さよなら、さよなら

重松博昭
2024/08/16

 わが師・山本さんが亡くなった。7月下旬の梅雨明け直前だった。坊さんもお経もお言葉も香典もなし(本人たっての希望)、家族親族の別れの会の後の正午過ぎ、田川郡旧金田町彦山川傍流沿いに佇む葬儀場を、強烈な日差しと驟雨とに送られて、霊柩車は出た。まだ90前、大往生とは言えないだろうが、生き切った人生だった。

 彼は真の意味でプロの麹・味噌屋だった。あくまでも商品である前に食べ物を作る職人だった。食べ物という以上、安全性と質を第一とするのは当然だろう。添加物は一切使わない。米も大豆も塩もできる限り近辺の本物を厳選した。麹づくりは温度管理(48時間、当然夜中も)が特に集中力を要する。わずかの間に一気に発酵温度が上がり(麹が焼け)失敗作になってしまう。完全を求める彼は普通なら十分に使える麹を鶏の餌にと回してくれた。もちろん甘酒かどぶろくを作って人間様がありがたくいただいた。甘酒といえば山本さんの奥さん作のそれは絶品だった。濃く深く自然な甘味。彼のもろみも。塩分かなり控えめで生きた甘さ、もぎたてのキュウリでのもろきゅうが最高だった。

 わが雑草園に味噌づくりの指導に来てくれたこともあった。冬だが暖かな晴天だった。3,4軒が集まって、栗の木の下にブロックでカマドを据え、大きな鉄鍋と薪の火で大豆を煮、石臼と杵で潰し、麹・塩を混ぜ、瓶に隙間なく詰め、最後に塩と昆布を敷いて空気に触れないようにして3か月から半年、白っぽい黄から明るい黄土色、じわじわと茶色へと、そして麹の匂いと甘味が薄れていく。かすかに麹の香と甘味が残る黄土色が私は好きだ。特に晩春から夏の重苦しい時季、朝の一杯のみそ汁は一日を生き抜く力を与えてくれる。

 山本さん夫婦との出会いはもう50年近く前、1975年の初冬だった。この年の5月、放し飼い養鶏を始めようと、110羽(うち雄10羽)のヒヨコを育て始めたのだが、6月、連日のイタチの襲来で結局半分に減り、ようやく彼女らが12月、卵を産み始めた。1個30円、当時は10円が動かぬ常識だった。もちろん世間一般では誰も買ってくれない。最初から山本さんは買ってくれた。他の人にも勧めて週50個~。ここと金田町の福吉伝道所と山田市役所の小山寧子さんのおかげで、わが放し飼い養鶏は細々とだが続いた。月わずか一、二万だが唯一の貴重な現金収入だった。週一度、金田町、そして糸田町の山本さん宅に配達、帰りは米ぬかを紙袋(米30キロ用)3,4袋、当然のことのようにただでくれた。いつも楽なジーパン姿できびきびと動いた。引き締まったやや長身、落ち着いたはっきりとした物言い、表情は柔らかだが眼差しが強い、時にきびしい。奥さんは静かで優しい物腰だがしっかりきっちり物を言う。ほとんど終日ともに暮らしと仕事を営む二人だが、ろくに喧嘩をしたことがないとか。頭が下がるというか摩訶不思議というか。

 彼は一個の人間の自立・自由を基本とする人だった。(あらゆる生命は一個の「宇宙」なのだ)その一人と一人の結びつきを大切にする人だった。人間、社会を常に根底から見据える。その根底とは広い意味での大地、生命の宇宙といったらいいか。食、農、環境、教育……当然、政治に対する思いは強く鋭い。「新自由主義」の名のもとに、国家・巨大資本・巨大科学技術三者一体となってひたすらより多く、より強く、より新しくを求め、生命をないがしろにし、環境を、地球の未来を破壊し尽そうとしている。

 彼にとって政治とは、社会とはあくまで自分たち一人一人が創るものだった。1983年、筑豊に点在するウチも含めた4軒の農家が「農業と暮らしを創造する会」を立ち上げ、生産者と消費者と直接結びつこうと、農民、商工業者(例えば食用油、豆腐、酒、麺類、パン……)、主婦(夫)、勤め人……様々の人々が食を通して結びつき、「生活協同体」を、「もう一つの社会」を創ろうと呼びかけた時、じっくりと本腰で協力、参加してくれた。もともと彼らの工房・店舗自体がミニ「生協」だった。麹・味噌の製造販売のなかで生産者、消費者の直接の結びつきが生まれ、さらに有機野菜(荻原農園)、純粋蜂蜜(飯塚の清水さん作)圧搾法菜種油(桂川の井上製油)、ウチの卵、醤油、酢……とほとんどボランティアで扱っていたのだ。残念ながらわが農創会はわずか3年半で空中分解してしまったが、山本さんを始め筑豊の様々の人たちとの、農家では荻原さんとの付き合いはしぶとく続き今日に至っている。

 本当に惜しいことに、「山本麹・味噌屋」は、他の多くの農家、地域に根付いた商工業者と同様に、後継者がなく廃業となった。長年の麹づくりに全身全霊を使い果たしたのだろう。彼は満身創痍、特に足腰が決定的に弱ってしまった。ここ数年は奥さんを介護しながら自身も娘さん等に介護される日々だったが、意気だけは軒昂だった。何年か前、私が卵と野菜を配達したとき、彼はいつ死んでもいいといった遠くを見据える眼差しで言った。「ただ、悔いは残りますねえ。この世の中、特に日本社会に対して。政治がひどすぎますよ。カネさえあればコンクリートジャングルの中で人間だけで生きていけると思ってるんですかねえ。空気、水、食べ物、どうするんですか。どこまで大量消費廃棄を続けるんですか。廃棄物は、特に原発のゴミはどうするんですか。もっともっと社会に対してやるべきことがあった。声を大にしなければならなかった。」

 8月に入って、灼熱地獄が続く。耐えるしかない。人間対人間の地獄に比べればこの暑さも小気味いいくらいだ(もちろんやせ我慢)。早朝の二時間、最小限の仕事、9月の種まきの準備、風の軽さ、山の気がひんやり。9月の彼岸の頃、休んでいた麹づくりを再開しよう。まことに細々とですがあなたの志を受け継いでいきます。                         完   2024年8月15日

 

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