緑雨に病む

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緑雨に病む
zeikomi
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 韓国のキムさん(男性、41歳)をJR筑前大分駅に迎え、嘉穂町を山田へと走っていた時、回り一面の田んぼはほとんど空っぽだった。雑草園の落葉樹も枯れ木のよう。野や畑には初々しい緑が湧きはじめていた。

 キムさんは初対面という気がしない。雑草園にというより地球のどこででも根付いている感じ、すぐに畑の草取りとサヤ豌豆の種まき(秋まきが全滅したので)。がっしりとした体つき、誠実そのものの知的眼差し。養護施設の教師、農作業・薪ストーブ製造・エコハウスの大工仕事を指導しているとか。さっそく居間に長く懸案だった切り炬燵を作ってもらい、床・天井のやり直しも。私と同じ、ある材料で、まず古材の釘ぬきから。設計図も差しも無用の行き当たりばったり、見てくれ一切無視の私とは正反対で、きっちりと緻密、おかげで見違えるようなすっきりとした部屋になった。

 トモちゃん(日本、女性、27歳)がやってきた時、桜は七、八分咲きだった。落葉樹の枝々に緑の粒が吹き出て風になり山じゅうを流れていた。彼女は溌剌かつしっとり、芯がしっかりかつ柔軟、全部お任せでよかった。言うことがはっきりしていて、しかも本質をついていて楽しい。すぐにハッサンの姉御分になった。命令調の太い猫(犬?)撫で声でしょっちゅう話しかける。ハッサンも大喜びかどうかはわからないが心を許しているよう。大抵一緒だった。

 彼女は終日畑の草取りに没頭した。とりわけしぶとく畑を占領するキツネのボタン撲滅に生きがいを見出して。私も人参、ホウレン草、ゴボウ、チシャ……と種をまいていった。ある朝、出たばかりのお日様に輝く畑に立ったとき、ふっとこの畑や野が数十メートル迫り上がったような気がした。それほどここ何日かの緑の勢いは鮮やかだった。一面の新緑がどこまでもどこまでも透明な柔らかさだった。

 ハッサンを同乗させて大分駅に着き、香さん(日本、女性、46歳)と顔を合わせた開口一番「私は犬は苦手です」 こりゃアカン。中肉少し小柄、静かな眼がくっきりと澄んでいる。なんとかなるか。低音はいいが、小声過ぎて聞き取りにくい。ただし言うことははっきりと言う。要するに身体によくない(と彼女が思っている)ものは食べたくない。マヨネーズ、脂の多い肉、白砂糖、バター、生魚も、ただし超新鮮は可、勝手にしろい。妻が苦労したようだ。玄米と呉汁はおいしそうに食べてくれた。五右衛門風呂も薪を燃やすのも大好物、茶摘みも茶もみも自分でやり、湯呑を両手で抱え天の雫のように大事そうに飲んだ。こんな時の笑顔は子供のように純で優しげ。

 一度、早朝、ハッサンと私の散歩に彼女も同行した。木々の緑は点から面へ、その面が幾へにも重なり揺れ、緑の光がさざ波のようだった。東に連なる山々では、樟、樫等の常緑樹の新芽が入道雲のように噴き出し、うねり、躍動していた。

 尾根伝いにわずかに歩くと、木々の奥に、ピンク、青、黄、朱……とまるで異世界の色が現れた。産業廃棄物処分場だ。数歩進むと、目の前に大空と空が開けた。足元は一気に数十メートル垂直に下る。山林が根っこごと深々と抉り取られ、その人工の巨大な谷底に、ひたすらゴミ、ゴミ、ゴミ……灰白色のビニール、青いシートの残骸、朱色のゴムシートらしきもの、緑のホース、プラスチック、ガラス……

 なんだかこのゴミ達が可哀そうになってくる。永久に腐らないゴミ、まるで永遠に死なない人間のようだ。死がなければ生もない。

 彼女と入れ替わりにキムさんが南阿蘇の高森町から戻ってきた。いつ地震がおこるかわからないのでビニールハウス暮らしだったとか。まだ復旧には程遠く、彼の場もなかったようだ。私も大恩人の高丸さんの所(御船町)に駆けつけなければとも思うのだが、いかんせん身体に自信がない。

 今度は北西の「開かずの部屋」の復活、に精魂を傾けてくれた。北側に硝子戸と開き戸(今年になって古畳と共に岡本さんが家を解体したものを運んでくれたものだ)がつき、格段に明るく風通しが良くなった。床の畳の下は私流に最低限の補強にとどめた。畳が沈まなければいい。外壁も元の外装板(クモの巣だらけの)を使った。彼としてはきっちりと決めたかったろうが、微塵も顔に出さない。

 5月半ば、梅雨のような雨が続くなか、風邪をもらい37度5分の熱を出した。私としては十年か二十年に一度の高熱だ。喉が痛く細菌性かと思い、抗生剤を服用、すぐに熱は引いたが、だるさと咳と喉の痛みはとれない。

 朝、合羽を着て、雨の中に一歩踏み出した時、緑が分厚い水に見えた。雨に溶け、濃く深く山じゅうに溢れていた。緑はすでに闇を含んでいた。

 妻とアンネ(ドイツ、女性、21歳)が草やりと卵取りをやってくれた。本当に助かる。アンネは長身、可憐な容姿には意外な青江三奈張りの低音。彼女のことはまた次回。

 二週間たっても咳が消えない。なんだか懐かしい咳だ。深夜、急に咳き込んではたと気づいた。こりゃ喘息だわい。遥か昔の小児喘息がよみがえったような。重症時は絶望的きつさだが、ごく軽い時はどこか快感がある。安らぎが、空白がある。学校も会社も仕事も生活も世間も……とにかくすべてがどうでもよくなる。我流一切空。空は自由。空は解放。なにもかもが許せるような気がしてくる。他者の、何より自身のどうしようもなさも。空はあはれ。空はかなしみ(悲・哀・愛)。空は祈り。

最後に空は死であり、生命の源であるとか……

                   2016.5.24