なんとも重っ苦しい気分になった。つくづく自身の判断の甘さを思った。モモ(中の大、日本犬の雑種、雌、2歳)がやって来たのは12月23日(月)の夕方だった。すぐ散歩に出かけた。やたらと馬力がある。猟犬の血が入っているのか動きが怖いほどに鋭い。ちょっと油断するとガクーンと引きずられてしまう。帰って、古布団を敷いた玄関に入れ、食事を多めに与え(ぺろりと食べた)、寝かせようとしたが鳴きやまない。覚悟を決めて彼女の寝床にどっかとあぐらをかき抱くようにしてマッサージした。1時間以上、なんとか静かになった。これはまあ何夜かは仕方のないことだが、もっと厄介なのは昼間だ。どうも見かけによらず無類の甘えん坊、寂しがり屋のようで、私かノンの姿が見えなくなると太く良く通る声で絶え間なく吠え続ける。丸太小屋の軒下につなぎ放っておいて、1時間ほどして行ってみると、つないでいた柱が土台から引きずり下され倒れかけていた。掘っ立て小屋の軒下につないだ時は、地中深く埋めた柱がゆらゆらと折れそう。ゾーッとした。どこもかしこも壊されそう。
26日(木)、飯塚病院の漢方外来に朝から二人で行く日だった。とてもじゃないがつなぎっぱなしとはいかない。玄関に閉じ込めた。イライラと生薬の出るのを1時間半待ち、やっとの思いで4時間後の昼前、山に帰り着いた。幸い、玄関の硝子戸は破られていない。戸を開けて目を疑った。もぬけの殻なのだ。次の瞬間その隣の裏戸からモモが飛び出てきた。台所になおしていた(元の飼い主からもらった)犬のおやつの袋二つが食い破られ包み紙だけが散らばっていた。玄関から横の小部屋へと上がる木戸を強引に押し開けたようだ。
それやこれやでほとほと疲れ果て、半分やけくそで放して自由にさせた。まるでモモのために準備していたかのように、この3、4か月アナグマ対策に励み、雑草園をぐるりと囲む柵の補強がほぼできていた。それに彼女の性格そのものはいたっておとなしいことがわかってきた。一見、精悍な猟犬だが、顔を見ると拍子抜けするほどに人のいい表情、目が優しい。放すと、すさまじい迫力、スピードで百メートル近く疾駆するが、呼べばすぐに来る。柵の外に出ようというそぶりも見せない。ひょっとすると最高の番犬になるかもしれない。なにしろ黙って立っているだけで野生の気(オーラ)、走り始めるとまるで風のオオカミ、柵の外から内をうかがっていた鹿たちもキューンと警戒の叫びを発し直ちに駆け去っていく。あのスピードならアナグマは逃げきれないだろう。下の通りから客が訪れた時も、けたたましく吠えることも一気に坂を駆け下ることもなく、遠慮がちに吠えながら用心しいしい近寄っていく。意外に臆病というか平和主義なのだ。
ところが重大な問題が持ち上がった。トラ次郎、ミーサを本気で猛スピードで追う。ミーサは持ち前のスピードと身軽さで危うく直角にかわし難を逃れた。何度叱っても(その時は止まっても)また繰り返す。トラは老いた。部屋に避難させるしかない。ハッサンに対してはモモは先輩として立てているようだ。もう一つ、家宅侵入、わずかのすきをついて(時には自ら戸を開けて)下の家に入り、例の犬のおやつの類を探し出し食い荒らす。一度は大切にとっておいた人間様のサツマイモの唐揚げをやられた。もう!許さんぞ・・・
24時間のモモとの付き合いで(いつもならノンにすべてお任せなのだが、あの馬力ではとても)疲れはたまるばかり。どぶろくを飲みどっと寝入るまではいいのだが、夜中に目覚めると、暗澹たる気持ちに陥って、目をつむることさえできない。あの勢いならモモはあと7、8年はパワー全開だろう。こちらは5年も持つか、気持ちが砕けてしまう……。
「ウーフ再開」で若い人たちと暮らすことが多くなった。なんと言ったらいいか、もともと生きるエネルギーの乏しい質で、夕方になるとへなへなと力が抜け、どぶろくでも一口飲めば、もう一切合切どうでもいい気分に。生来、人見知りも激しい。当然、見も知らぬ若者たちと1、2週間から1、2か月、生活を共にするのはとっても面倒、でもきわめて大切なことだと思っている。ずっと私が口先だけは言い続けてきた「異と異の共生」そのものなのだから。
面倒と言えば、生きること、日々の暮らしそのものが面倒極まりない。要は自身が納得して腰を据えてやっているか、仕方なしに嫌々やっているか、だろう。私はいつの頃からか、本当に嫌なことはよほどのことがない限りやらないと、自身に正直に生きようと心に決めた。で、ウーファーさんにも基本的にはこちらの生活に合わせてもらっている。それでも軋轢がおこる。私がわがままなのだ。自分の生活パターンを崩したくない。間に立って粘り強く心を砕くノンには本当に申し訳ないと思っている。
年末から中国人夫妻・汪浩と曉旭、日本人カンナさん、フランス人レオナルド君と続いたが、ちょうどモモと大変な時期だった。面倒と面倒の掛け算でもっともっと面倒になるかと言えばそうでもなく、終わってみれば負と負の(失礼)掛け算でプラスになったような。第一にウーファーさんたちのおかげで気がまぎれた。皆、モモとすぐに仲良しになった。これは実に大切、閉じた世界は危ない危ない、ちょっと困難にぶち当たると深刻に思い詰めてしまう。第二にモモもウーファーさんと同じ、「異と異の共生」、相手と自分そのままを受け入れ、妥協点を見出すしかない。現実的具体的に一つ一つ。急がない。時間が解決することもある。もう一つ、つかの間の出会い、人生、犬生、ニャン生……一日一日を大切に生きるしかない。先のことは天のみぞ知る。
たとえわが人生が明日終わろうとも(今日だけは勘弁して)、ゆったりと老いとともに歩んでいきたいですねえ。
完 2025年2月12日