いのち、緑の海へ 下

重松博昭
2018/06/13

 私が言いたいことは申し訳ないくらい当たり前のことだ。私たち人間はこの地球上に生きる生き物の一つだ。空気を吸い吐き、水・食べ物を摂り排泄し生きている。そして空気も水も食べ物も、そのほとんどすべてを大地・海から与えられ、排泄物・ゴミのほとんどすべてを大地・海に始末してもらっている。

 私たちには、そのことが、まったくといっていいくらい見えなくなっている。大地から隔離された「密室」で暮らしているから。まるでケージ飼いの鶏たちや、動物園のサルやライオンたちのように。日本の農・漁業が崩壊寸前であろうが、一般・産業廃棄物処分場や原発等によって大地・海が致命的に毒されようが、どこ吹く風だ。

 私たち個々人も「密室」化している。自分たちに必要で快・楽なものだけを外界から得、不必要なもの、不快・苦はすべて外に。情報もそうだ。インターネットは個々人をより「密室」化する。快・楽な情報ばかりに浸り、快・楽な同士、お仲間が群れ、不快・苦はすべて「悪」として攻撃・排除する。

 

 さて、嵐のようにフランス人男性二人が去り、静かな生活が何日か続いた。5月14日、晴れ、朝から暑い。例によって二人と一匹と筑前大分駅に迎えに。こちらが何分か遅れた。ノンが駅の前の階段を急ぎ足で登ったがいない。すでに車のすぐそばにいた。Mr.シャノン(タイ、25歳)、なで肩の中肉中背、日本のどこにでもいるような。表情がよくいえば静か、悪くいえば鈍い。荷物は中くらいのスーツケースだけ。嫌な予感、数年前アジアから来た観光気分の男性のことが頭をよぎった。作業服はおろか下着もろくに持参してなかった。車に乗り込んですぐハッサンを見て彼の表情が開く。ハッサンは全く警戒心なし。

 雑草園に着いて、ここの暮らしをノンが説明する。なんと彼は立小便の経験がないとか。ずっと都会暮らしなら無理もないが、ここでは男性は便の小は原則外でという決まりがある。小に限らず「無の便所」が一番だと私は常々思っている。緑の宇宙にただ独りしゃがむ。風がいい、確かさがいい。自分の出したもの、日々の死が、大地に返る、再生する。とはいえ丸太小屋にも便所はある。彼は自分のやり方でやらせてほしいと。そう言われればそうするしかない。

 鎌も手にしたことがない。ただ、朝には強いとかで、6時から仕事に。何をさせたらいいか。あの体で農作業ができるだろうか。その夜は私のほうがくよくよと考えた。悪いことにこの夜、急にカエルの声が、それもすぐ近くで。あのオタマジャクシたちが成長したのか。リリリーンと虫のようなのはまだいいが、グワッグワッとカラスのようなのは神経に響く。何度も目覚めた。

 翌朝6時前、彼は起きてきた。長靴に作業服がよく似合っている。鎌で刈らせると、手先だけではなく腰が入っている。彼だけで1時間半弱で鶏の青菜やりをすませ、次は柵づくり。ざっと150m、竹の杭を打ち、トタンを横に立て並べ栗山を囲う。彼にとってこれももちろん初体験、左手で竹を支え右手でボンゴシを振り上げ打ち込む。ボンゴシが重そう、力が入らない、竹の頭が割れた、竹が傾く、やはり無理か……だが彼は意外にしぶとい。生き生きとした表情で全身の力を込める、何度も。ボンゴシが竹の芯をとらえた、竹がズボッと地中に潜った。なんとかなりそう。

 結局、彼ほど雑草園の風景に溶け込んだ人はいなかったかも。まるでずっとここで暮らしてきたような。自然体で、楽しんで。雨の日もカッパを着て、必ず朝食前に2時間。ここで暮らした2週間でとうとう柵を完成させた。たまのお茶も、束の間の空白をいとおしむように。雑草園自生の茶がめっぽう気に入ったよう。せっせと自ら摘み、炒り、もんだ。何でも、いかにもおいしそうに、ゆっくりと食べた。特に野菜、キムチ等辛いのがまた大好き、ラッキョウも。

 自らの排泄物を自らの手で始末した。うちの便所の床は開閉可能で、便のたまったバケツを週1度取り出し、畑のわきの野ツボに運ぶ。きちんとふたをするので、ハエ等わかない。半年もすれば、良質の肥料になる。立小便の気持ちよさもわかってくれたようだ。

 日本語も積極的にノンに習い、あいさつはすぐに覚えた。スマホは必要な時だけ、ほとんど付き合わなかった。まだまだ人間、捨てたもんじゃない。根っからの都会人があんなにもすんなりと大地に返ることができるのだ。

 それにひきかえ40数年も大地に生きてきたはずの私は、このところ気勢が上がらない。風邪が治りきらず、肩・首を痛め、その痛みが顎、歯茎へと連動し、いやはや……今年もひたひたと緑ノ海に迫られている。やっとの思いで玉ねぎ(病気が入った)、ニンニク(これは豊作)、ジャガイモ(ダニにやられる)、赤そら豆(これだけは毎年よくできる)を収穫。鹿等に柵を破られ荒らされたが、なんとかキウリ、ナス、ピーマン、カボチャ、ニガウリ、オクラ、えんさい、つるむらさき、里芋、ねぎ、にら……と、まだ生きている。ノンの花壇(ばら、なでしこ、つつじ、しょうぶ、あじさい、ゆり等)は元気。

 痛みで夜、眠られないのが一番つらい。雨の夜のカエルたちの声は、近ごろむしろ救いだ。それにしても、あんなにうじゃうじゃオタマジャクシがいた割には声が少ない。ふっと思った。幼いカエルたちが緑の大海に呑込まれるように飛び込んでいく様を。蛇、イタチ、テン、アライグマ……猫も待ち構えているだろう。

 コンクリートジャングルもだが、緑ノ海も生きていくのは大変ですねえ。

 

 カラスに急き立てられるようにグミをちぎり、ワインに。水のように爽やか、過ぎるかな。

       2018年6月6日

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