「自由と蜜蜂」下

重松博昭
2024/09/20

 1981年の春、飯塚周辺の百姓5人が桂川に巣箱を持ち寄り、清水さんに実地の教習を受けた。授業料はただ、どころかこの教習が終わった打ち上げは清水さん宅で、奥さん心づくしの御馳走が並んだ。初夏、清水さんに蜂を分けてもらい20群ほど雑草園に置いた。二倍、四倍と増やしていくつもりだった。

 9月、ノンがお産直後、極度の疲労で敗血症に倒れ危篤、命は取り留めたが、今度は二人の子ども達と私も気管支・肺炎に、とうとう12月初めまで一家四人入院暮らしを余儀なくされてしまった。赤ん坊だけは母と姉のもとで元気だった。またも蜂はスズメバチによってほとんど消滅してしまった。

 蜂どころか、鶏や(友人たちの助けで維持できたが)人間様まで全滅してもおかしくなかったこの経験は、わが雑草家族の生き方を大きく転換させた。生きることそれだけで難事なのだ。全存在をかけて取り組まなければ。原点に返って雑草のようにこの地に根付かなければ。野菜、果物、芋・豆類、できれば穀物も。そして山羊乳、卵。必要最低限でも安定した収入を確保しなければ。まずは鶏を二百に増やす。養蜂はじっくりと学びなおそう。

 清水さんの蜂場には時折学びに行った。春の蜜切りのときは手伝った(きちんと賃金は出た)。私が行った飯塚市周辺の数か所はいずれも借地で蜂場にはぴったし、軽トラックが通れる道はあり、人家から程よく離れ、落葉樹が数本枝葉を伸ばす平地、もちろん近くにレンゲ等の蜜源は豊富だ。その一つの隣では1、2aの畑に四季折々の野菜、苺も実っていた。うちよりよほど出来がいい。ちなみに彼の飯塚市の住居は持ち家で、庭先でなぜかトマトが毎年鈴なり。鶏も飼っていて、正月は彼自ら老鶏を潰し、家族で胃袋に納め供養する。

 どうも才能(特に観察眼)がないようで私の養蜂技術はさっぱり進歩しなかったが、蜂と付き合うマナーというか態度は清水さんから学んだように思う。 人類は過去数千年、蜜蜂と付き合ってきたけれど、飼ったといえるかどうか。蜜蜂はまったく人間に従属していない。野生のまま、本能、生態そのものは不変だ。太古の昔から今日まで、独自の世界を営々と築き続けてきた。人類の大先輩とも、大自然そのものともいえる。畏敬の念をもって接しなければ。静かに、ゆったりと。刺された時は祈らなければ。蜂は刺した後数日で命を落とす(針を失うので)。よほどのことがない限り殺さない。まずは十分の備えを(厚手のつなぎ、帽子、パッチ、靴下)、蜂に侵入されないよう面布には特に注意。

 蜜切りは重労働ではあったが、ピーンと引き締まった中にも和気あいあいとした雰囲気でけっこう楽しかった。軽トラックの荷台に遠心分離機を据え、モーター(電源はバッテリー)で回す。その巣から蜜を取り出し、一斗缶に入れる作業を従兄さんか娘さん二人がやり、清水さん夫婦が巣箱から巣を取り出し、私がその巣を軽トラックの荷台まで運び、蜜を取った後の空の巣を戻す。時折奥さんが軽トラックでの作業の点検・手伝いに行く。この組み合わせが一番能率が良かったように思う。奥さんも勝美さんと肩を並べるほどの養蜂全般の腕を持っていた。それぞれ世話をする受け持ちの蜂群が決まっていて、どちらがよく蜂蜜を集めているか、勝美さんはけっこう気にしていたようだ。よきライバルというわけだ。作業の後、よく野イチゴを摘んで食べた。もう、生き返った! 早春のツクシ、ワラビ、ふき・・・秋には栗、銀杏・・・この遊び(実利の伴った)の精神がいい。

 日常的な幸福というものはいつまでも続くように何となく思うものだが、ふっと途切れてしまう。清水勝美さんが亡くなってもう13年が過ぎた。75歳だった。早いといえば早いが家族に囲まれての穏やかな最期だったらしい。

 娘さんが後を継いでいる。奥さんは隠居ですと言われているが後ろに控えているだけでも心強いだろう。それでも大変、体力もいるし技術も。何より環境が年々悪化している。第一農業の担い手が激減している。当然田畑も、一番の蜜源だったレンゲも減る。農薬、除草剤の問題も深刻だ。最近は農薬は錠剤になっていて水に溶かすらしい。その水を蜜蜂が飲んだら・・・蜜蜂は農薬にきわめて弱い、敏感だ。大量死、あるいは逃散(集団移動)もありうる。悪い話ばかりで申し訳ないが樹木の蜜もどうなることか。鹿やイノシシ等が増えすぎて雑木林が病んでいる。若木が育っていない。それに追い打ちをかけるようにメガソーラー(巨大太陽光発電)等による乱開発・・・国や地方自治体は早急に本気になって里山の保護育成に取り組んでもらいたい。我々住民もまずはもっともっと里山に足を踏み入れ親しまなければ。何より山は命の水の源なのだ。

 清水さんは普段はほどほどに楽しんで飲むよか酒飲みだったが、飲んでも飲んでも酔わず目が据わってくる座に同席したことが一度だけある。酒量ではとてもかなわない。この時、彼は一語一語かみしめるように言った。

「植木等が歌ってますよねえ、わかっちゃいるけどやめられないって。違うんだ。わかっていないからやめられない・・・この地球環境・諸々の生命の破壊・・・世界をあげての金儲け・軍拡競争、侵略・虐殺・・・差別、いじめ・・・」

そもそも私たち人間にわかっていることなんてあるのだろうか

 木の葉の一枚、草の一片、ふみしめた土くれ、水たまり、池、川、海・・・そこに生きる大小様々の動くもの、無数の見えないもの、空気、風、水蒸気、宙に浮遊するもの、舞うもの、空を翔るもの、雲、雨、光・・・

 一切合切が与えられたもの、人間が創ったものなんてありはしない、自分のものなんて何一つない、自分自身も・・・

 なんて自由なんだろう、なんてまっさらなんだろう

どうして人間はこの素晴らしき世界に共に生きることができないのだろうか

                                     完       2024年9月16日

 

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