今まで経験したことのない日々 上

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今まで経験したことのない日々 上
zeikomi
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 6月下旬、梅雨に入った。すぐに明けるかと思ったら、7月初めからだんだん昼間の薄暗い時間が長くなっていった。5日、空は一面、厚い灰色、雨は落ちていないがそれだけに大気がムワーと重苦しい。天空全体が覆いかぶさってくるような。やはり、翌午前中しのつく雨、午後、息をのむほどの激しさ、空(くう)が雨の太い線に満たされ、それらは地上に注ぎ早くもあちこちに小さな急流が生じている。
 
 わが掘っ立て小屋は東向きの山地に私たちドシロウトが建てたもので、きちんとした四角四面の排水路などない。すでに山を下る流れが家の西戸口に迫っている。私は鍬で地面を掘り水を誘導する。西側から南側へ、家の周りに溝を掘っていく。ざっと3、40分、水は勢いよく家の脇を下っていく。
 
 一番心配なのがその下、道路に面した家(いわゆる空古民家、数年前に譲り受けた)の裏に集まる谷間の水だ。近づくと、地響きのような音が聞こえてくる。普段は水流のない崖が滝になっていた。その水が落下する深さ1メートル強の排水溝のすでに半分以上に水位は上がっていた。崖のあちこちが崩れ石や土も落ちてくる。ここが溢れると家はすぐそば、床下浸水になりかねない。私は溝に飛び込み、スコップで土と石を浚い上げた。長靴ごと膝上まで浸かりカッパの中も水浸し、両腕は重く息は切れた。溝の南端の大きな石を除くとどっと濁流は直角に曲がり、家の南側を道路の側溝へと下っていった。山から下る水と側溝のあちこちを溢れる水を集めすでに道路全体が土色の川だ。
 
 鶏の餌やり、卵とりなどを終えて、五右衛門風呂を沸かし、入り、どぶろくを呑み、ぐったりと横になってラジオの音楽番組を聞いていると、突如、音楽が途切れ、重く切羽詰まった声、「今までにない大災害が迫っています、今すぐに避難してください」
 
 こんな状態でどこに避難しろって言うのよ。どぶろくを2杯、3杯と呑み、飯を食ってさっさと寝た。妻のノンもハッサン(雌犬)もトラ次郎(雄猫)も普段どおり。よく眠れた。途中、いつものように何度か起きたが小雨だった。5時過ぎ、起きた。すっかり明けて、猛烈な雨、今度は鶏小屋に浸水、床土をスコップで堀り、トタン壁の下から水を出す。こちらは年々、被害が少なくなる。鶏糞や枯草のおかげで床が高くなっているからだ。これらは土と米ぬか等と混じり発酵して上質の肥料になる。ハエもわかないし、臭いもほとんどしない。断熱材にもなるので夏涼しく冬暖かい。ただ、当然年々、天井が低くなる。忘れたころに、側頭部(耳の上)をズキーンと打つ。無性に痛い。
 
 6月15日から治郎君(気仙沼出身、34歳)がうちの同居人になっている。この2月に3週間滞在、今回は2か月半の予定だ。スラリとやや長身で眼鏡の奥のまなざしは知的で優しい。ちょっととぼけたような物言いはあくまで静か。作業服はもちろん長靴やカッパ等も持参。洗濯も自身で。便所の始末も。週一度、床を上げ、バケツを取り出し、野ツボに運ぶ。風呂焚きもできる。料理は辞退したが、後片付けは一手に引き受けてくれた。雨の激しい時、彼にはニンニクの皮をむき、摺り下ろしてもらった。1日2日では終わりそうにない量だ。瓶に詰め、冷蔵庫に入れておくと、1年近くはもつ。キムチは無論、炒め物やスープなど何にでもすぐに使える。ラーメンに加えると味が深く引き締まる。
 
 私ももう70、もともと強くはないが衰えをはっきりと感じるようになった。それでも雨、風対策や鶏の餌やり等の暮らしの最も基本的なことは自身でやらなければ。後ろに治郎君が控えていると思うだけでも気が楽になる。
 
 小雨の時は畑の草取りや草刈等、自分で判断してやってもらう。それにしてもこの永遠に続くかのような雨で、ナスは成育せず、ピーマンとカボチャとインゲンは実がつかず、トマトと甘瓜は溶けてなくなった。元気なのはキウリとてんとばえの靑しそ、ふだん菜(ヤーロウ)、あと生き残りの半結球レタス類とネギでなんとかしのぐうちに、えんさい、つる紫、モロヘイヤが茂ってきた。
 
 これらヌルっと粘りのある野菜が治郎君は苦手。玄米、みそ汁(呉汁)等主食主菜はきれいに平らげるのだが、テーブルの中央に並べたつる紫のおひたしやオクラ・キウリ・青じそのあえ物などほとんど手をつけない。キウリのキムチにも。そこで毎朝の呉汁にたっぷりと粘り強い野菜を入れることにした。キムチは細かくきざんでごま油で炒めチャーハンに。どれも残さず食べてくれた。
 
 彼は自給的農生活を目指しているらしいが、畑起こしから始めて、肥料入れ、種まき、草取り……やれ雨が降らない、いつまでも止まない、台風……虫、鹿、猪……こうして懸命に世話して実った野菜なら、ヤギのようにばりばりとおいしく食べるだろう。私もそうだった。この地でシロウト農を始めるまでは人参もほうれん草もうまいと思ったことはなかった。
 
 それにしても7月の終わりに近づいても、まだ灰色一色の世界……猛烈に降ったときはこの小宇宙全体が雨に吞み込まれるよう。くぼ地のナス・ピーマン畑はまるで川か池だ。水はけのいいはずの斜面のキウリやえんさいにも黒いシミが。オクラも実がつかない。ソバの花は一斉に白く浮かんだのだが、実がついたのやらつかなかったのやら、いつの間にか雨と雑草に埋もれてしまった。
 
 確かに、コロナや災害対策は急務なのだが、中長期的に見れば、食、特に農と異常気象(温暖化)の問題は最重要課題ではないか。もし8月に入ってもこの天気が続いたら畑は全滅だろう。
 
つづく
 
 
追伸
若鶏たちが卵を産み始めました。小ぶりで殻がかっちりと硬い。青菜のおいしさがわかっていないので食べ方が少なく黄身が薄いようです。気長に見守ってあげてください。   2020年9月27日



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