風、きらめく5

重松博昭
2024/07/09

 5月29日(水)4時半、掘っ立て小屋の離れで目を覚ました。ハッサンは土間で寝息をたてていた。明るくなってすぐに、2週間ぶりに全部の鶏小屋4つに餌やり、草やり。ちょっと張り切りすぎか、どっと疲れが。ハッサンは外に出て丸太小屋の前に横になっていたはずなのに9時前いない。小屋の周りにも下の谷間にも掘っ立て小屋にも上の畑にも・・・下の家の前に座り込んでいた。まだ坂を下る力が残っているのだ。

 9時半、飯塚市立病院へ。心ここになく、受付で入院のための書類を車に置き忘れたことに気付く。ケータイはなし。駐車場へ全力疾走、幸いまだノエと車はいた。病室に上がり、体温を計ると37度7分、看護師さん「手術できないかも」 30分後、36度9分、「よかったですねえ」 あとは前回の右目の時とほぼ同じ。左目の手術も無事終了した。今回、一つだけ新発見が。中央談話室の南側が素晴らしい景観なのだ。大きな透明のガラス窓が10m以上並ぶ。遥か遠方に英彦山、馬見山、古処山・・・今度入院することがあったらここで茶でも飲みながら(もちろん茶葉と急須を持ち込んで)無の時を過ごそう。

 翌昼前、病院から帰るとハッサンは上の離れの前にいた。まだ一口も食べていない。これで5日になる。苦しげではない。さすがに痩せてはきたがげっそりと病的ではない。夕方、また姿が消えたと思ったら、離れの私の布団の上に。こんな状況で引きずり下ろすわけにもいかない。独りで放っておく気にもなれない。手術直後に抜け毛と埃だらけの部屋でどうかなとも思ったが、その夜は蚊帳の中に並んで寝た。「術後保護メガネ」を装備して左目を上に横向きで。なんともゴワゴワと寝心地が悪く何度も起きた。ハッサンは一度外で用を足した。

 翌5時起床、雨のち曇り・晴れ。午後3時過ぎ、ハッサンを病院に。なんだか良くなってきたような。表情が澄んでいる。目が生きている。そうなると一度診てもらったほうがいいと三人一致したのだ。原因がわかって薬で治るものならそれに越したことはない。本音をいえば、たった数日なのに少々介護に疲れてきたということもある。これといって悪いところがなければ、それがわかるだけでも気分的に楽になる。実際、血液検査の結果は問題なし。何かあるとしたらあとは脳くらいだとか。点滴をして、プレドニンと抗生剤が一週間分出た。炎症はないのになぜ抗生剤? とノンが聞くと、プレドニンを服用すると菌に対する抵抗力が弱まるからと看護師さん。

 思わず私は40数年前を頭に浮かべた。ノンがお産の三日後、敗血症で危篤、原因菌不明で抗生剤は効かず、急性腎炎併発、全身がむくみ身動き一つできなくなった。プレドニンが出た。全身の痛みが少しやわらぎ、手足が動かせるようになった。喜んでいたら翌日、締め付けられるような胸の痛みを訴えた。青白い顔、油汗、か細い目の光・・・すぐにプレドニンの投与は中止。幸い、二日後原因菌が溶連菌と判明しペニシリンのおかげで彼女は九死に一生を得た。

 このたった一度の昔々の経験でとやかく言う気はないが、何よりここはハッサンの生命力にゆだねたいと思った。この一週間近くのハッサンの生きる(あるいは死ぬ)態度に私は一種畏敬の念を覚えた。余計な淀み、濁りのない、一切を天にお任せする、透き通った軽さといったらいいか。これだけ平静に、自然に、食から離れ、死に向かっているのなら、それはそれでいいのではないか。あるいは自身の生命力で再生に向かっているのでは。断食によって命をよみがえらせた例はいくらでもある。結局、薬は飲ませないことにしたが、点滴で少し歩みが軽くなった。問題はこの効果が切れる明日以降だ。

 この夜は平常に戻り私は下の家に寝た。ハッサンは私の蚊帳の中、夜中に一度、外へ、すぐに帰ってきた。隣のノンの蚊帳ではトラとミーサが出たり入ったり。翌5時起床、晴れ、ハッサン下の家に落ち着いている。私は卵包みを始め、体がなまらないよう2度、裏山に散歩。翌6月2日、晴れ、ハッサンの動きは悪くない。午後、家の前の草を歯でちぎってムシャクシャ、弱り切っていた胃が動き出したのか。翌日の夕方、私がつまみにちくわを食べていると、ハッサン食べたそう。少しやると食べた! ジャーキーも、ほどほどに食べさせた。9日ぶりだ。それから3日後にはドッグフード、さらに鰹節・白米、いりこ・・・と着実に回復していった。ノンとの散歩にも行けるようになった。

 6月10日(月)晴れ、午後、飯塚市立病院へ、その後、近くのメガネ屋さんに。一応、術後は順調で、このメガネができれば運転もОKだ。餌やりも農作業もほぼ再開。12日、晴れ、ノエ、熊本の高丸さん宅へ。その夜は大変世話になり、翌昼前、ひよこ40羽と無事帰宅。行きは国道3号線で6,7時間かかった。鶏は暑さに弱いので帰りは高速で3時間ほど。私は運転(特に高速)は苦手なので本当に助かった。翌午前中、彼女は伊豆に帰っていった。

 3人でのこの1か月、概ねいたって和気あいあいだったが、時折、議論高じて弁舌鋭く。ノエの理屈っぽいこと、頑固なこと、俺そっくりだ。普段の溌溂とした仕事ぶり、笑顔、特に鶏、動物たちに対する優しさはノン譲りかな。互いに考え方の違いが多々あるという当たり前のことを(例えば進歩とは、パソコン、スマホ、AI・・・例えばアメリカ的自由、個々人が社会・世間でのし上がることがそんなに価値あることなのか。生まれた時から厳然たる格差があるのでは)、そして食・農・大地が人間の基であり、人間もまた自然であるという、これもまたごく当たり前のことを再確認できたことはよかった。

 7月3日、この10日ばかりのジメジメと鬱陶しい雨、雨、雨・・・を一気に吹き晴らすような強烈な日差し! いつものように夕方、鶏山を登り、雑木林に入った。落ち葉一面に黒い葉影が映り光が風に流れていた。見上げると木の葉と風がザワザワザワザワときらめいていた。 完 2024年7月5日

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