どうも私の平熱は36度5分前後なのらしい。7月半ばからざっと3ヶ月続いた37度代の微熱からようやく解放されたようなのだ。首から上だけ蒸し風呂に浸かっているような生気の抜ける毎日だったが、終わってみれば、いい夏休みになった気もする。なんだか体と頭がすっきりしたような。
3、4週間微熱が続いたあたりでどうにも気分が重くなり日赤に行った。普段は科学技術万能・Al様々の現代社会を批判ばかりしているくせに、その科学医療のあれやこれやの検査さえ受ければたちどころに病因は判明するはずと(治るかどうかは別として)何となく思っていたのだ。これが…検査に引っ掛からないとどうにもならないんですねえ。あとは疲れだろうとか,お年とか、ストレスとか……幸い、9月初め,私にとっては高熱の37.2以上の熱は出なくなったので風邪薬は飲まずに済んだ。いつもより長々と深く眠った。いつものように4時ごろ起き、1時間程度仕事し、弱ってきたらまた眠り、起きて食べ、少し動き、また横になり……つい過ぎたときは即横になる。できるだけ強烈な日差しと重労働(重いものを持って急坂を登るとか平鍬での畝立てとか)は避ける。野生動物たちの侵入だけは御免だったので、柵の点検と栗拾い(特に柵の周辺)は連日欠かさなかった。本当はゆっくり休んだ方がいいのだろうが。
9月5日から来てくれたファビアン君(ドイツ、27歳)には本当に助けられた。栗が落ち始め、しかも草刈り機が故障、2週間も使えなかった。彼はがっしりとした筋肉質で動きがしなやかで腰が入っている。残暑どころか炎暑真っただ中に、きびきびと丁寧に鎌で草を刈った。畑を覆っていた桑の木等を鋸で挽き、薪用に1、2mに切って積んだ。数日で山がさっぱりと見晴らしがよくなった。おかげで栗拾いが楽に、秋冬野菜の種まきも少しずつだがやれた。
暑さで年々難しくなっていく。以前は8月半ばに蒔いていた人参がやっと9月半ば。9月上旬に播種した大根は虫に食われ全滅、20日過ぎ播種は何とか育っている。白菜の苗も虫害で育たない。今までは虫に食われなかったレタス類までも。小松菜、チンゲン菜、カツオ菜……春菊、ほうれん草……と半月から一か月遅れ。秋をすっ飛ばして厳しい冬が来たら、ほとんど太らないかも。ま、何とかなる。自給農はこんな時は強い。要は食えればいいのだ。太らないなら小さいのをたくさん食えばいい。白菜やレタスなど半結球あるいは開いたままの青菜でいい。とにかく何やかやをあちらこちらで育てる。野草も大切に。
と、これを書いたのが10月13日、その翌々日からまた体温が上がり始めたのだ。36.8、36.9…なんだかガックリと弱気になる。やっぱりがん検診でも受けるか、それとも人間ドック……10月20日、起きてすぐ36.5、朝食前36.9、朝食後36.5…わけがわからなくなった。体温計に振り回され一喜一憂しているのがバカバカしくなった。体温計を収納段ボール箱の底に放り込んだ。
もう少し自身の生きる力を、直観・感性、感じ判断する力を大切にしなければ。生きているのは自分自身なのだ。目覚めの気分はいい。食欲も排泄も呼吸も通常。だんだん仕事も続くようになった。この「情報」がすべてのような、「情報」に埋もれ、「情報」に追われ、めまぐるしく殺伐と酷薄に走り続けている、この現代社会だからこそ、直接性・身体性を大切にしなければ。できることなら自身の生命に忠実に、単純に静かに土に生きたい。できる限り「情報」に振り回されたくない。現代科学医療という「情報」にも。
早朝、闇にキーンと鹿の叫びが響く。金木犀の香と落ちた銀杏の実のかすかな異臭の漂う草の道をモモ(雌犬、3歳半)と登る。モモは黒い影となって闇に走る。静かだ。侵入者の気配はない。木々の黒に囲まれくっきりと浮かぶ星空の下、身体の芯を伸ばし腹の底まで息を吐き、一気に全身を緩め、ようやく冷たくなった山の気を呑み込むように吸う。
火を起し、茶を飲む。今季初めて茶葉を一年分自給できそう。
白い夜明けに、一輪車に引かれ、鶏の食事を運ぶ。めまいのするほどの空腹、色づきかけた葉に隠れるように下がる熟し柿をそっとちぎり、破れかけた皮ごとかぶりつく。てっぺんの枝からカラスが飛び立つ。東の山の際から放たれた柿色の光を浴び、花や種をつけ始めたまだ青々とした草をむしり、土をかき分け、種をまく。四つん這いになり、ゆっくりと草と土に触れる。
友人が作った玄米にゴマ、栗、手製味噌・揚げ・青菜・もらったワカメの味噌汁、卵焼、煮カボチャ、大根葉の一夜漬等をゆっくりと噛みしめノンと頂く。
栗拾いも四つん這いで。土から力をもらう気持ちで。ノンは玉ねぎ、ねぎ等の育苗、クルミと銀杏拾い、花の世話等々。各自、自身の判断で。
私は早々に午後3時、仕事をやめ、薪拾い、小枝を折り、五右衛門風呂に火をつける。どこからか現れたミーサ(雌猫、2歳半)と炎をじっと見つめる……
一杯のどぶろくは祈りであり、ささやかな祭りだ。足元に老雄トラがうずくまる。肴は枝豆とかクルミ、煮干し等、ノンとの会話、気が向けば音楽……
と、大抵はこう静かには終らない。難事・些事に追われる毎日だ。でもいつもこの生命の流れに返りたい。できることならこの流れのなかで死にたい。
と、これもまた難しいか。こんな世の中では。イスラエルが何と言おうと、あれはジェノサイドだ。それを支持あるいは見過ごす欧州諸国、強力に後押しする米。この何百年かの巨大科学技術・国家・カネの「進歩」とは。彼らの「自由民主主義」「人権・博愛・平等」とは。根底から問われている。トランプ王国の最前線たるべく桁外れの軍拡にひた奔る日本も。
完 2025年10月27日
追伸 ヒヨコを入れなかったので壮年・老年ばかりになりました。殻の薄いこと、今は産みは盛んですが、いつ産みが悪くなるか、配達をやめるかわからないこと、ご容赦ください。急な寒さに熱が吹っ飛んだみたい、な感じです。








