この何年か、8月9月は体調が落ちる。ずっと昔から特に9月は大好きな季節だったのだが。なにしろ一気に満ちてくる夕闇の心地よさ、解放感……闇は仕事の終り、自由そのもの。もっともいつの頃からか明るいうちから仕事をしなくなった。日の隠れた山の斜面にあぐらをかき、ワンカップのドブロクを口に含み、喉に流し、胃に納める。ふんわりと酔いが湧き、硬い緑の茂みに背中から身を沈める。だんだんに大空が暗く深く、風に揺れる虫の声が冷たくなる。
この8月は妻のノンが娘のノエに誘われてヨーロッパへ。雑草園で生活を共にしたMs.アンネ(ドイツ)やMr.ガロ(スペイン出身、デンマーク在住)、マノンとマルゴー(フランス)に再会し、心温まる日々を過ごせたよう。
私はといえば、悠々自適の一人暮らしを楽しむはずが、サウナのような猛暑と風邪と腰痛に悩まされ、どうやらこうやら8月を生き延びるのがやっと。今更ながら連れ合いの存在の有り難さが身に染みた。一人だとなにもかも億劫、料理を作るのも、食べることさえ、酒もまずい。年のせいだろう、飲みたいだけ飲んで眠りたいだけ眠ることができなくなった。ちょっと飲みすぎると胃腸が重く眠りが浅くなる。
こりゃいかんと遅ればせながら月の後半、気を引き締めた。独りであろうと、いや独りだからこそ、雑事の一つ一つを身を入れてやらないと、生きる流れが滞り、身も心もふやけてしまう。
まずは朝食、億劫がらずに前夜から大豆を水に浸し、いりこで出しをとる。早朝、畑をゴワゴワと覆う夏草にポツンとモロヘイヤの鈍い緑、早くもつぼみが出かけている。なぜか花は体によくない。葉をつみ、洗い、刻む。後片付けが面倒など考えず、ミキサーで大豆を液状につぶし、沸騰するだし汁に注ぎ、刻んだ青菜を入れ、味噌を溶き、再び沸騰させないようかきまぜながらじっと見守り、火を止める。この呉汁と炊きたての玄米、生卵、焼きのり、キウリの塩もみ。出しがらのいりこの半分は私が味見(味が出尽くしているかどうか)、あとは猫に。包丁もまな板もミキサーも食べる前に洗う。
昼は久方ぶりに即席袋ラーメン。沸騰する汁ごと麺を、玉ねぎとえん菜を炒めもわもわと煙の出るフライパンにぶちこむ。熱湯と油が衝突しグラグラと蒸気が昇り全体が一気に膨れ上がる。夜は朝の呉汁の残りにたっぷりのカボチャとわかめを入れ、主菜はこれもめったに食べないサバ缶、近ごろ値段は少し高いがすっきりとした味、添加物なしのがあるんですねえ。ついでに茶筅ナスの焼きなすも、太すぎるので縦に半分に切ってレンジで。切った面は少し硬いが、これはこれで焦げた焼き芋のような歯ざわり。
こんな調子で、片付けや洗濯ももちろん、犬のハッサン、猫のニャン太郎・トラ次郎との付き合い、鶏さんたちの賄い……で一日が終ってしまう。なんだか徒労のような、振り出しに戻ったような、バカバカしいような気もする。でもほかになにかある? 家事・雑事って何かのために仕方なしにやる苦役なの? 生活とは、生命活動、生きることそのものですよね。生きて、死ぬこと、これがすべてですよね。
ガラリと話は変るが、でも、というか、だからこそというか、私は選挙に行く。政治に私たちの生命を破壊されたくない。私たちの国土・生命を守るための急務は第一に原発廃棄、再稼働など論外。
今年の夏から秋へ、は劇的だった。なぜか8月31日夜、スーと暑苦しさが引いていった。9月1日、秋を連れてノンとノエが帰ってきた。木陰の風が寒いくらいだった。4日、ノエが大阪に。その夜から柔らかな雨、翌朝、人参の種まき、周りの緑に茶色がにじんだり黒みがかったり、あちこちにかさこそと穂が出ている。6日、蒸し暑さ戻る。ウーファーの舞さん(日本 21歳)来る。しっとりと落ち着いた印象。
翌7日は朝から本格的な雨、彼女は6時から仕事、山のようなラクガン(お盆のお供え物、お寺さんの産業廃棄物)の包みをはがす。水に溶かし米ぬかや腐葉土等と混ぜ発酵させると、鶏さんが大好きな甘酸っぱいご馳走が出来上がり。彼女、てきぱきとすませ、次に軒下で土をポットに入れてもらう。昨晩はよく眠れたとか。食事も風呂も問題なし。秋冬野菜のための畑の草取り等々、着実に楽しげに一週間をすごし、最後にポットに白菜の種をまき、名古屋に帰っていった。
気が緩んだのか、夏の疲れが出たのか、腹の底がザルになったようで、朝からヘナヘナと力が抜けていく。例年より早い秋に追い立てられるように、なんとか畑を起こし、大根の種だけはまいた。
急にスイス人男性が1、2か月滞在することになった。ノンは丸太小屋の掃除、布団・シーツの用意、買い物……と生き生きと大忙し。私も助っ人の登場にほっと。23日夕方、Mr.ローリン到着。春、3月スイスからカザフスタンまで自転車、そこから空路で韓国に。今朝、船で博多港に、1晩おいて自転車で雑草園に。満面笑みでしわくちゃ、ちょっと老けて見える、苦労人風。丸太小屋、大いに気に入って「パーフェクト」を連発。五右衛門風呂にもすんなり。ノンが気合を入れて作った全粒粉パンやピーマンの肉詰め等々をおいしいおいしいと食べてくれ、話も弾んだ。
翌朝8時前、一転してどこか覚めた表情で彼は土間に入ってきた。「すぐにここを発ちます」 眠れなかったらしい。なによりクモが脅威だったとか。ともかく朝食を。食べながらノンが「ここではクモはいろんな害虫を食べてくれる大切な仲間ですよ。日本で毒グモなどいたらすぐにニュースになりますから。こわがることはありません」
結局、食後すぐ、あっさりと彼は去っていった。ノン疲れ果てた顔でポツリ
「ここの全部を否定された気分ね」
幸い、ノンはなんとか持ち直した。私も回復、というかかえってシャキッとしてよかったみたい。それと毎朝食べる露にぬれたイチジクや柿がきいたかな。特に柿、いよいよかっちりと熟れてきた。まるごとかぶりつく。皮と身の間から湧く冷たく甘い果汁。すきっ腹に、生き返るようだ。
山全体が柿色に、空気が秋色に突き抜けていく。
2017年10月12日