風、きらめく3

重松博昭
2024/06/25

5月15日(水)5時起床、晴れ、少し寒い。ちょっと火をおこし茶を飲む。ハッサンは山に散歩に行く気がないよう。苗床の半分くらいアライグマ?にかき回されていた。まだ小さいナス、ピーマン、トマト、コショウの苗を急いでノンが鉢に移した。鶏の餌は一昨日帰省したノエがやってくれた。朝食後、まるで一週間ほど旅行するかのように数日前からあれこれと点検していた入院(たった二日)の準備がやっと終った。そのリュックと車に乗り込み、出発。運転はノエ。10時過ぎ、病院着。さっそくポカ、7階の入院病棟に行く途中、診察券を落とす。1階受付に届けられていた。手術着に着替え、体温・血圧を何度か計り、瞳孔を広げるための目薬を30分ごとに4回、入れ歯を外し、点滴をして、14時過ぎ、車椅子を看護師さん(テキパキと感じのいい女性)に押してもらいエレベーターに。急に重病人になった気分。3階、エレベーターを出ると手術室、というより手術棟か。階全体が別世界だ。灰色というか薄緑というかひんやりと緊張した中間色一色。汚れ、ほこり等の異物一切のない巨大な冷蔵庫。その一室に入り、手術台に横になる。担当医(細面、優しい眼差しの女性)と頼りになるマザー風の医師(あるいは看護師)としっかりとした仕事人風の男性医等々。顔全体に何かをかぶせられ、右目だけが露わに。ちらりと閉所恐怖が。混濁した眼球の水晶体に何らかの処置をして人工レンズを挿入しているのだろうが、痛みはほとんどなくただ水と光が渦を巻く。この世ではない原色の世界に吸い込まれそう。宇宙音みたいな奇妙な機械音が響く。歯科医院でぐりぐりと歯を削られている時もそうだが、なぜかハッサンやトラやミーサの顔を思い浮かべすがるように時間の経過を待つ。この水中の悪夢のような時間は意外にあっさりと終わり、無事手術は終了した。ふっと急に寒くなる。

 部屋に帰って点滴を抗生剤に変え1時間、点滴から解放され、布団の中でまどろんだ。右目は眼帯で保護されている。悪い癖でつい余計なことを考えてしまう。あれほど超クリーンな(しかも最新の機器を備えた)巨大密室をつくり維持するだけでも相当な手間暇、金、資源、エネルギーを要するのでは。無菌状態をほぼ完璧に保つためには使い捨ての器具・衣料等もかなり必要になるだろう。毎日どれだけの医療廃棄物が出ていることか。なんだか申し訳ないような気がする。70代半ばの白内障など老衰そのものだろう。衰えるままに最期を迎える方が本人も楽だし社会に負担もかからない。ただ、身体全体が衰えて自然に楽に死ねればいいが、例えば目が急速に衰えた後も生き延びなければならないとしたら、本人も大変だしまわりにも一層の負担をかける。第一、術後にこんなことを言っても意味ない。これ以降、少しでも医療のお世話にならないよう、自力で生活できるよう、周りの人々や社会にちょっぴりでもお返しできるよう、一日一日を大切に生きるしかない。私の場合は土に生きる志を細々とでも持続していくしかない。誤解のないよう強く言っておきたいのだが、私は「役に立たない」「障害の重い」「弱者」は生きている価値がないなどと言う気は毛頭ない。むしろ逆だ。「弱者」のためにこそ医療はあるべきだろう。弱さも強さも含んだ命丸ごとをまず受け入れる。そのうえでの存分に生き、死ぬための寄り添い・ケアこそ医の本質では。こうなると「弱者」に限った話ではなくなる。そもそも皆、弱い人間ですよね。弱さこそ人間の根っこだと私は思う。弱さそのままを認め、その自身の身、心でしぶとく生きていきたい。あくまで生きるのは私たち一人一人なのだ。医療に頼りすぎては、お任せしてはいけない。一番わかりやすいのが末期医療、無駄で苦しむだけの(営利のための?)延命治療はごめんこうむりたい。できることなら鶏さん達のように成り行きに任せて自然に食から離れ眠るように死んでいきたいものだ。ただそれにしても独りでは難しい。ケア・介護は不可欠だ。私は早めの在宅看護が一番望ましいと思う。まだ何分の一かは生活や何かやりたいことのやれるうちに補ってもらう。老々介護も不足分を近親者だけでなく第三者にケアしてもらえば身も気分も少しは楽になるのでは。半人前以下どうしが助け合えたらいいなあ。

 病院に戻る。夕方、病室全体が大きな唸り声みたいな音に包まれた。廊下に出て、突き当りのガラス窓を見ると、遠くの丘の木々のてっぺんが激しく揺れている。すぐ下の緑はさほどでもない。ここは7階なのでいつも風が強いとか。6時、夕食。鶏肉のハンバーグのようだが油気がなくあっさりとしている。オクラ・きゅうり・キノコのあえ物にご飯。まずくはないが野菜があまりに少ない。きれいに食べた。テレビは見る気にならない。ラジオを持ち込もうかと思ったがやめた。もちろんノンアルコール。たまには空白もいい。9時消灯、4人部屋だが2人だけで、その1人は内科で胃の調子が良くないようでいたって静か。仰向きに寝ると胸落ちのあたりが詰まって眠れない。右目を圧迫してはいけないので右側には向けず左側だけ、これがきつい。頭や首、肩や腕が痛くなる。ほぼ2時間おきに起きて便所に通ったがなんとか眠れて5時、起き出した。白々と明るい。6時、病棟が一斉に明るくなる。中央談話室に行き、自動販売機のブラック(安売りで百円)を飲んだ。すぐ後悔した。苦いだけ。給湯器があるのに気づき湯を飲んだ。最初からこちらにすればよかった。8時朝食、ご飯とみそ汁(豆腐もわかめも菜っ葉もちょっぴり)、玉ねぎ・なっぱ・ちくわの小鉢、牛乳。9時過ぎ、外来で診察、問題なし。10時半、退院。
 雑草園いっぱいに緑と風がきらめいていた。ハッサンとトラとミーサが迎えてくれた。ノンは私がいない時はいつもそうだが目いっぱい頑張っているよう。ノエも鶏の世話等、慣れない仕事で大変だろう。申し訳ないがゆっくり養生させてもらおう。なにしろこんなことはこの地に来て50年、初めてのことだ。
色々あったが、ともかく一週間は無事に過ぎた。                      続く 2024・6・7

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