風、きらめく

重松博昭
2024/04/27

 日常生活にほとんど支障はない。テレビもパソコン(実質ワープロ、文章を書くのみ)の画面も。だが本の字がかすんで読みづらい。疲れているときなど字の列がボウフラみたいにユラユラして判別できない。重大事だ。なにしろ図書館の本が私の一番の楽しみなのだから。県立図書館等も利用できるので、ほとんどすべての本を自由自在に、しかも(これが最も肝心なのだが)ただで読める。まだ農作業や山歩き、料理、片づけ、大工仕事等ができるうちはいい。この先、一年一年身体が動かなくなるだろう。ますます読み、書くことが重要に。これ以上目が悪くなると書くのも不自由になる。そうそう車の運転も。
 一年ばかりズルズルと先延ばししたが、ええい、とにかく事実を明らかにせねばと、この2月上旬、日赤の眼科に行った。ここだと検査の後、車が運転できなくても歩いて帰れる。やはり白内障、今すぐとは言わなくても半年以内には手術をしなければと、飯塚市立病院に紹介状を書いてもらった。
 2週間後、娘のノエが帰省したので、市立病院に車で送ってもらった。検査等の後、手術が決まり、説明を受けた。「術後1週間は運転できません」 エエーッ卵の配達、どうしよう。 
「草取りや土いじりなどは1ヶ月はだめ、無理して菌が入ったら失明のおそれがあります」 そんなあ。看護師さん(生きのいい女性)は涼しい顔で当然のようにおっしゃるが、うちでは土なしの生活など考えられない。朝一番、土間の薪ストーブでの湯沸かし、ハッサン(雌犬、14歳半)との山歩き、鶏、畑、トラ「雄猫、15歳」、ミーサ(雌猫、2歳)、薪運び、薪割、風呂焚き・・・特に鶏たちとの付き合いは1日たりとも休めない。長い年月を経て鶏糞は土同然の良質の肥料になっているとはいえ、小屋は全面土間の土とほこりの世界だし、雨の日は出入口の前はズルズルにぬかるむ。餌やりの最中に米ぬかや腐葉土や魚粉や台所の残りなどがいつ目に入ってもおかしくない。
 結局、ノエが1ヶ月、帰ってきてくれることになった。一安心したが、よく考えてみると、これはこれで大変だ。なにしろ私のやり方はすべて無手勝手のマニュアルなし。鶏の食事は現在、小米、ヌカ、腐葉土、青菜、台所の残りにカキガラ、大豆粕、魚粉が基本だが、その季節(日の長さ、気温、湿度)、鶏の状況、特に産卵率によって、量・割合が微妙に変わってくる。春は産卵が最も盛んなので、大豆粕や魚粉は極力減らす。ゼロの時もある。大豆も魚も貴重な食糧だし、大豆は輸入。値も上がった。魚粉は1・6倍だ。だがこれらたんぱく源が少なすぎるとガックリと産みが落ちることもある。ミミズ、虫、オカラ等が調達できるとまた変わってくる。この自由勝手に試行錯誤する、その日暮らしの行き当たりばったりが楽しいのだが。まあノエに世話になる5月半ばから6月半ばは一番産みが安定する時期なので、餌の配分等、どうにかマニュアル化・数量化することはできる。あとは彼女が何とかするだろう。
 もっと厄介なことがある。私の持病だ。例の重度の片づけ能力欠乏症だ。どこに何があるか私自身でさえわからなくなる。まして他者にとっては雑然と積まれた飼料や薪等々はゴミの山にしか見えないだろうし、行方不明の鍬やスコップや鎌や鋸など、その山の中から探し出す気にもなれないだろう。
 生れて初めての一大決心をして大片づけを敢行することにした。断っておくが大掃除ではない。きれいにぴっかぴっかになる必要はない。見てくれはどうでもいい。要は必要なものをすぐに取り出せればいい。不要物を始末し、物を定まった場所に整理し、どこに何があるかわかればいい。(私にとってはこれが難事極まりないのだが)まず軒下の飼料置き場、次に風呂の薪置き場、さらに道具置き場・・・いやー出てくる出てくる、何十年分かのゴミが。今更ながら生きること即散らかすこと、ごみを出すことだと痛感した。ひょっとしたら他の動物たちとの違いの第一がこれなのかも。特にわが雑草園は不要物のたまり場というか、よく言えば再生復活の場というか、あちこちから集まってきた古材、古トタン、衣類、紙類、食品、家具、農工具、電気製品、鍋釜、食器・・・をやりくりして貧しくも豊かな生活を創ってきた。朝(あした)に必要なもの・快すべてを買い、夕べに不要不快のすべてを捨てる「シンプルライフ」みたいにいかない。
 5月初めにやってくる予定のひよこの小屋の再生も急がなくては。柱に使った角材にシロアリが入っていたようでボロボロに崩れ、傾いたトタン屋根だけはしっかりしている。この修理というか改築というか中途からやり直すことほど面倒なこともない。規格通りの新品でマニュアル通りに新築する方がよほど簡単だ。柱の長さも位置も、壁の形も大きさも一つ一つ違う。だがそこに有り合わせの材料をあてがい、それがパズルのようにピタリとはまった時の快感たらない。
 3月4日(月)4時半起床、寒さ緩む。闇を見上げると白っぽい雲、星は見えない。6時半過ぎ、青白くすっきりと明けた。日が長くなったと実感。ハッサンと裏山を登る。栗山の西北に鹿の列。最近、雑草園を囲む柵のすぐ外によく見かける。こちらに気付いたのだろう、甲高い叫びを発して5頭が四方に分かれ疾走し始めた。なんと柵の内だ。全体に黒・こげ茶で尾が白、馬のようにばねの効いた力強い走りで宙を飛ぶ。一瞬、時が止まる。次の瞬間、私は我に返り怒鳴り声をあげ追った。グシャ、ガチャーンと南西と南東の柵のトタンの音が響いた。一頭は北西の柵を乗り越えすでに姿を消そうとしている。ハッサンはじっと立ち止まり四方を見回している。今までだったらとっくに侵入者たちを追い散らしていただろうに。やはり私と同じくお年で目も耳も鼻も弱っているのだ。柵も老朽化してあちこちが倒れかけている。                                            続く  2024年5月22日

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