痛む日々

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痛む日々
zeikomi
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 どうやら猛々しい夏草たちの勢いも萎み、風は清々となり(日差しはきついが)、秋冬野菜の種まき・植え付けもすませたので、あの暑苦しかった夏の終わりのことでも書こうかという気になってきた。

 呑気な話だが、いつの間にかスズメバチの一団がわが家に同居していたのだ。最初は山を挟んだ産廃場の重機か通りのむこうの草刈り機のエンジン音かと思った。だがどうも違う。土間から切り炬燵のある部屋にあがり、庭に面した南壁に近づくと、ブーンともザワーンともつかぬ音が大きくなるのだ。外に回ってみると、やはり、外壁の板と板の隙間が2センチほど、そこに2センチ強の黄色いスズメバチたちがウヨウヨ、次から次へと大空から舞い降り、大空へと吸い込まれるように飛び立っていく。早くも2、3匹が私に気づき向かってくる。慌てて逃げ事なきを得た。「立派なハチの巣ができてるよ」と妻のノン、べつに動じた風でもない。部屋にもどり内壁のベニヤ板の隙間からのぞくと、外壁と内壁の間に、直径20センチほどの焦げ茶色のマムシ模様の半球体がほぼできあがっている。ゾクゾクと重苦しい気分に。日差しがまた午前中からまるで梅雨前のように重い。薄いベニヤ板しか隔てるものはないのだが、ハチたちはまるでこちらには関心がないのだけが救いだ。

 どうしよう。ともかくまずはプロの助言を仰ごうと、清水さんに電話。本当にありがたいことに午後にうちに。ほっそりと知的でいかにも優しげな女性、彼女のご両親には私たちが養蜂をやっていた時さんざん世話になった。いつもと変わらぬ静かな表情で私には遠く離れているようにと言って、ハチ数匹を虫網でとらえ(もちろん面布をかぶり、ビニール手袋をして)、粉状の殺虫剤をまぶし、放した。当然、ハチたちは巣にもどり、薬剤を撒き散らす。これを何日かやれば全滅すると、彼女は丁寧に教えてくれた。くれぐれも刺されないようにと何度も念を押して。実際、面布も服も手袋もスズメバチ相手では頼りにならない。

 幸いというか、数日、雨が続いた。ハチたちは出てこない。命がけの作業をせずにすんだ。雨が止んでも姿を見せない。音もしなくなった。二週間後、ベニヤ板を大きく開いた。巣はほとんど崩れ数匹の死骸しか残っていなかった。

 去年もほぼ同じ時季、彼等との攻防があった。午後2時過ぎ、曇り時おりパラパラと雨、家のすぐ上の畑でゴワゴワと茂る草を鎌で刈り、カボチャを捜し拾っていると、スズメバチが2匹どこからともなく現れた。小さめで薄い黄色、そのままカボチャを運んでいると、軍手の上からチカッチカッ左手の平と右小指。刺されたという実感もなかったほどだが、ジリジリと痛みが湧いてきた。家に帰って、ノン手製のアロエ液を塗った。傷口はほとんど腫れてないし、動悸も激しくないが、どっと疲れが出て横になった。やがてギリギリと痛みが増し寝てもいられない。夜の1時過ぎようやく痛みは緩み始め、翌朝、少しかゆくなり、手先の動きもスムーズになった。いつもの通り餌やりをすませた。 

 スズメバチは一般に思われているほど凶暴ではない。人間のように意味もなく襲ったり、殺し合いや大量殺戮などしない。ただ巣を守るときは攻撃的になる。2日ほど様子を見た。20アールほどの畑の中ほどに例のカボチャ畑はある。少し離れて見るが彼等の姿はない。3日目の朝も快晴で暑くなりそう。7時、一大決心をしてカボチャ畑に。長靴に上下のカッパ、帽子の上から厚い網をかぶり、二重のゴム手袋。まるで動くサウナ。じっとりと汗を流し草を刈る。5分もしないうちにブワーンと重い音、今度は本格派登場。4センチはあるか、黄金色の鎧に身を固めたまるで小さな怪獣が5、6匹、すぐそばの土手の草むらからヘリコプターのように浮き上がってきた。急いで2、3メートル離れた。追ってこない。その草むらの上空を死守しているような。やはり巣があるのだ。そこに用意していた目印の棒の先をそっと置いた。

 昼過ぎ、ドラッグストアーに。入ってすぐに様々の殺虫剤が並べられていた。その真ん中に一際巨大なスプレー「スズメバチバズーカジェット」、スタルスリン等の毒液を協力噴射(12メートルも)。こりゃスプレーというより立派な化学兵器ですねえ。人間だって危ういのでは。そのスプレーを買って帰ったものの、迷いに迷った。夕方には使うまいと思った。冬になればスズメバチは自然消滅し女王蜂だけが地中で越冬する。それまで待てばいい。ノンもうなずく。

 その夜、台風接近のわりには風も雨もなかったが、いつになく生温かく重苦しい空気、何度も目覚め、翌朝5時、起きだした。その時には決心していた。スズメバチを全滅させることを。やはり畑仕事が不自由なのは困る。うちの生活の土台なのだ。貴重な食糧自給の場なのだ。それに私一人ならともかくノンが刺されたらどうなるか。ちょくちょく助っ人が来てくれるようになったし、孫や近所の子どもたちが遊びにくるかもしれない。命に関わることは避けたい。

 かすかに明け始めた。青白い空の所々に星の弱い光。前日同様の重装備、青い闇のなかに目印の棒の先が見えた。一気にスプレーをかけた。断末魔の羽音が、命のうごめく鈍い音が聞こえてきた。スプレーが空になるのに1分もかからなかった。白々と明けて、再び重装備で現場にむかった。彼等の飛ぶ姿も羽音もない。草を刈ると奥に太い枯木、その空洞の中に長さ2、3センチのプクプクした真っ白な幼虫の死骸十数体、意外に成虫の死骸は10も見当たらなかった。

 やはり心が痛む。この地に来て40数年、農薬は一切使わなかった。自然との、他の生物たちとの関係が絶たれてしまう。せめて自身の手で一匹一匹を叩き殺し、あの幼虫も油でこんがりと焼いてしっかりと食べ胃袋に葬ることができたなら。そもそも彼等に巣を作らせたことが私の重大な怠慢だった。家を補修し、草を刈り、枯れ木を除き、畑や山を手入れして、ここは私たちのテリトリーですよと、しっかりと示しておかねばならなかったのだ。
       2019・10・28



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