緑の闇

重松博昭
2025/05/27

 4月26日(土)晴れ、午後、日差しは初夏だが常緑樹の下は寒いくらい。今年は桜の開花が遅く3月末、だがそのあとはスモモ、梨…と白い清楚な花々が一気に開き、散った。栗、コナラ、ハゼ、柿…と枯れ木のような落葉樹の枝枝に無数の緑の点が吹き出たのは4月半ば。今その点が面へと成長したばかりで栗山はチラチラと日がこぼれ程よい涼しさ。その南端に、お隣から種が落ちてきて自生した茶の木が何本か、鈍い茂みのあちこちに1、2cmのつやつやとした幼い緑、それらを3つ4つ摘んではビニール袋に落としていると、長男親子が山を登ってきた気配がした。東京からはるばる。玄一は変わらず落ち着いた表情、最低限しか喋らない。然(ぜん)君は小学4年、メガネをかけ小博士みたい、目が生きている。夕食は餃子、キャベツがようやくしっかりと巻いた。

 翌朝、晴れ、7時過ぎ、掘っ立て小屋の奥の部屋で茶を干していると、然君が丸太小屋から起き出してきた。彼の希望で栗山の南の隣との境に茶摘みに出かけた。よく喋るが手もけっこう動く。一時間ほどでビニール袋8分目くらい。朝食後、土間の薪ストーブに鉄鍋をかけ茶の葉を炒った。しんなりとなったところで俎板の麻布の上で然君ともんだ。何年か色々やってみたがどうも3回も炒らないほうがいいようだ。茶葉が枯れたような色になってしまう。1回でもとにかくよく火を通し徹底的に揉めばなんとか緑茶らしくなる。何回かやるうちに然君「ただ押し付けるんでなく転がすように揉むといいんだねえ」。

 気温はぐんぐん上昇、昼前、次男一家が到着した。竜太(りょうた)はいつもの飄々とした話しぶり、直子さんは優しくしっかり。禾(のぎ)ちゃんは小学1年、ちょっと少女になったかな、妹の季(とき)ちゃん、天真爛漫。実は心配があった。ハッサンは全く問題なしだが、モモ(ほぼ3歳、雌犬)、甲斐犬の血が入っているようで見た目も吠え声も迫力がある。走ればまるで馬だ。でも優しく素直、学習能力が高い。こちらの思いが通じる。猫のミーサも追わなくなった。一日中放していてもほとんど私の近辺にいる。12月に来た中国人カップル、1月のカンナさん、2月のMrレオ、3月のMsスパチャ、そして然君も一日もたたないうちに相棒然となった。それでも小さい子から見れば怖い、怖いから逃げる、走る、害意はなくてもモモも追う、そうなると何が起こるかわからない。念のため竜太一家が来たときはつないでいたのだが、昼食(ちらし寿司といなり、茶わん蒸し、ケーキ等それにおみやげのビール)のあと、山に散歩に出かけた時はいつものように放し、常に私は様子をうかがっていた。ハコベ、三つ葉、セリ等の柔らかな緑があちこちでこんもりと盛り上がっている。スパチャのいた3月中旬にはまだ幼い緑が所々だったのだが。わずかに私がモモから目を離し、竜太が子ども達から離れ、禾ちゃんが一人になったようだ。下の家の前で私が見回していると、禾ちゃんが山から駆け下りてきたのが見えた。そのすぐ後ろをモモも。ぶつかったようだ。彼女が泣き叫んだ。足から血が出ていた。てっきり私も竜太夫婦も噛まれたと思った。急いで水洗いし消毒し抗生剤を塗ったのはもちろん、病院に診せなければと一家は私と挨拶を交わす間もなく車に乗りこみ帰っていった。妻のノンは冷静だった。小さな浅い傷が一つ、噛まれたら深い傷が二つ以上あるはず。多分モモの口の先にぶつかったのだろう。それでも私が悪い。ゆっくりじっくりと付き合わせるべきだった。正面からゆったりと接し逃げない走らない。これで犬が嫌いになったら申し訳ない。猫もだがむしろ人間以上に通じあえる良き仲間なのだから。

 翌日は曇り・雨、午前中、玄一親子は小石原へ。昼、ピザ。然君は卵取りとあとはテレビ等。ちょうど魚が届いたので、玄一が丁寧に包丁を研ぎ、料理して、夕食は刺身。翌29日、早めの朝食、8時、彼らの車は谷間の緑のトンネルの中に消えていった。気が付けば玄一とほとんど話していない。ま、いいか。

 5月9日(金)朝から雨、午前中、卵の配達を終えて筑前大分駅へ。11時過ぎ、駅前のスーパーの傍らにそれらしき男性、なにしろ身長185cm、ニュージーランド在住のイギリス系白人、Mrクリス。歩み寄ると抱きつかんばかりの勢いで握手「よかった、来ないかと思った」まだ約束時間前なのに。坊主頭、目が子どものように邪気がない、表情が若い、20代のよう。雑草園までの30分強、流ちょうな時にへんてこな日本語でしゃべりまくった。なぜか唐突に世界情勢、宗教論に。「一神教はいけません、異教徒を人間と思わない、特にイスラム…」「そうかなあ、キリスト教圏のほうがひどいんじゃない。キリストの言ってる逆のことばっかり、地球の「隣人」たちを支配・虐殺し続けてきたんでは」がらりと話は変わる。「外国に出たことありますか」「全然」「日本はあちこち行ったでしょう」「別に」「それは勿体ない」「なんで? 生きることが、生命と生命の出会いと別れこそが旅じゃない。土に生きることは季節の旅そのものですよ」 もちろんこれは負け惜しみ。車が田園地帯に入って「緑が美しい、大好きです、農作業の経験は少しですが力仕事なら任せてください」

 降り続く雨の中、雑草園に帰り、すぐに昼食、キャベツたっぷりのお好み焼き、おいしそうに食べよく話す。私は彼の相手に疲れたのでノンにお任せ。「牛や豚など自分で殺せそうにないものはなるべく食べません。卵、大好き、豆腐も」食後、丸太小屋へ、「素晴らしい、緑に囲まれて快適ですねえ」モモともすぐに親しくなった。雨は強くなってきた。休んでいいというのに(彼のためというより自分のため、エネルギーが切れてきたのだ)掘っ立て小屋へとついてきた。柿、栗、イチョウ、クルミ、ユリノキ…この一週間で、さらにこの雨で、木の葉が分厚く陰影深く幾重にも生い茂り空(くう)と宙を覆い尽そうとしている。野の草草も1メートル近く伸び雨と風に寒々と揺れている。「何か仕事ありませんか」そのくせ長靴・合羽は持参してないし、こちらのは小さすぎる。では軒下で薪でも。斧も鋸も初めて。何回かやってみせる。それなりに斧を振り下ろす(足を割らないようにね)。鋸も(鋸自体が割れそうだったが)。なにしろエネルギッシュ、みるみる薪の山ができた。1時間ほどして急にエネルギーが萎んだようで「しばらく休ませてもらいます。明日の朝まで起きないかも」5時に丸太小屋に行くと蚊帳の中で寝ていた。一応、起こしてみると「腹減ったあ」 言うことやること素直なんだよねえ。モモみたい。これならなんとかやれそう。2か月はここに居たいとか。

 夕食は餃子、キャベツが豊作なのです。昼の残りのお好み焼きも彼は食べた。どぶろくと貰い物の芋焼酎をちょこで2、3杯ずつ。例によって唐突に「地獄・天国あると思いますか」「この世にね、死ねば元に返るんじゃない」「死んだら何に生まれ変わりたいですか」「別にい、鶏や山羊と同じように土に永眠りたい」

(透きとほった風に抱かれ 落ち葉のように眠り いつの日か天の光にめばう) 

 明日は7時から仕事、でも無理しなくていい、ということで私はいつものように早々に床に就いた。まさかこれが最後とはまったく頭になかったので、彼の顔もろくにみないままだった。

 夜中の2時半、モモが吠えた。彼女は無駄に吠えない。玄関から出すと通りに出る木戸の前に走った。雨はやんでいた。闇の黒が通りの向かいの山々に乗り移りのしかかってきた。何物かの気配はすでに消え、沈黙だけが残った。朝4時過ぎ起床、外に出ると冷たい水と緑の匂いがした。モモと栗山へと登った。妙に空は白かった。闇が木々の緑に凝縮して、分厚く、重く、密に垂れ下がっていた。山は緑の闇に満ちていた。

 一旦戻り、茶を飲み、明け始めて、掘っ立て小屋の軒下で鶏の食事をつくり、バケツを下げ小屋に向かう。闇が薄れるにつれ、空の白にも木々の黒にも青みが滲み出てきた。地上を覆う草草が青白く浮き上がってきた。一晩でさらに伸びたような。闇の黒が緑の奥へ奥へと沈んでいく。その闇を見つめても見つめてもどこまでも深い。道具を捜しに丸太小屋の前に行くと、サッシ戸が大きく開いていた。はて、寒いくらいなのに。眠っているようなのでそのまま引き返した。7時、彼は起きてこない。8時前、食事にと起しに行った。居ない。散歩かな。朝はコーヒーだけらしいので二人で食事をした。ふと、「出て行ったんじゃない」とノン。まさかあ、と思いながらも丸太小屋へ。大きなトランクとリュック二つが消えていた。布団はきれいに畳まれ、うちが用意した作業着等はきちんとタンスに収納されていた。異変が起きた形跡は一切なし。書置きも。

 深夜2時半、彼はそっと出て行ったのだ。深い緑の闇の谷間へ。野生動物が侵入しないようきっちりと元通り戸を閉めて。リュックを両肩に下げ、トランクを押して。             

 完  2025年5月20日

             

 

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