9月27日、一か月近く続いていたアナグマとのお付き合いからやっと解放されたと思った。朝、餌のバケツを下げ中央の鶏小屋に登ると、前の畑の脇に置いていた箱罠の中に居た。猫を少し大きく尻を太くしたスベスベとした薄茶色、口が尖っている。なんとその口を鉄の棒が貫き血が垂れている。棒の先に吊るしていたクロワッサンのかけらと一緒にがぶりと勢いよく棒まで食べ、口に突き刺さったのだろう。車で10分ばかりの山の峠で逃がそうとしたが棒が抜けない。箱の中に手を入れようとすると、深傷に憔悴した捨て身の唸り声、必死の形相で噛みつこうとする。帰って、水槽に箱ごと沈め、遺体を埋めた。
一週間ほど前にようやく雨が降り種が蒔けた大根、人参、レタス類は芽を出し、ほうれん草と春菊も播種できた。だが3日と平和は続かなかった。畑に太く深い新手のアナグマらしき足跡、ズルズルと土を引っ掻き引きずり大根や人参の幼い緑が根ごと掘り返されていた。これら根茎類は移植ができない。一度土から離れると根がまともに育たない。10月10日になったばかりの深夜2時前、くっきりと覚め、どうせ眠れないならと山に見回りに登った。懐中電灯に浮かんだ畑を見て唖然とした。まるで耕運機をかけたかのように一面起こされた土の中にほうれん草も春菊も雑草たちも一点もなく消えている。闇の奥で気配がした。急ぎ足で登った。てっぺんの戸と柵が破られていた。鼻息と足音が草の林を下る。グシャリとトタンにぶつかり荒々しくもがき逃げ去る音……北西の柵が大きくゆがんでいた。明らかに猪だ。明るくなって点検すると、他の畑や栗はもちろん、梅や柿、クルミ等々の根元深く掘られていた。あちこちに山芋を掘ったであろう深穴も。丸三日かけて気力で柵の補強、疲れがたまった重い足腰が意外に動いた。
おかげで猪は入らなくなったが、アナグマの被害は続いた。猪や鹿よりずっと小さいのでわずかの隙間や網の破れ目から侵入する。人参と蒔きなおしたほうれん草はほとんど全滅、最晩生の栗も半分近くが食われた。その栗の時季も完全に終わったが、今度は掘っ立て小屋の軒下に置いていたイガごと栗の入った袋をひっくり返し食い散らした。ひょっとしたらと思い、箱罠を軒下にかけた。大きな最後の栗をぶら下げて。この一か月、クロワッサンにもドーナツにも鶏肉にも寄り付こうともしなかったのだが。その深夜11月1日の0時半、小屋に登った。星はない。山全体が静けさに沈んでいた。無駄足と思いながらも軒下に行った。いた! 宿敵が。箱罠が窮屈そう、黒々と丸くかっちりと太い、これまでのアナグマの倍くらいありそう。どうしよう? 箱ごと持ち上げた、重い、牙を剥き出す、唸り声も重く低く鋭い、まるで獰猛な野犬のような迫力だ。そのまま水槽に、何分か何十秒か、最期の命の動きは沈んだ、水から引き上げた。こんな姑息なやり方ではなく、一気に喉を掻き切って殺し血を出し、皮をむき、解体して、丁寧に胃袋に葬ってやりたかったのだが、その腕も勇気も体力も気力もない。明るくなって草原に横たえ、数時間後、山土に埋葬した。
その日の夕方、マキさん(32歳、富山県出身)が研修先の佐賀から軽乗用車でやってきた。すらりと健康そうなやや長身、繊細な眼差し、芯は強いよう。彼女は養鶏、それも平飼い・放し飼いがやりたいとか。できれば自家用の畑・田んぼも。さっそく翌朝7時から餌やりを。草やり、卵取り、それに肥料出しも。最初は一緒にやったが、あとはすべてお任せ。今までウーファーさんにやってもらったことはない。なにしろ餌の調合などほとんど自己流の勘頼みなので説明するのが面倒で気が重かったのだが、彼女は頭の働きも体の動きも着実で丁寧だった。どぶろくの出来立てを少しずつだがうまそうに飲んでくれたのも嬉しかった。渡りに船というか、後から考えると彼女はまさに救世主だった。ざっと一か月、鶏のこと(卵の配達も米ぬかの購入も)はお任せして、アナグマ対策に専念できたのだから。今度こそ終わったかと思ったら、第三のアナグマ(あくまで状況証拠、一度も対面しなかったのだから)との闘いが長く続いた。
貴重な、当り前の、今まで何度も学んだはずの教訓を、今度こそ骨の髄まで会得した(と思いたい)。中途半端なごまかしの対策は全くの無駄骨どころか、かえって事をより困難にする。例えば、巨木が倒れ柵が大きく傾いた。その巨木を切るのが面倒で、傾いたままの柵にノリ網や針金の柵を張ったり、ガラス戸や金網で穴をふさいだり……何度も何度も穴をあけられた。連中、一度弱点を見つけると凄まじい執念で傷口を針で突くような攻撃をどこまでも続ける。結局は完璧な柵を立て直すしかないのだ。疲れ切っていて放り投げたくなったが、ノンの貴重な助言に従い、なんとか気力を振り絞り、まず傾いた柵を取り繕った有象無象を取り払い、巨木を切り、残った根元とその旧柵を迂回して、柵のいわばバイパスを新築することでようやくそこの侵入は収まった。
それが12月2日のこと。いつの間にかイチョウの葉は散り(実を拾うこともできなかった)、栗やコナラ等は土色に枯れ、山全体が冷たい灰色だ。ノンがアナグマは冬眠することを調べてくれた。パット光が差した。早く本格的な冬に入れと願った。
願い通り、アナグマの訪問はピタリと収まった。でも寒いのなんのって、骨身にこたえるというか、細身の芯がうずくというか。それに闘いは休止しただけ。この寒さの中、柵の補強だけは徹底してやらなければ。
秋を感じる暇もなかった。年の瀬を、正月を思う心の余裕もなかった。新たな難題がやって来たのだ。それは次回で。
今年もなんとかよろけながらも生きていきたいですね。少しでも心安らかに。
完 2025年1月8日