7月半ば、梅雨直前に戻ったような灰色の圧迫感、降りそうで降りそうにない。日差しが重い。夜もどんより、わが古屋は昔ながらの瓦葺き土壁、四方が林で、ガラス戸を開け、蚊帳を吊って寝れば普段はいたって涼しいのだが、ここ数日は寝床で汗ぐっしょり、明け方の冷たくなった風に吹かれ、例によって風邪、咳も熱も痛みもないが、なんともだるく鬱陶しい。
ようやく一雨来て、ちょっと涼しくなった深夜、浅い眠りにミーミーと虫にしては甲高い声が流れてきたような気がした。いつの頃からか夏から秋の虫の声がめっきり弱まった。翌朝食後、妻のノン 「どこで鳴いてるのかと思って、お隣に行ってみたらいたのよ。でもその子猫は車の下に隠れてでてこないの。濡れた毛が汚れていて目やにもひどくて眼がよくあかないみたい・・・隣の奥さんに車の下に子猫がいるから気を付けてと言ってきた」という。
みぞおちが締め付けられるような気分に。このあたりは山に囲まれ家も人や車の通りも少なく、道路だけは整備され町からそう遠くないので、捨てられた犬や猫を時折見かける。気の良さそうな成中犬が車が近づくと縋りつくように駆け寄り追いすがり、去っていくのをじっと見つめ、また次の車を待つ・・・雨の中を思いつめたように急ぎ足でいく細面の痩せた猫・・・
どこかの国や団体のように、人権・動物権(例えばクジラ)を一方的強圧的に振りかざす気はないが、最低限の信義というものがある。ペットという言葉は嫌いだ。おもちゃではない。面倒になれば捨てるではすまない。一個の命を預かるのだ。一対一の関係ができるのだ。人間と人間よりも切実な場合もある。その命の思いをもてあそんでは、踏みにじってはならない。
エラそうなことを言ってしまったが、子猫は引き取れそうにない。トラ次郎(雄猫、13歳)とうまくいくかわからないし、何より猫とみれば追いまくるハッサン(雌犬、12歳半)がいる。ほっとくしかない。だが・・・
食後、山に登り、卵取りを終えて山小屋(掘っ立て小屋)の土間に運び、ふっと佇んでいると、妻が子猫を抱えて登ってきた。やっぱり・・・。ハッサンもついてきている。「声がしたようで台所から窓の下をふっと見ると、坂道の登り口にじっと座って、こちらを真っすぐ見上げて懸命に鳴いているのよ。抱き上げて台所に置くと真っすぐにトラちゃんの餌の所に行った。どうする?」体調20㎝弱、白、黒、茶の三毛、耳が立って長い。目やには痛々しいが奥の眼の光はきりっと強い。生きるために必死なんだ。ノンを見てこの人ならと感じた直観力はたいしたものだ。そもそものこのこと猫の所に出かけて行った時から勝負は決まっていたのよねえ。
小さな弁当箱に猫フードを入れて土間に置くと、すぐに子猫が食べ始める。突然、近くにいたハッサンが吠え掛かった。子猫はおびえ切った表情で隅に逃げ込んだ。吹けば飛ぶようにちっぽけだ。思わず私はハッサンをきびしく叱った。彼女としては自身のテリトリーを示したかっただけのようだが。こうなると追い出すわけにもいかない。しばらく様子を見るか。山小屋をすみかにしてもいい。出て行ってもいい。ハッサンもトラもたいてい下の家にいるし。
それにしてもこの所の天気と体の重さはどうだ。鶏の餌のバケツを下げ小屋へと歩くだけでも、いや坂道を登るだけで、天からの重みが肩から背中、腰、臓腑、太腿へと伸し掛かってくる。猛々しい夏のエネルギーを存分に吸収したこの一面の緑の濃さはどうだ。つい足を止め、ぼんやりと見とれてしまう。
昔から働くのは好きなほうではない。特に朝の起きがけ、何杯も茶を飲み、長靴に足を入れる。ようやくノロノロと動き出し、やがて汗が全身に出る頃には、身体が軽くなり、力が湧いてくる。そうなると餌やりも畑仕事も肥料出しも開墾も苦にならない。爽快なくらいだ。ところが70を過ぎた1,2年前から、急に力が湧くどころか、腹の底から肛門へと生きるエネルギーがふにゃふにゃと抜けるようになった。特にこの多湿と猛暑の夏は一時間も持たない。以前は仕事はしたくないが、今は仕事ができないのだ。これが年を取ることの怖さ、不安なんでしょうね。そろそろ鶏さんたちとのお付き合いも畑仕事も限界に近付いてきたのかなあ。
ともかく最低限の仕事を(これが結構きついんだよねえ)もう必死、といってずっと休んで本や音楽やテレビ等々というのも、これはこれで身も心も重くなる。特に風邪の時は少しでも動いた方がいい。
子猫は出ていく気配はない。ハッサンに懲りて下の家には来ない。土間のあちこちに場所を変え、横たわり、食べ、眠ってはまた食べている。夕方、隅のテーブルの上の小さな段ボール箱に入った。裏の戸だけを少し開け、ノンと私は家に下った。
翌朝4時前、全身がだるいが、ぱっちりと目覚め、すぐに起き上がり、小雨のなか真っ暗の坂道を登り土間に入って明かりをつけた。いない、段ボールの中にも、中央のテーブルの上にも、薪箱、流し、本を積んだ水屋、冷蔵庫の上の軍手の入ったかご、タオル入れ、種やマッチを並べた棚・・・まったく気配がない。一気に土間も私も老いさらばえたような寂寥感に襲われた。昨日までとまったく変わらないのに。突然降ってわいたような子猫がいなくなったというだけで。実はすでに名前もつけていた。「ミーサ」(多分、雌だろう)
空っぽの気分、火をつけ、湯を沸かし、茶をすする。以前ならコップ酒だが今は体力がない。5時前、明け始めた。軒下に出て、長靴をはき、合羽を着た。風呂場の前の焚きもの置き場の奥からゴソゴソと音がした。足元にミーサがいた。思わず抱き上げた。
続く 2022年9月4日
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