夜 歩く

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夜 歩く
zeikomi
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 この3月上旬は多雨、畑がズルズルで重く、わが家の準主食であるじゃが芋を植えるのが遅れるのではと気が気でなかったが、なんとか十日前に完了した。雨の合間を縫ってほうれん草、春菊、人参、チシャ、サラダ菜と、こちらは少しずつだし、さらさらと土質の軽い畑だったので楽にすんだ。寒かったり暑かったりと半日で気温が上下して、彦島菜、チンゲン菜、小松菜……とすっくと芯が伸び蕾をつけた。その割にはフキノトウの丸っこい緑の帽子は待てども待てども浮き上がってこない。

 

 3月15日、急にフランス人夫婦が来ることになった。午後2時、筑前大分駅に。曇り時々雨、風が冷たい。すでに駅前の道路わきに立って待っていた。二人ともスラリと引き締まった少し長身。Ms.エレーナ(50歳)、考え深げなしっかりとした眼差し、声も低く静か、流暢ではないが自然な日本語(長崎居住経験あり)。Mr.パトリック(50歳)、縦長のシワが魅力的なヒゲ面、眼差しがちょっと気難しげ。大学の名物教授か反骨辣腕の新聞記者のような。

 

 翌朝は冷えたが、二人とも7時過ぎには起き出してきて、あたりを散歩したり、薪を割ったり運んだり。薪ストーブが気に入ったよう。朝食の呉汁も。作り方を尋ねる。一晩水に浸けた大豆をミキサーにかけ出し汁と煮て味噌を溶く。ついでにキナ粉は炒った大豆を製粉機にかけるだけ。納豆や煮豆、まして豆腐に比べれば実に簡単、しかもうまい。この製粉機が動かないのでキナ粉が食べれないと話すと、パトリックどれどれと製粉機を手にして一、二分、あっさりと鈍い金属音をたて回り始めた。安全装置解除のボタンを押しただけとか。私はこの装置があることさえ知らなかった。すぐに大豆と米を挽いてみた。きめの細かな美しい粉に。妻のノン、いっぺんに嬉々とした表情になって彼をガスオーブンの前に案内した。熱の循環が悪く、上が焼ける前に下が焦げてしまうのだ。彼はオーブンの内壁のような部品を引っ張り出し、納めなおしてこれもあっさりと直った。焦げやすい部分が少し残ったが。

 

 さっそく昼食はキナ粉餅とクルミ餅、餅つき機で。クルミは草原に散らばっているのを拾い(カラスとの競争、いつのまにか連中、自身で殻を割って食べるようになった)、ストーブで焼き、割り、かすかな実をほじくりだす。ノンとウーファーさん達の何か月もかかっての仕事だ。このクルミ餅が二人に大好評、ほんのりと甘く後味が香ばしい。

 

 オーブンでエレンが小麦粉とキャベツ、卵、ミルク、オリーブ油でパイを焼いた。家庭料理なのだろう。あっさりとしていてどこか懐かしいコク。じゃが芋と人参とベーコンのスープ付き。別の日には芋パイ、マッシュポテトとキャベツ、人参、卵を混ぜ、オーブンで。じゃが芋が主食なのがいい。わが家の定番にするか。もう一品、じゃが芋とブロッコリー等を煮てミキサーにかける。とろりと緑色のスープに。デザートはロールケーキ、中にはわが家手製のあんずジャム、すっぱ味が生き返るよう。

 

 二人の畑仕事がとにかく丁寧。パトリックは赤ソラマメ畑とその下の段、全部で2アールほどを開墾並みに鍬で起こし、びっしりとはびこっていたキツネノボタンを根こそぎ取り除いた。さらに家の周りから色々なビニール管を集め、継ぎ接ぎして、下水道を修復してくれた。

 

 エレンの料理もだが、身の回りにあるもの、放置されているもの、捨てられているものを存分に利用するのがいい。巨大科学技術をあたかも神であるかのように万能視している我々現代人は、このような手仕事を古くさい劣ったものと考えがちだがそうでもない。

 

 第一、面白い。自身の体力知力をフルに使って、他のどこにもない自身の作品を創るのだから。意外性に満ちている。どのようなものが出現するのか、できてくるまでわからない。

 第二、自身に合わせて良いかげんに創ることができるし、修理も改良も自身でできる。要するに、科学技術が産み出す「文明の利器」ではなく、私たち一人ひとりが主体なのだ。

 第三、より多くのカネを、より新しい「文明の利器」を追い求める大量消費・大量廃棄ではない「もう一つの道」を指し示している。消費ではない創造の道を。廃棄ではなく再生の道を。

 

 食後、日本語と英語、フランス語少々で、四人語り合った。二人ともマクロン大統領にはかなり批判的、「下々」の生活を考えず独断専行ばかり。エレンは少女のような眼差しで、わが家の野菜、加工品のことなど聞いてくる。ヤーコンの種イモを持ち帰り作ってみるとか。最後の夜にはシャンソンを歌ってくれた。静かな味のある語り、イベット・ジローのような。

 

 3月25日、彼等が去って、がっくりと寂しくなる。二人に見習ってガラにもなく真面目に仕事をやり過ぎたからか、急激に冷えた31日夕、急性膀胱炎に、ちびってもちびっても五分と持たず痛み、身体全体が寒々と抜けたような。救急車で日赤へ。抗生剤が効くまで待つしか処置なし。夜道を一時間強、歩いて帰った。付き合ってくれたノンには申し訳なかったが、タクシーより気楽、いつでも用を足せる。

 

 その夜の長かったこと。7、8分おきに便所へ。朝の10時過ぎ、やっと薬が効いてきて眠った2時間の気持ちよさ! 

 

うつらうつらと、昨夜の病院からの帰り道を、私はゆるい風のようにゆく

道のわきの黒い林に浮かぶ桜の白が、鮮やかに脳裏を通りすぎる

桜とは、こんなにも透徹した美しさだったのか

生と死との、境の美しさ、かな……

 

           2019年5月17日



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