タイムロード 5

重松博昭
2022/02/28

 ネズミたちにわが土間を占領されてはならじと、硬い針金製の箱罠をテーブルの上に中にパンをぶら下げ置いた。パンに触れると出入口がパタンと閉じる。      
翌早朝、いた! 全身黄金色が罠の中にうずくまって。テンだ。イタチより3回り太い。ざっと体長30㎝、尾20㎝、胴回り7.8㎝。明けて、車で数分、四方を山々に囲まれた峠あたりで箱罠を下した。テンは目まぐるしく中を回る。まん丸の黒まなこ、一見リスに似て愛くるしいが、れっきとした肉食獣、太い針のような牙4本を持つ。開けると一瞬のうちに飛び出、林に消えた。
 その翌早朝、いたのだ、やはりテーブルの上の箱罠に同じようなのが。同じように放した。それ以来、パタリと襲撃は止んだ。ということはやはり同じテンが戻ってきたのではなかったのだ。彼らは一度味を占めるととことんやってくる。7、8年前、鶏多数を襲ったテンの雌が、翌日、雄がまったく同じ場所で同じ罠にかかったことがあった。子育て中で食糧調達に特に雌は必死だったようだ。今度も、あの2匹は夫婦だったのかもしれない。

 日中はほとんど一人、土間で湯を沸かしたり茶やコーヒーを飲んだり卵を包んだりしているうちに、ひどく散らかってきた。基本的な訓練ができていないのだ。やはり私には家事、特に片づけは女性がするものだという幼い頃からの甘えが根強く残っている。朝食(昼と夕はノンが作る)や風呂、便所の始末とかは私がやっているが、ノンが一切を引き受ける掃除・洗濯・片づけ・縫物が家事・生活の要(かなめ)のような気がする。仕事として考えるなら、家事・生活ほどしんどいものもないだろう。生活とは生命活動なのだから死ぬまで休みがない。育児・介護が加われば眠ることさえままならない。これに比べれば少々しんどい勤めでも、終わりが来て、酒でも飲み、うまいものを食い、一切から解放されて眠りにつけるのだから楽なものだ。
 女性の社会(仕事)への進出が喧伝され始めて久しいが、常々胡散臭いものを感じていた。もちろん、それ自体はけっこうなことだ。何と言っても女性は男性より生命に根付いている。特に政治、異を敵と、悪とみなす傲岸無知な男性たちに染まらず、異と異が共存する生命を大切にする社会を目指してもらいたいものだ。ただ、生活から仕事社会への「進出」というその底には、生活とは取るに足らない、それこそ女子供でもできる些事だという女性差別と生活差別の両方があるのではないか。
 生活とはしなければそれに越したことのない苦役でしかないのだろうか。省力化、機械化、AI化をどこまでも進め、空いた時間を仕事と余暇に、稼いだ金を更なる生活の「合理化」に、消費に回すのが進歩、豊かさなのだろうか。
 ごくごく当たり前に考えるなら、生活とは生命活動、生きることそのものだ。 この世で最も重要な大切なものではないか。自身の生は唯一であり、一回限り、いつ終わるとも知れない。その到達点は言うまでもなく死だ。巨万の富を得ようが、最高位につこうが、強くなろうが、賢くなろうが、美しくなろうが、何かを成し遂げようが、最後の「結果」は死なのだ。その過程が伸びやかな生き生きとしたものでなければ何にもならない。生とは何かのためにあるのではない。ただ生きることそのものが、限りなくかけがえのないものなのだ。生きること、生活は遊びだ。冒険だ。その過程にこそ意味があるのだ。
 このコロナ禍は絶好のチャンスではないか。男性諸氏よ、仕事社会ばかりに心身を捧げるのではなく、生活社会に「進出」したらどうか。生活社会、地域社会の再生こそ私達一人一人そして地球の再生の鍵を握っているのではないか。
 私ならまず食だ。どうせなら採集から始めたい。自転車で川っ原にでも行ってみるか。切れるような風が吹き抜けて、人っ子一人いない。菜の花が所々で開いている。その蕾で菜の花漬け、柔らかな葉っぱはお浸しのごま和え。驚いたことに先客がいて一番おいしい所を折られている。参りました。帰り道、久しぶりの70代の男性が庭先の畑で大根を抜いている。とう立ちしかけたの2本もらう。ついでに道にはみ出てぶら下がっている取り残しのユズを一つ。
 やはり猫の額でもいいから畑を作りたい。畳一枚でもあれば、鶏2、3羽、人間の残りと青菜で飼える。床は土そのままの方が自然発酵して臭わない。生ごみも放り込める。最高の卵が忽然と天からの贈り物のように現れる。
 日曜の遅めの朝、産卵を見計らって、庭で飯盒(鍋でも釜でも)で飯炊きも楽しい。ブロックか石を両脇に、鉄の棒か生木に飯盒を下げ火を炊く。焦げた匂いがし始めて火から下ろし、逆さまに置く。しばらく缶ビールでも飲んで、やおら鶏小屋へ。まだ暖かい卵をカチリと割り、飯盒の蓋にもった熱々の飯のてっぺんに乗せる。弾力のかたまりのような白身に黄身がもっこりと揺れる。醤油の2、3滴が、飯のどっしりとした旨味と黄身の澄んだ甘みを引き立て豊かに融合させる。これにユズをたらした生干し大根でもあれば言うことなし。

 この土間から掘っ立て小屋、雑草園と、じっくりと片づけていきたいと思っている。少しでも気持ちよく死に到達するために。すっきりとクリーンにではなく乱雑に自然に。要は生命が滞ることなく流れれば、循環すればいい。
 コロナが落ち着いたら、土間を「茶室」にしたい、誰か暇な人がフラリと登ってきて私も空いていたら、火をおこし茶を入れる。なんにもない時が流れる。
 あれからテンの来訪はない。天(テン)敵がいなくなり、我が物顔にのさばるかと懸念していたネズミたちも、なぜか音無しだ。

            「タイムロード」完   2022年2月26日

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