長く険しい道

重松博昭
2024/11/15

 この9月20日午前中、わが盟友・忍さんが息を引き取った。77歳だった。満身(心)創痍というか、弓折れ矢尽くというか……

 私は何一つできなかった。でも兄の辻田さん、息子さんたち……何より、時に投げ出したくなる、空しくなる、荒涼としたこの世に、最悪の時も共に生きた伴侶・京子さんに見守られての最期は、ひょっとしたら波乱万丈の彼の人生の中で一番安らかなひと時だったのかもしれない。

 国家権力という化け物相手に素手で、生の身・心をさらして立ち向かっていった。その闘いの成果というか、権力の愚行の象徴というか、それが山田の町全体を跨ぐ巨大なコンクリートの異物、国道322バイパスの陸橋だ。

 最初、行政側はまことに喜ばしい当然住民側が感謝すべきことのように忍さんに話を持っていったらしい。すぐそばをバイパスが通りますと。商売繁盛まちがいなしと言ったかどうか。

 彼と京子さんは山田と嘉穂の境で「忍窯」を営んでいた。私は焼き物のことはとんとわからない。ン万円の芸術作品より百円均一のお椀がシンプルでそっけなくていいと思うひねくれ者だ。彼が創る釉薬なしに徹底的に焼き上げる焼締は、古代的荒々しさが魅力だと勝手に思い込んでいたが、忍さんのそれには柔らかな曲線が醸し出す女性的ともいえる深い優しさがあった。知る人ぞ知るというか、それなりに顧客もでき、友人にも恵まれ、町はずれの雑木林の中で夫婦と子ども二人、静けさと自由・自立の生活を送っていた。

 その目の前を巨大なコンクリートの棒が貫き、24時間車が、深夜も超大型トラックが疾走していく。忍さんにとっては悪夢でしかなかった。やはりこの山で焼き物業を営む稲葉さんや上野さんも加わり、じわりじわりとバイパス反対の輪は広がっていったが、町全体は圧倒的にバイパス大歓迎だった。なにしろバブル時代のカネ余り国ニッポン、ほとんどの地方が道路、特に国道誘致を熱望していた。より早くより楽に、何よりより多くのカネを落としてもらうため、活性化とやらのために。事実は、ただ車も人もカネも通り過ぎる、出ていくだけでかえって過疎化は進み、得たものは著しい自然破壊と騒音と排気ガスだけの所がほとんどだったのだが。バイパス絶対反対の彼は奇人・変人・非国民ならぬ非住民扱いに。そうなればなるほど彼はギラギラと目を光らせ誰彼にともなく直線的感情的に正論をぶちまけ国を糾弾した。もともと不器用で一途な男なのだ。ほとんど24時間、バイパス問題は彼の頭を占領した。仕事・生活に神経が回らなくなった。「絶対反対」から「公害のないバイパスを」へ戦法を切り替えなかったら早晩の生活崩壊は必至だったろう。また切り替えた後も彼が切ないほどの真摯な執念でもって本当に粘り強く闘い続けたからこそ、山田住民にとってはるかに害の少ない、町全体に架かる陸橋を主とするバイパスへとルート・工法が変更されたのだ。

 このバイパス問題が降ってくる数年前、我が家も生活崩壊寸前に追い込まれた。9月半ばの三度目のお産の数日後のノンの危篤、三か月近くの入院……私もストレスと過労で重い気管支炎に。とうとう11月の寒い朝、どうにも布団から起き出せなくなった。そんな時、ふらりとやって来た忍さんが黙々と鶏に餌をやってくれた。次の日も。その翌朝、二十代半ばの独身、たまたま失業中の好男子、宮野さんを連れてきた。まったくのボランティアで彼が鶏の面倒、卵取り・配達、子どもたちの世話等々の一切をやってくれることに。京子さんも手伝ってくれることになった。おかげで一週間近く、なにもかもから解放されて、私は昼夜、眠りに眠り、食べては解熱剤と抗生剤を飲みまた眠った。これほど安らぎに満ちた日々は後にも先にもない。もっともこの直後、子ども達が気管支肺炎でノンのいる病院に入院、私は生まれて初めての付き添いに24時間、ぎこちない手つきと足取りで従事することになるのだが。

 彼の本質は自由と共生への希求、優しさと弱さと捨て身の強さだったと私は思う。到底打ち破ることが不可能な厚い壁に向かって弱さに追われるように突き進んでいった。見る前に跳んだ。私は逆だった。なにしろ高所閉所ならびに人間・世間恐怖症、できる限り世間・権力からは逃げたい。彼が(それと妻のノンが)身近にいなかったら、この数年後に持ち上がる中学校のPTA騒動にもゴルフ場問題にも関わらなかったかもしれない。

 彼は愚直とも思えるほど嘘がなかった。彼そのままが出てしまうのだ。適当にごまかすことの多い私も嘘をつく必要がなかった。私そのままを受け入れてくれるから。ノンも。二人とも絶対的に信じることができた(余りアテにはできないが)。自身はもちろん人間とは訳のわからない「壊れ者」だと思っている私が。互いにそのままを受け入れるということは何という安らぎ、救いだろう、生きる力だろう。この二人だけではない。何人かの「愚直な人々」のおかげで私はこの好戦的で慌ただしい虚飾に満ちた世界のなか、なんとか土に生きることができた。死ぬまで生きていきたい。異と異との共生をもとめて……

 いや人々だけではない。犬のサンタ、モン、クロ、ハッサン…猫のニャン、トラ、ミーサ…山羊たち、鶏たち… 連夜、畑や山を荒らす猪や鹿やアナグマ、アライグマ等々も。彼らには嘘も害意もない。ただ生きているだけ。こちらも生きるため彼らを殺さねばならないことがあるのはつらいところだ。今やこの雑草園も彼らに取り囲まれているというのが実感だ。砂漠の中のオアシスのよう。食べ物を求めて緑と土の豊かな地に入ってくるのは当然だろうが。

 自身の無力を痛感するばかりだ。地球の中でも最も自然環境の豊かなこの日本列島で、山野・海を荒廃させ、農林漁業の営みを衰退させ、野生動物たちとの棲み分け、共生もままならないのだから。     完  2024年11月14日

                 

 

 

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