一応、急性膀胱炎は収まったが、夜は2時間、昼は1時間弱で尿意をもよおし、ユラユラと下半身が水っぽく、力が抜けていくような日々が続いた。
4月3日の午後1時半過ぎ、ひょうひょうとして引き締まった表情の若者が軽い足取りで土間に入ってきた。怒髪天を衝くではないが、長い髪が勝手気ままに八方に伸びて、なんとなく「風人」の雰囲気。哲君、28歳、福岡市郊外に住んでいる。昼食後、いつものようにといった調子で外に出て、畑に肥料を入れ、耕運機をかけ、平鍬で畝をたてる。まるで雑草園にずっといるよう。
その夜から朝は寒かったが、昼は穏やかな晴天、スモモの木の下で歓迎会、白い花が新緑に漂うちぎれ雲のよう。松本さん夫妻が山田名物「小鉄」(残念ながらこの5月で店を閉めるとか)のお好み焼き、たこ焼き、焼きそば、焼きうどんを。こちらは有り合わせの煮豆、ほうれん草のおひたし、自家製パン、はっさく、それに緑茶。心和むひとときでした。
翌5日も晴れ、哲君は畑の整備をしながらカレーづくり。カレーが目当てでスリランカを訪れたという本格派(アジアの奥地や離島に長期滞在したとか)、香料も多種、持ち歩いている。コーヒー豆と手回しミルも。確かに「日本カレー」のように固まった一つの味ではなく、いくつもの味(酸味、渋みも)、いくつもの香が交錯し、奥深い世界をかもしだしている。一番わかりやすいのは塩味がうすいこと。どうも「日本カレー」は塩分と油と甘み(化学調味料もかな)でごまかしているような。でもぼくは好きです。「日本カレー」も。
さて、こんなふうに哲君のおかげで、身体の調子はイマイチだったが楽な気分で過ごすことができた。4月9日の午前中までは。
この日の昼食後、いつものようにニャン太郎(雌猫、15歳間近)のマッサージをしていると、グルグルと泡をふいた。べつに苦しそうではなかったが、初めてのことだった。妻のノンに聞くと、数日前から声がガラガラと細くなったとか。哲君ものどに何かできているよう、と。すぐに動物病院へ。この日ものどかな晴れ。ガンか。手術は場所が場所だから難しい。のどが詰って苦しくなるかも。とりあえず抗生剤、効けばガンではなく細菌性の病気ということか。ノン、必死で薬をニャンののどに放り込む。直後、ぐさりと手の甲に爪。いつものことだが薬をやるのは深傷覚悟だ。
3日後、投薬はやめた。まったく効きめはなかったから。むしろのどのできものは大きくなったよう。ニャン、ほとんど食べなくなった。好物のヨーグルトも魚の缶詰も。食事時になると、土間の水屋の上の彼女の食卓には現れる。皆と一緒に過ごしたいのだろう。この家の主のような存在感は健在、黒みがかった茶褐色の長毛種の毛並みは悪くないし、大きな緑色の目の光も生きている。マッサージをすると、気持ちよげに目をつむりゴロゴロ。
雄猫のトラは毎晩哲君の所へ。おかげでニャンは夜、ゆっくりとノンのそばに。私の方はちょっと良くなったり又へなへなになったり。哲君は2週間の予定を3週間に延ばして、畑仕事、グミの木等の枝切り、草刈り、花壇の手入れ、それに料理(パスタ、コロッケ、焼きそば、パン、鶏肉料理……)等々。
それにしても今年の春の動きは早い。4月半ばというのに5月のよう。桜、アンズ、スモモ、梨……と花は散り、コナラ、ハゼ、ユリノキ、栗、柿……と落葉樹の新緑が粒から葉っぱになり、大空を覆いつつある。
16日、早朝からニャンの姿が見えない。少し寒い夜明け。日が出て、畑からふと見下ろすと、母屋のトタン屋根のてっぺんにいた。柔らかな日差しを浴びじっと背中を丸めている。翌日も、その翌日も。まだ上る元気があるのだ。「断食」のお陰かできものは小さくなった。呼吸音も軽く楽になったよう。20日久しぶりに肉の缶詰を食べた。だがそれ以降、まったく食べなくなった。
雑草達の勢いに圧倒されそう。哲君がいなかったら、どうなっていたことか。お茶の新芽の群れが抜けるように光る。丸1日かけて彼が摘んだ。今年も少しは飲めそう。
24日、哲君旅立つ。そのうちまた帰ってくるだろう。
ニャン、いよいよ屋根で過ごすことが多くなった。暑いときは栗の木陰に、小雨のときは部屋と部屋のつなぎの軒下に。屋根に登ると、ひたひたと四方から緑が押し寄せてくる。まるで、溢れ、たぎる新緑の、巨大な擂鉢の底のよう。
向かいの山では、椎の花の帯とクス、カシ等の新芽の群れがうねるよう。
29日、ニャン、屋根に登れなくなる。それでも縁側から草原へ。野イチゴ、バラ、オオデマリ、カスミソウ……と、初々しい花々が浮かぶ。
30日、娘のノエが帰ってきた。元気そうな笑顔、まるで天がニャンのためにさし向けたよう。三人に囲まれてうれしそうに目を光らせる。さすがに痩せた。首から腹にかけて三角形にくぼんでしまった。
5月1日、雨、ぐったりと横たわったまま。目の光が弱い。かすかに音をたてゆっくりと浅い息。
2日の朝、雨はやんでいた。ニャン、どこにもいない。あちこちさがし屋根に。下からノンの声。ニャン太郎はここ、もう死んでいるよ。
昨夜はノンにずっと抱かれていた。うれしそうに。時おり、元気なときと同じような声をあげた。生き生きとした表情で。夜中の3時、ノンふと目覚めると、いない。箪笥と壁のすきまに横たわっていた。かすかだが穏やかな息をたてて。
朝になったら、死んでいた。生きているような、やさしい表情で。
ニャン太郎、あふれる緑の風になる 2019年5月2日