朝も6時半ごろになると、下界はまだ闇だが空は明け始める。夜明け前の海のような白く透き通った青を、点々と星の帆掛け船が往き、雲の島々が浮かぶ。ハッサン(雌犬、12歳)と鶏山を登る。栗、柿、コナラ、ユリノキ、ハゼ、クルミと葉を落とした枝々が黒々と天空に伸びる。上の雑木林に入ると、樫、樟等の常緑樹が天を覆い闇が濃くなる。2、30m下った谷間に黒い影がかすかに蹄の音をたてて流れた。ハッサンが追ったがすぐに戻ってきた。鹿だろう。
尾根伝いに西北のはずれまで歩き、引き返すころには闇の霧が晴れ始める。枯れて幹から落ちたばかりの3、4mの枝を引きずって下った。地面に長く横たわった木は腐食して薪にならない。細い枝は手で折り、太い部分は鋸で挽いて土間に運んだ。
なぜ薪は燃料にほとんど使われなくなったのか? この土間の有様を見れば一目瞭然だろう。煙で天井や壁は薄暗く染まり、鍋や薬缶は真っ黒だ。ストーブの周りの地面には灰と木くずが散らばり、横には山のように雑然と薪が積まれている。我々がこの半世紀ばかり追い求めてきたクリーン、ピッカピカの対極だ。さらにスイッチあるいはタッチひとつで自由自在のガス、とりわけ電気に比べれば何と手間暇のかかることか。
ところが想像力を地球規模に、エネルギーの生産・採掘、加工精製、運搬、使う際の設備・器具、使った後の始末等々にまで広げてみると、石炭・石油・天然ガス等はなんと手間暇のかかっていることか。その究極が原子力発電だろう。再生可能エネルギーによる発電だってかなりめんどうだ。
それらに比べると薪は呆れるほど簡単易い(安い)。誤解されている方がけっこういるようなので(実は私もそうだった)確認しておきたいのだが、薪はれっきとした再生可能エネルギーで二酸化炭素を増やさない。もちろん豊かな森林の維持・育成が大前提だが。さらにストーブにしろカマドにしろ自身で作ることもできる。買っても故障なんてほとんどないし、いい物なら何代も持つ。燃えた後の灰は貴重な肥料になる。使えなくなったストーブは鉄に再生できる。
さて、私は幼少から緑茶党だが、この所、時折コーヒーにも親しみ始めた。娘の野枝がフェアトレード(詳しいことは知らないが、要するに金儲けだけではなく生産者の生活と消費者の健康、それに環境にも配慮したフェアな結びつき、流通のしくみ、いわば地球規模の生活協同組合かなと私は思っている)の生豆を送ってくれるのだ。薪ストーブに専用のフライパンをかけ、豆を入れ箸でかき混ぜる。最初は強火、だんだん弱く、最後は残り火で。10分ちょっとかかる。まだ実験中で弱火でもっと長くのほうがいいのかもしれない。じんわりと焦げていく匂いがなんとも香ばしい。しばらく冷まし、手回しで碾き、やんわりと熱湯を注ぐ。一層豊潤になった香が漂う。一口目の熱い苦みがなぜか懐かしい。ちょっぴり甘みを添えると、生き返るようなまろやかなコクが舌の奥に湧く。蜂蜜か黒砂糖か、砂糖漬けのユズもい。
黄な粉もよく作る。こちらは大豆にかすかに焦げ目がついたところで火から下ろし、冷まして製粉機にかける。残念ながらウチの畑は乾燥し過ぎで大豆に実が入らず、3、4年に1度、今度こそと期待したときは葉ごと鹿に喰われる。地元産のも手に入りにくくなり、北海道産を使っているが、炒りたて碾きたては香も味も澄んで甘い。焼いた餅もいいし、これも製粉機で碾いた米の粉の団子にまぶすのもいい。
めんどうだし汚れもするが、薪の火がこと料理の質に関してはガス・電気に優っていることは大抵の人が認めるだろう。特に焼きもの、炒めもの。薪の火は最高の料理人であり調味料なのだ。火に金網をかけ、べつに肉や魚でなくていい、前日の残り物、季節の野菜、今なら白菜、ネギ、人参、芋類、それに椎茸、平茸、あれば豆腐類もいい。熱々を塩でも醤油でも好みのタレでも。赤々と揺れ伸びる炎に、フライパンを、油の煙がもわもわと昇るほどに熱し、何でもいい一気に炒めジュワーと醤油をたらしいただく。ついでに焼酎の水割りの入った湯呑をストーブの隅に乗せておく。手に持つと少し熱いくらいがいい。かすかに湯気が上がっている。焼酎のきつさ、臭みが消える。身体も心もホコホコだ。
結局、色々やってみたが、風呂は五右衛門復活とあいなった。かなり冷え性のひどい妻のノンも、こちらの方が体の芯までぬくもるという。難点は百mほど坂道(タイムロード)を登らなければならないこと。ノンも私もあと何年続けられるか。しかしこれも考えようで、毎日手軽に50年もの時の旅を楽しむことができるのだ。それもタダで。現在ではこの日本でもめったなことではお目にかかれない風呂に入ることができるのだ。
どうして日本人はこんな最高の快楽を捨ててしまったのか。久しぶりに五右衛門風呂に浸かって、改めて不思議に思った。底からじんわりと沸く柔らかな温もり、背中に触れる鉄釜の程よい火の熱さ、薪の弾ける音、煙の匂い、トタンを流れる雨、舞う風と雪……熱効率が良く少しの薪で短時間で沸く。熾火(残り火)のおかげで容易に冷めない。風呂釜さえ手に入れば自分で作れる。庭先にブロックやレンガでカマドを作るのもいいが、斜面を掘り、山石を積んで、土の中に釜を据えるのが一番簡単で費用もかからず断熱効果も高い。後からトタン屋根・壁で囲えばいい。もちろん露天も楽しい。
これに太陽熱温水器が加われば、鬼に金棒だ。薪と同様、日光との付き合い方も、この半世紀、ほとんど進歩がなかったのではないか。
続く 2020年2月30日
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