風きらめく4

重松博昭
2024/07/02

 白内障の術後は厄介だ。病院からのお達しがうるさい。4日目から風呂に入れるが1週間、顔も髪も洗えない。約ひと月24時間「術後保護メガネ」かけっぱなし。目に力を入れる、重いものを持つ、激しい運動、不可。畑仕事や鶏の世話なんて、特に土・糞けむり。わざわざ聞きはしなかったが当然、土間等の埃も五右衛門風呂の灰・煙も犬・猫の抜け毛も。一体どこで生活すりゃいいの。

 ま、とにかく2,3日はおとなしくしていた。軽い山歩きはやった。4日目、朝食後の食器洗い、昼食のカレー作り、夕方の畑の水やり。5日目から土間で卵包み、まず水をまいた。6日目から南の小屋だけ餌やりと少しだけ薪拾い。1週間たって卵取り・・・こんな調子でぼちぼち仕事を始めた頃、続けざまに事が起こった。5月20日(月)この所ずっと晴れ。暑くなって活動を再開した丸太小屋の前の冷蔵庫にワンワンとハエがたかった。ひどい腐臭だ。何かが冷蔵庫の裏側のモーター部分に入り込み死んだようだ。5mm程度の隙間しかなく取り出せない。翌日にかけてハエは増え続けた。別の使っていない冷蔵庫に変えようと思っていたら、一転、減り始め、その翌日にはきれいさっぱりハエも臭いも消えていた。ハエ達が片づけてくれたのだ。

 夕方、その冷蔵庫のそば、小屋の北側の軒下にノエがアライグマを発見した。夕闇の中、ハッサンと出動、20㎝くらいか、犬ころのようなのが3匹いた。少し大きい1匹が歯を剥き出しシュッシュッと唸り声をあげ鋭くけん制した。ハッサン、さっと後ろ向きに。侵入者をとことん追い散らしたかつての勇姿がうそのようだ。ノエと私と棒で軒下の巣から3匹を追い立てたところで、暗くなってきたし私も療養中の身なのでとりあえず引き上げた。翌23日、4時半起床、寒くない、曇り。あれはアナグマかな、口が尖っていたような。私が何度も対峙したアライグマはもっと大きく狸そっくりでゴワゴワの毛に包まれていた。軒下にも床下にもいないようだ。ハッサン、近づこうともしない。午前10時ごろ、ノエが床下に見つけた、2匹は廃タイヤの円周部分にスッポリと入り込んでいる。1匹はすぐそばのもみ殻の中にいた。母親なのだろう、石を投げても棒で突いても逃げるどころか荒々しく突進してくる。やはり口が尖っている。すでに丸太小屋をわが巣と思い込み死守する構えだ。うんざりと重苦しい気分に。3匹が6匹に、12匹に、24匹に・・・雑草園ならぬアナグマ園になってしまう。ここは何としてもわがテリトリーを死守しなければ。といって撲殺する気にもなれない。捕まえるしかない。床下に手頃なコンテナがあった。それを母グマにすっぽりと被せ石を乗せ出られないようにした。タイヤの2匹は赤ん坊なのかまるで害意がなくじっと横たわっている。折よく床下にあった広いテント地のようなものでタイヤごと包みしっかりと結わえた。さて問題の母親だ。ますます凶暴な形相でコンテナの隙間から飛び掛かろうとする彼女をノエに棒で牽制してもらい、私はおっかなびっくりでそろりそろりとコンテナの片方を上げ、用意していた同じ型のコンテナでパカリと蓋をして即席のかごに閉じ込めることができた。フー、意外にすんなりといった。もちろん数か所、紐でしっかりと縛り少々のことでは開かないようにした。ノエに運転してもらい、人家から遠い山の峠付近で放した。アナグマの肉はアライグマ・狸とは違い美味らしい。殺して食べるべきだったのだろうが、その気力も体力もない。

 25(土)この日も晴れ、暑い日が続く。夕方3時過ぎ、ハッサン、急変、よだれを垂らし、震え、よろよろ、水も飲まない。かかりつけの病院はすでに閉まっている。あちこち調べて田川にひとつ見つけたが、少しハッサンよくなった(水をがぶがぶと飲む)ようなので様子を見ることに。だいいち車に耐えられるかどうか。時々座り込むが苦しくてじっとしていられない。どうにもいたたまれない様子。掘っ立て小屋の前まで坂をよたよたと登り、草はらに斜めに倒れこみ、また斜めに起き上がる。水はちょくちょく飲む。ずっと付いて回り、1時間ぐらいして下の家に連れ戻した。家の中をあちこち転げまわり、6時頃、ようやくじっと横になる。震え、おさまる。私も疲れ果て早々に床に就く。夜中、時折ハッサンのいびき聞こえる。2時ごろ、見に行く。いない。いつもの南西の居間にも、切り炬燵の部屋にも・・・玄関からすぐの部屋の毛布の上に静かに横になっていた。動かない。息はしている。

 翌3時半、起床。明るくなってハッサン、よろよろと外に出、坂を這うように登る。かつてのサンタのように死出の旅に独り去られては悲しすぎるので、掘っ立て小屋に入れ、戸を閉めた。じっと土間に横たわっている。時々外に出て草はらに崩れるように座り込む。水は飲む。夕方から雨。私もハッサンに付き合って、土間のすぐ上の部屋に蚊帳を吊って寝た。久しぶりのトタンを叩きつける雨の音がなんとも直截で新鮮だ。安らぎに満ちている。木々と風が震える。生きている。四方からのカエルの合唱がざわざわとくっきり、波のよう。どこやらかネズミかイタチか野良猫の気配。ハッサン、静か。

翌27日(月)ハッサン変わらず、病院には行かないことにした。毒物でも細菌等による炎症でもなさそうだし外傷もない。よだれは引き、表情は柔らかだ。まったく食べないことだけが気がかりだが。ノンも私も口には出さなかったが老衰ではという思いもあった。
翌5時起床、降りしきる雨の中、餌やり、草を刈り小屋に放り込む。術後ほぼ2週間、本格的に仕事をやってもいいだろう。とはいえ翌日に今度は左目の手術が控えている。疲れすぎないよう、土や糞が目に入らないよう細心の注意で。とはいえ心配ばかりしても始まらない。生きることは動くこと、汚れることなのだから。卵の配達はノンとノエ、卵取りは私。ハッサンの足取りはますます弱くなってきた。

続く 2024 6.23

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