみずしい緑の帯が開けた。ねぎとニラの中間、ラッキョウを太く大きくしたような青い線の群れがあちこちに浮かんでいた。ノビルだ。土が緩んでいるので引っこ抜くことができた。茹でて酢味噌あえに、濁りのないゆかしい香と味。畑の元気のないネギに代わって味噌汁に、うどんやソバ等々に。ヨメナのお浸しも苦味じんわりがいい。
終わってみれば、たらふく栗を食べることができた。猪や鹿に尻を叩かれて例年になく必死に栗を拾ったのと、柵に囲われた栗2本が豊作でしかも人間が独占することができたからだ。
一方、下の一帯は、栗も柿も畑の獲物もなくなり、上以上に柵を強化したにもかかわらず、トタンや太い材木のさらに下に穴を掘って何者かが侵入し続け、ほとんど毎夜、何度もハッサンが吠え闇に飛び出ていった。夏からすでに3か月。どうも敵はこの地をねぐらに、巣にしようとしているようだ。
とうとう侵入者を撲殺しなければならなくなった。暑いくらいの雨の夜だった。棒がたまたまだが頭の急所に命中したからか、意外にあっさりと息を引き取ってくれた。翌朝早く土葬した。アライグマなのだろうが狸そっくりだった。体長約60センチ、灰黒色の厚い毛皮に覆われた身体は丸々と重かった。毛皮を取り肉も食べたほうが理にかなうし死者の供養にもなると私は思うのだが技も気力もない。
あれから1週間、ピタリと夜の騒ぎが止んだところをみると、やはり侵入者はあのアライグマ1匹だったのだ。
今のところ被害はないが、昼間から、鳥のかん高い声音に似た鹿の叫びが宙を引き裂くようだ。猪たちもすぐ近くを徘徊している。アナグマ、ハクビシン……猿たちだっていつ現れるかわからない。
結局、自業自得なんですよね。人間自ら山里を彼らに譲り渡しているのだから。より多くの金、楽、快をどこまでも求め、コンクリートジャングルに群れ、生命の源である山里を放置、どころか破壊(産業廃棄物処分場等々)しようとしているのだから。日本のトップの方々にとっては農林漁業なんてつぶれてもらったほうがいいんですよね。経済が、金がすべてなんですよね。
不透明どころか、今ほど私達が進むべき道がはっきりしているときはないと私は思う。空気が、水が、食べ物がなくてどうする? 母なる大地・海を、そして国民の命を守ることが、政治の第一の使命じゃないの?
わが雑草園の話に戻る。恐らく日本全国同じだろうが、真剣に野生動物たちとどう共存するか考え即実行しなければならないときに来ている。なにより人間自身がこの地に根付いて生きる。そうしなければ共存どころか「猿の惑星」が、雑草園ならぬ「野生園」が、「アライグマ王国」が出現するだろう。
ようやく寒くなり山全体が秋色に染まり始めたが、まだ夏が、春さえも居残っているよう。シャキッとしない。透明感がない。
一気に厳しい冬になるのだろう。
2016年10月31日